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一枚引き 「タロットの宇宙」の本から

カルト映画の巨匠で、演劇家、創作家、詩人、サイコセラピストなど、多彩な方面と才能を見せるアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、タロット研究家・タロロジストでも知られており、日本ではカモワンタロットと呼ばれるマルセイユタロットを、カードメーカー子孫のフィリップ・カモワン氏とともに製作されています。

ゆえに、カモワンタロットは、むしろ、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(もっと言うと「ホドロフスキータロット)と言ったほうが世界的には通用するかもしれません。

さて、そのホドロフスキー氏の著作である「タロットの宇宙」という本があります。

個人的には、かなり前、タロット大学時代の上級コース時に、フランスでの氏のワークショップに遭遇する機会があって、その時に売っていたフランス語版のものを入手していたのですが、なにせフランス語ですから、私には訳せず(苦笑)、宝の持ち腐れとなっていました。

その後、英語に訳され、その英語版も手に入れましたが、英語もできるとは言い難い私には、これまた完全に理解することは難しいものでした。まあ、英語のできる方と協力したり、ちょっとずつ自分で訳したりはしていましたが。

そうこうするうちに、なんと、日本語で本が出ることになり、大変驚くと同時に、うれしく思いました。

この本は大部なものですし、タロット本と言っても専門的であり、日本ではマイナーなマルセイユタロットを扱っているわけなので、およそ日本語版が出るなど思っていなかったのですが、やはり、映画監督としてのホドロフスキー氏の知名度がモノを言ったのでしょう。

この「タロットの宇宙」は、さすがとしか言いようのない内容なのですが、やはり、まったくの初心者が読むには難しいと言いますか、誤解してしまうところもあるような気がします。

いや、タロットのすばらしさを知る意味では、タロットを知らない初心者が読むには、タロットの印象をよい意味で決定づけるうえでもお勧めできるのですが、ちょっとだけマルセイユタロット、それも、カモワンメソッドを中心に学習した人には、内容的には違和感を持つ人も少なくないと思います。

これは私の生徒さんにも言っているのですが、カモワン氏とホドロフスキー氏のタロット観には違いがあり、究極的には同じものを目指すとしても、方法論、システム論、直感性においても異なっているので、カモワン氏側のものをメインに学んだ方からすると、タロットの解釈などにも違いを感じ、自分の中でどう統合すればよいのかわからなくなるおそれがあるのです。

ですから、きちんとマルセイユタロット全体としての、ある程度のベースや俯瞰性ができたうえで「タロットの宇宙」に取り組まないと、混乱をきたしてしまうこともあるので、注意が必要です。

例えば、数秘術などでもそうですが、ある数字の意味が教える人によって異なる場合があります。

しかし、「1」は1の本質、「2」は2の本質があるように、根本では同じだと言えます。それが人によって、教え伝える人の個性によって、言葉としての意味が変わってくることがある(表現の違いがある)わけです。

ですから、どの数においても、本質はこうなのだなと理解してくると、人によってその意味や言葉が違うのもわかるようになりますし、それぞれが間違いでもなく、また正解はひとつでもなく、関連していることに気づき、たくさんの解釈にふれるほど、より本質にも近づけるようになるのです。

これがまだ浅い段階で、本質もわからず、ただそれぞれの言葉・表現だけにとらわれていれば、その言葉に惑わされ、あの人はああいう意味を言っているのに、別の人はまるで違う意味を言っている・・・これはどういうことなのだろう?わからない・・・と混乱するわけです。

ホドロフスキー氏は情熱家であり、彼なりの家族的背景が、ここ数年の新しい映画でも語られているように、色濃くあります。その表現か投影され、一枚一枚の大アルカナの解釈などにも影響しています。それをそのまま一般解釈としてしまうと、あてはまらないと感じることもあるでしょう。

「タロットの宇宙」を理解していくには、単にタロットの知識や経験だけではなく、ホドロフスキー氏の人となり、表現を知り、特に氏の映画鑑賞は欠かせないと思います。同時に、もう一人の製作者、フィリップ・カモワン氏のメソッドやタロット観にもふれることで、より、ホドロフスキー氏のタロット観というのも浮かび上がってくるでしょう。

さて、この「タロット宇宙」、理論だけではなく、いろいろな技法・技術も書かれています。そのどれもがとても興味深く、効果的だと思えるのですが、かなり実際には難しいものでもあります。

しかし、タロット(リーディング)を訓練したり、自分自身を知ったりするという意味では、やってみると面白いものも多いです。

ひとつご紹介すると、「1枚のアルカナを用いた練習」というのがあり、大アルカナ一枚引きをして、出たカードに対して、具体的レベルで見るのと、心理的レベルで見るのと、霊的レベルで見るという、三つの見方で読む方法が書かれていますし、例えば「私の心にあるのは何か?」と質問して、一枚引きし、その出たカードをそれとして読むなどの方法も書かれています。(詳しくは国書刊行会「タロットの宇宙」をご覧ください)

たった一枚でも、自己省察に大いに使えるということが語られています。

これを公開制でブログなどでやるのもいいかもしれません。

よく、毎日、一枚引きなどして、そのメッセージや占いを書ている人がいますが、これを他人に対してではなく、主として、自分に対してやってみるのです。

毎日、一枚引きをして、そこから受け取る情報、直感的なもの、普遍的な意味のものなど、何か出てきたもの、思いついたこと、リーディングしたことなどを書きます。そして、それは読んでもらう人のためというより、自分に出たメッセージ、自己への提示、自分の心や無意識を探るものとして見るのです。

けれども、ここが重要ですが、自分に対してメッセージを出すみたいに意識しすぎると、逆にカードが読めなくなります。自意識過剰での固まりというやつです。(笑)

ですから、他人や一般、ブログを読む人に書くという意識でやり、しかし結果的には自分へのメッセージとして読むということをします。

すると客観的なものとして、自分に対して出すことがやりやすくなるのです。

これも逆に、人に読んでもらおうとか、集客しようとか、そういう意識てやってしまうと、他人への意識過剰になって、タロットをうまく読むことができなくなるおそれがあります。ましてや、自分に対してのメッセージ性もぶれてきます。

従って、宣伝としてやるのではなく、また自分に意識を向け過ぎてやるのでもなく、他人向けを装いつつ、自分に書くというスタンスでやってみるとよいでしょう。

大事なのは、毎日やるということです。それくらいの決め事、縛りがないと、自分に甘えが出てしまい、単なるお遊びになり、これをやる意味がなくなってきます。

誰かが見ていてくれると仮定し、とにかく大変でも毎日、一定期間やり続けるのです。もともとは自分のためのものですから、アクセス数などにやきもきする必要もないです。ですが、公開制にすることで、自分への甘えや遊び感覚を排し、それなりの修練だと思って取り組むことができます。

三か月間はやる、半年はやる、一年はやるぞと決めたのなら、その期間やり続けてください。きっと効果は出ます。

もし、今やっているブログではできないのであれば、別のブログを作ってやってもよいでしょう。

やはり、継続は力なりです。

それから余談でずか、毎日タロットを引いて占っている人も、それは何の目的でやっているのか、自分なりに明確にしておくとよいです。

もし他人に自分の書いたものを見てもらい、自分(のリーディングや占い)に関心を持ってもらうことを目的とするのなら、漠然とただ書き流していてもあまり効果はないかもしれません。

考えてもみてください。有名でもない人の占いを毎日見るのは、何の意味があるのか、見る人がいるのか、ということです。知り合いとかは別として。

仮にあなたが他人の毎日の占いとかリーディングの内容を見に行っているのなら、なぜそうしているのかを分析する必要があります。それをしているのは、その人のを見たいという理由があるからであり、それは何であり、なぜなのかという点が大事です。

結局、「毎日占い」の記述も、それをやることに、自分なりの理由、きちんとした意図をもっているのなら、それはそれでOKだと思います。無名の人でも、やり方次第では、ほかの人が見たくなる書き方・方法があるはずですから。

例えば、毎日読んでくれた人だけにわかる暗号を入れるとか、それを発見した人には無料占い・リーディングをプレゼントするとか、そういうことも考えられますし、漠然とした抽象的な占いをするのではなく、恋愛の、しかも「片思いに悩んでいる人」用の占いを続けてみるとか、個性を出す方法はたくさんあると思います。

人は自分のことに関心があるのです。

「〇〇さん、そうそう、あなたです、あなたには、これから「戦車」のような男性が近くにいるか、近づいて来ていますよ」と言われるほうが、「皆さん、今日は、戦車的に行きましょう」と言われるよりも、自分のことのように感じるはずです。

一般的・抽象的な言い方は、それだけ自分のことではないとして、スルーされることも多いのです。

少し違う話になりましたが、一枚引きブログ、やってみたい人は、ぜひ、チャレンジしてみてください。


トランプと小アルカナ ゲームつき

マルセイユタロットの小アルカナとトランプカードは、とてもよく似ています。

違う点と言えば、その枚数で、小アルカナが56枚、トランプが52枚です。

とすると4枚の違いがあるのですが、その4枚とは、小アルカナの宮廷カードに騎士が存在することによります。

すなわち、トランプには騎士(ナイト)はなく、人物の絵札として、皆さんにもおなじみの、ジャック、クイーン、キング(数でいえば11,12,13)があるだけとなります。

ここからすると、騎士は特別な存在であることがわかります。マルセイユタロットを学習すればそれはわかるのですが、ここでは、騎士が何らかの秘密を握っているとだけ言っておきましょう。

ただし、トランプには、ジョーカーがついていることがほとんどで、ジョーカーを枚数に入れると変わってきます。ちなみに、ジョーカーは、タロットでは大アルカナの「愚者」に相当すると言われ、見た目やトランプゲームでの機能からも、それはうかがえます。

とりあえず、トランプを、ジョーカーを除く52枚だとすると、そのうち、スペード、ハート、クラブ、ダイヤの4組に分かれて、各13枚ずつになりますので、その4組を春夏秋冬の四季に置き換えますと、ひとつの季節が13週と考え、13×7で91となります。これが4つあるわけですから、91×4=364という数が出ます。

さらににジョーカーを加えると、365になりますから、トランプは、おそらく意図的にこの枚数にされており、私たちの一年、実際的な一年サイクル、日々の毎日を象徴させていたのではないかと推測できます。

いわば、日常を表しているわけですが、日常の中にも非日常性はあり、それが絵札やジョーカーなど特別なカードとして表されているのかもしれませんし、日常の退屈さを補う意味で、ゲームをする(刺激を受ける、楽しむ、他者と交流するなどの)ことが、トランプカードの役割、使命みたいなものを示しているのかもしれません。

タロットも一般にはゲーム道具として流布したところがありますから、実は、意外に、ゲームをする(させる)ことの深い意味が、タロットやトランプには込められていた可能性があります。

カードゲームというのは、札が配られることから始まることが多く、というものに大きく左右され、また、ただ運に頼るのではなく、それなりの戦略を練って戦術を駆使することで、ゲームに勝つことができます。

さらにゲームは、自分一人でやるのではなく、ほとんどは何人かで行うことで楽しめ、人のカードの出方・利用の仕方で、局面も変化します。

カードゲームの最中には、まるで神が降りてきたかのような体験もあるでしょうし、きちんと計算通り勝利することもあるでしょう。

私たちの人生も、日常生活の中で、毎日同じようなことを繰り返しつつも、特にイレギュラーなことや、シンクロニシティ、神秘的な体験をすることがあります。

運命に翻弄されながら、自分の意志と行動で何かをつかむこともあれば、他人の助けや影響によって、大きく事態が変わることもあります。

それはまるで、カードゲームをしているのと同じではありませんか?

そういえば、タロットの大アルカナのナンバー1を持つカードは「手品師」であり、大道芸人として芸を披露していますが、ゲームをしているようにも見えます。

「手品師」は現実の生活空間に入ることも意味しますが、私たちは、まさに実際の生活というゲームの中に入り、ゲームの中で、カードのようなゲームをして、自分の人生そのものがゲームであることを知るのかもしれません。

さて、トランプにも小アルカナのように、意味が当てはめられています。

今述べたように、四季を表すとされている部分もありますし、西洋の古代エレメント思想でメジャーな、四大元素(風・水・火・地)に配当されるところもあります。それは小アルカナと同じと言ってもよいです。

ただし、タロット(小アルカナ)とトランプでは、同じ4組に分かれているとは言え、当てはめ方が違うこともあります。それは人や流派、地域によって、象徴の表現、配当が異なるからです。

ここはあえて、私のやっているマルセイユタロットからのものを用いて、トランプに当てはめてみます。

すると、剣がスペード、杯がハート、杖がクラブ、玉がクラブとなります。(もろちん、先述のように、流派とか人によって当てはめ方は違います)

また、(昔の西洋での)四つの職業をトランプ的に一般的なものとして示すと、スペードが騎士で、ハートが僧侶、クラブが農民、ダイヤが商人となっています。

タロット小アルカナでは、剣が騎士、杯が僧侶、杖が農民、玉が商人になりますね。それも当然で、剣が騎士なのはそのままですし、杯は聖なる杯であり、心を扱う分野であるのなら、僧侶(修道士とか神父・シスターなど聖職者に当たるでしょう)はぴったりですし、杖は棍棒ですから農業という感じがし、玉はコインなので、当然、商人を表すのが妥当だと言えます。

ここで面白い遊びをしたいと思います。

タロットの小アルカナになぞらえて、四つの□を並べます。直感でピンと来たものひとつを選んでみてください。

 

□    □    □    □

 

それぞれ何の絵柄(4組)を表しているかは、一番下に書いていますので確認願います。

あなたが選んだ表の特質が、あなたの気質を示すと見ます。あなたの行動原則とか価値観を表すと考えてもいいです。

ちょっとスピリチュアル的に、あなたの強い関連性のある前世とか、家系的なつながり、因縁みたいなものも示していると見るのもありです。あまり深くは考えないでください。なにせ、これはゲームですから。(笑)

ほかに、今のあなたにとって必要な気質、そいう人になっておくのもいいよ、と受け取ってもOKです。

簡単に、それぞれ4つの職業気質を書いておきます。

剣・騎士…戦いに挑む人、戦略を練る人、前向き、切り開く、開拓、ベンチャー、目的達成に向かう、学ぶ、技術を磨く

杯・僧侶…心を癒す人、神秘・聖なるものとふれあう、精神を高める、交流、交際、受け入れ、浄化する、熟成させる

杖・農民…作る、創造する人、生み出す、育てる、開墾する、耕す、働く、力を入れる、運動する、行動する、守る、助け合う

玉・商人…サービスを提供し、利益を得る人、お金を動かす、稼ぐ、借りる、貸す、貯める、投資する、実利を見る

まあ、単純に、あなたが仮に、この4つの職業や仕事をする人のうちどれかならば、何を思い、何を大切し、どう動くか、でイメージすると、回答が得られるということです。

ゲーム的に、楽しんでやってみてください。

あと生徒さんには、小アルカナの読み方の多大なヒントを与えているつもりですから、自分なりに、ブログ全体から読み取ってくださいね。☆

 

 

※表側の絵柄  向かって左から、「杯」 「剣」 「玉」 「杖」 です。


タロットリーディングアドバイス企画

以前、タロットを使っている方で、自分自身のリーディング・占いはわかりづらいので、他人の観点や別のタロットからの視点がほしい方に、私からアドバイスするみたいな企画をいたしました。

それをふと思い出しまして(笑)、似たような企画をまたやってみたいと考えました。

今回は、マルセイユタロットのリーディングや占いをしている方限定での対象とします。

プロでもアマでも構いませんが、プロの方は、自分のやり方が確立されていることが多く、他人のアドバイスはむしろ逆効果のことがありますので、やはり、まだ自分ではタロットの見方に自信がないとか、駆け出しの方、アマチュア的な人のほうが、この企画には向いているかもしれません。

方法はZoomを使いまして、ご自分のタロット展開や図像、問いなどをご説明いただき、それについて、当方が私なりのやり方で、おなじテーマ(問い)について、改めて展開したものを参考に、アドバイス(私の観点での意見や感想)をさせていただきます。

マルセイユタロットを学習したけれど、リーディングについてまだ自信が持てない、一部のカードの解釈がうまくできない、自分の問いなので客観的に読めない・・・などお困りの方、私でよければ他人目線(笑)としてお使いください。

及ばずながらのところもありますが、一応、私は長い間、マルセイユタロット専門でやってきていますし、マルセイユタロットの講師でもありますので、素人さんや、ちょっと勉強しただけの人、独学の人、別のタロットを専門としている人とは違う意見は期待できると思います。(苦笑)

なお、普通にリーディングをを受けたい方は、まだ特別リーディング期間を継続中ですから、今、お申込みいただければ、大幅割引価格にて、本格的なマルセイユタロットのリーディングをZoomで受けられます。こちらについては、もちろんタロットを知らない人でも、どなたでも受けることができます。特別サービス期間も、いつ終了させるかわかりませんので、今のうちですよ。

◆マルセイユタロットリーディングアドバイス企画

●対象

マルセイユタロットを学習し、リーディングをしている人、リーディングをしたことがある人。プロ・アマ、自分向け・他人向け、有料でやっているか無料かは問いません。(とにかくマルセイユタロットのリーディングに挑戦したことのある人が対象) マルセイユタロットの種類(版)も問いません。※ウェイト版など、マルセイユ版ではないタロットは対象外です

●募集人数

1名

複数以上のご応募の場合、タロットによる抽選で決定いたします。

●内容とご提供方法

対象として決まった方は、タロットに対する問いと展開法をメールで画像付きでお知らせいただき、日時を調整のうえ、Zoomにて、一対一で話をしながら、お互いの見解を交換し、その問いについてのリーディングを高めます。

●応募方法・期限bk

このサイトの「お問合せ・お申込み」から、メールにてお願いします。(「お問合せ・お申込み」の、どの欄に書いても届きます) なお、簡単なマルセイユタロット学習・リーダー歴、お使いのマルセイユタロットの版名(カモワン版、グリモー版などの名前)をお書きください。お名前はご本名か、活動名でお願いします。(ニックネーム・仮名などでは受けつけいたしません)※応募の際は、問いや展開画像等はいりません。

応募期限は6/21(日)中までです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 


変わりたくても変われない問題

人間の生活は選択の連続だと言います。

毎日、朝から晩まで、食べるものから着るものまで、人はあらゆることを選択し続けます。

それが習慣的になっていて、選択の意識はないのかもしれませんが、たとえ毎日同じことの繰り返しであっても、同じことを“選んでいる”ことには違いないのです。

ここに、選択による人生の違いを生み出すヒントがあります。

現状に何か不満があって、向上や違い・変化を求めている場合、それは昨日(今まで)と同じ選択ではいけないわけです。

当たり前のような話ですが、同じ選択をするということは、同じことを起こすことや、同じような状態を保ちたいからであり、それが無意識であれ、自分は同じ毎日を繰り返したい(変化したくない)と、心のどこか、あるいは自分の中のもうひとりの自分が望んでいるためだと考えられます。

例えば、命の危険など、本当に自分に危機が訪れた場合、このままでマズイぞと、何らかの違う対処や行動をするでしょう。

ということで、変わりたいと思っても同じことを繰り返している場合、変わりたい意識<同じでいたい意識と、右側が勝っている状態だと推測されます。

なぜ同じ状態の継続のほうが意識的に上回っているのか、これを分析すれば、意外と自分の変われない要因というものが明らかになるかもしれません。

まあたいていは、今、本当には困っていないから、改革するのは面倒でエネルギーを消耗したくないからというのが、結構、理由としてあります。

パートナーを持ちたい、結婚したいけどできない、別れたいけど別れられない、売上を上げたいけど上げられない、仕事を変わりたいけど変われない、独立したいけどできない、親と離れたいけれど離れられない・・・こういう悩みは実際に多いですし、タロットの相談でもよくあるものです。

これらには、現実的・実際的な理由とは別に、心理的・無意識的な理由があります。

しかし現実的な理由も、結局は心理的な理由に行きつくことが多いです。

要は不安との戦い、あるいは何かしらのメリットを得続けるため、保身のための弁解・理屈づけということがあるのです。

たとえ話をしますが、深い峡谷にかかっている、向こう岸に渡るための橋があるとします。こちら側は森になっていて、そこからあなたは来たのですが、向こうに渡る目的は、森の中に猛獣がいて、いつあなたを襲うかわからないため、向こうの土地に渡りたいと思っています。

ただ橋はボロボロで、今にも崩れ堕ちそうです。ぼやぼやしていると渡ることができなくなるかもしれません。

かと言って、このままま渡らずにいれば、いつか猛獣が襲って来る危険性もあります。どうしたものか、足が震え、結局、立ち止まったままです。

ここで、もしかすると猛獣はもう誰かの手によって倒されたかもしれないとか、そんなに猛獣は数としては少ないのたから、ここまで来ないかもしれないとか、何とか橋を渡らずとも逃げられるかしれないとか、そもそも猛獣がいるというのは思い込み(笑)だとか、今自分がピンチにいるからこそ(か弱い者だからこそ)、王子様とか戦士が現れて助けてくれるかもしれないとか・・・いろいろと自分の都合のよいことを考え、橋を渡る恐怖から逃れようとします。

森や猛獣はあなたが実際に見てきた、経験してきたことなので、たとえ恐怖であっても、まだなじみというか、理解ができますが、橋を渡ることは未知で、まだ経験していないわけですから、想像の域でしかありません。

すると、怖いこと、マズイ状況であったとしても、橋を渡るイメージ上の恐怖と比べればましだと考えて、渡らない選択のままに固定されることもあるわけです。

ここで、橋をきちんと冷静になって調べて、重さに耐えられそうだと判断できたり、橋ほ補強する何かの方法とかツールが発見できたりすれば、渡ることの現実性・リアリティも出てきます。また他人の助け(たとえば、向こう側の人が現れるなど)があれば、なおさら可能性は高まります。

新しい世界に移行することは、マルセイユタロットでは、「愚者「と「世界」でもっとも象徴されますが、総じて人物が右側に視線を持つカードが関係してきます。

それらのカードは、新しい次元や世界を拓くための象徴的意味合い、示唆が図像にこめられています。しかし、それら単体だけではなく、いわば、「愚者」と「世界」のセットのように、人物の視線も右と左のものが相まって、移行の確実さを表現します。

それはそれとして、結局、望みたい方向に行くためには、自分におけるメリットの天秤が入れ替わる必要性があるわけです。

簡単に言えば、現状以上のメリットが、選択する将来のものとして、特に心理的に見えてくるかどうかにかかっていると言えます。

逆に言えば、(望む)新しい方向や世界に行きたいのであれば、そちら側に行った時の具体的メリットが、現状を超える形、あるいは今受けているメリットを捨ててもいいと思える替わりになるものがあればよいことになります。

現状を超えるメリットは、たいてい変わりたい方向性には明確に見えているわけですが、それを実現するには努力とか恐怖とか不安、茨の道も想像できるので、橋のたとえ話のように、向こう岸(新しい世界)へ渡れなくなるわけです。

今の状態は不満で嫌だけれども、怖いことになるのなら、苦しいことになるのなら、まだ今のほうがましだとなって、踏み出させない選択をしてしまいます。

ですから、選択したい将来像への恐怖や不安を軽減していく、移行ステップ、アドバイスがあればよいことになります。「こうしていけば、そんなに怖さを感じなくても進めるよ」みたいなことです。

これは自分一人ではできないことが多いので、向こうの世界(自分の望む世界)にいる人、向こうを経験した人、向こうの常識を知っている人などに、助けてもらうとよいです。(手を引いてもらう、実は「愚者のカードにも犬がいて、一人ではないことが示されています)

もうひとつは、時間・スパンを長期にして選択を見直す、あるいは、地上意識(実際的な損得、非難賞賛から来る不安・恐れ)ではなく、天上意識から見直すという方法があります。

前者は、言ってみれば長い目で見る、一生から見るようなことで、後者は、神とか天からの目線で見るみたいなことです。

すると、どちらでもないとか、何を選んでも結局同じ(何を選んでも選ばなくてもよい)ではないかというインスピレーションが起きてきます。

タロットでいえば、四大元素・4組に分かれている小アルカナの世界から、それらを統合した大アルカナの世界に上昇するような視点です。(大アルカナにもレベルの区別はありますが)

結果に固執するか、経験を楽しむかみたいなものと言い換えてもいいかもしれません。

究極的には、一人一人の人生ですから、他人や世間のことより、自分が何がしたいのか、何を大切にするのかで、選択も決まってくるでしょうし、たとえ迷いに迷って決められなくても、天上的視点から見れば、その迷いこそがすでに選択であるという話もあるのです。それは「恋人」カードにも描かれている通りです。

選択には直感を信じるとか、本当の自分と会話するとか、いろいろとスピリチュアル的に、よい選択のやり方が言われますが、それらの方法は、実はなかなか漠然としてわかりづらいこともあります。

現実生活の場面、仕事や営利的なことでは、確かに選択の正解、間違いというレベルはあります。

ただし、それも天上的な意味では、間違いも正解もなく、また、エゴに従ったから悪いとか、直感や本当の自分の選択だったからよいとか、これさえも、別の視点からすると、そうとも言えないかもしれないのです。

ですから、いろいろと迷い、悩みつつ、自分なりに努力したり、情報を集めたり、学んだりしつつ、それでもわからなければ、まさ神にお任せでははないですが、なるようになる、迷いや間違いも「経験としての選択をしている」という感じで、選んだことに後悔しないようにだけすれば、案外と人生、うまく行く(そんなに悩まない)のでないかと思います。

本当に変わらなければならない人は、自分の意識にも変化が出てきますし、変化の必要性があるのに無理に留まっている場合は、環境的・肉体的に、強制的変化が要請されて実際に起きることが多いので、宇宙の調和・調整機能は普遍的なのだと気づかされます。

そして、変わらない選択をするのも、またあなたの選択のひとつで、それはそれでいいも悪いもないのかもしれません。

人は変われたようでも、実は何一つ変わっていない、本当の意味では変われないのだという説もあるくらいですから、変わることへの思いも強すぎると執着になるので、自然に任せるのもありでしょう。


小アルカナとリーディングの二方向

マルセイユタロットでは、大アルカナと小アルカナ(のうちの数カード)の絵柄はかなり異なり、特に小アルカナ数カードは、その記号的な絵柄もあいまって、なかなか読みにくいということがあるようです。

残念ながら、日本では、マルセイユタロットはいまだマイナータロット(苦笑)ですので、マルセイユタロットに関する読み方の本はとても少なく、独学は不可能に近いかもしれません。

また、マルセイユタロット使い・講師の方でも、旧タロット大学で学習した関係者、その方々からの流れの人が多く、いわゆる「カモワンタロット」のリーディングメソッド(カモワン流)が広まっていることがあるのですが、カモワンメソッドでは大アルカナが重視される傾向があり、小アルカナの扱いと読みについては簡略されていたところがありました。

私は旧タロット大学出身で、カモワンタロットから入りましたが、だいぶん前に独立して、オリジナルな道を進んでいます。

そのうえで、自分なりに小アルカナの読み方の方法を探求、実践してきました。その中には、おそらく、どの講座でも言われていない方法があると思います。

それはさておき、小アルカナにも、実は読み方としては、ふたつの方向性があります。

そのふたつの方向性は何かと言えば、昨年、同時期に書いたブログ記事に詳しいので、再掲しておきます。

「タロットリーディングの二方向性」

つまり、タロットリーダー側がタロットの象徴性や意味を当てはめて読む方向性と、タロットの側からタロットリーダーに向けて、まるでタロット自らが、問いやテーマとして語りかけてくるかのような方向性です。

タロットを見るか、タロットから見られているかの方向性の違いと言い換えてもよいでしょう。

これを小アルカナにもあてはめることができます。

しかしながら、特に数カードは、記号的な図柄になっていますので、タロットからの方向性を想像するのは困難かもしれません。

私の生徒さんにも言っておりますが、小アルカナのリーディングには、まず慣れが必要です。

簡単に言えば、小アルカナと仲良くなる意識と言いますか、感覚です。

人間でも、相手のことで苦手意識があれば、あちら側に伝わり、ますますコミュニケーションが取りにくくなります。

ですから、小アルカナと親しくなり、日常使いできるようになっていくのが大事です。それは読むのではなく、慣れるということであり、何かメッセージを得ようとか、リーディングして意味を見出そうとか、意識を向け過ぎないことです。

それより、最初は、戯れのように、小アルカナと遊ぶことがいいのです。

そして、4組ごとのイメージを持つようにします。具体的には、数カードならば、剣・杯・杖・玉(ソード・カップ・ワンド・コイン)の10枚セットごとに、それぞれの組(つまりは四大元素になりますが)を全体でとらえるようにします。

すると、先に挙げたふたつの方向性のうちのひとつ、タロット側から見られている意識のようなものが、数カードからでも浮かぶようになってきます。

大アルカナでは、カードを使ったタロット瞑想というのは、割とメジャーですが、小アルカナを瞑想することは、あまり言われていません。

でも、小アルカナでもいいわけです。

私は小アルカナをアクティベートすると言っていますが、小アルカナを活性化しないことには、なかなかリーディング、いや、リーディングすること、読むことを、カードが助けてはくれません。

タロットリーダーとして、忘れがちなのは、タロットの声を聴くという感覚であり、学習してタロットに慣れてくると、思考と論理性、つまりカードの意味を問いに当てはめようと、ガチガチになってくる傾向があります。

むしろ、最初の頃の感覚、タロットとお友だちになろうとしていた時のあの感覚を思い出すことです。

また、絵がないとイメージできないというのは早計です。

それは視覚を強調しすぎるからでもあります。人間には、五感としての視覚以外の感覚もありますし、第六感といわれるような、不思議センサーもあると言われます。

もちろん、タロットは図像ですから、小アルカナと言えど、視覚から入るのが当然です。

しかしその視覚から入ってきたものを、別の感覚に置き換えることで、絵からだけではない何かをつかむことができます。

小アルカナの数カードは、視覚にウェートを置きすぎる感覚をバランス化したり、調整したりすることにも役立つのです。(ゆえに4組に分けられています)

自分がタロットを見て、必死で読もうとするのではなく、何も浮かばない、意味がわからない・・・といった状態に陥った時、方向性を反転させて、タロットから自分が見られているという感覚・空間にして、タロットが自分(タロットリーダー)全体を包み込むかのような雰囲気にすると、あなたはタロットの世界に参入したようになり、カードの声を聴きやすくなります。

それは顕在意識の停止・死のような感覚であり、自我というのもを手放すのにも似ています。平たく言えば、読み(読もうとする意識)のあきらめ、お任せみたいな感じです。

しかし、矛盾するような話ですが、だからと言って、まったくの無知識では、何も機能せず、ある程度の理性・知識があってこそ、そうした通常の思考方法とは別の世界があることに気付くようになるのです。

言ってみれば、光のためには闇が必要であり、そのまた逆も言え、二元性質の理解(きちんとした区分け)によって、一元(二元の統合次元)が見えてくるわけです。

だから、別のものを分離する認識力は、知性から生み出されるのです。

要するに、ただタロットを眺めていても始まらず、ある程度、勉強しないとだめですよ、ということです。(笑)


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