ブログ
トランプと小アルカナ ゲームつき
マルセイユタロットの小アルカナとトランプカードは、とてもよく似ています。
違う点と言えば、その枚数で、小アルカナが56枚、トランプが52枚です。
とすると4枚の違いがあるのですが、その4枚とは、小アルカナの宮廷カードに騎士が存在することによります。
すなわち、トランプには騎士(ナイト)はなく、人物の絵札として、皆さんにもおなじみの、ジャック、クイーン、キング(数でいえば11,12,13)があるだけとなります。
ここからすると、騎士は特別な存在であることがわかります。マルセイユタロットを学習すればそれはわかるのですが、ここでは、騎士が何らかの秘密を握っているとだけ言っておきましょう。
ただし、トランプには、ジョーカーがついていることがほとんどで、ジョーカーを枚数に入れると変わってきます。ちなみに、ジョーカーは、タロットでは大アルカナの「愚者」に相当すると言われ、見た目やトランプゲームでの機能からも、それはうかがえます。
とりあえず、トランプを、ジョーカーを除く52枚だとすると、そのうち、スペード、ハート、クラブ、ダイヤの4組に分かれて、各13枚ずつになりますので、その4組を春夏秋冬の四季に置き換えますと、ひとつの季節が13週と考え、13×7で91となります。これが4つあるわけですから、91×4=364という数が出ます。
さらににジョーカーを加えると、365になりますから、トランプは、おそらく意図的にこの枚数にされており、私たちの一年、実際的な一年サイクル、日々の毎日を象徴させていたのではないかと推測できます。
いわば、日常を表しているわけですが、日常の中にも非日常性はあり、それが絵札やジョーカーなど特別なカードとして表されているのかもしれませんし、日常の退屈さを補う意味で、ゲームをする(刺激を受ける、楽しむ、他者と交流するなどの)ことが、トランプカードの役割、使命みたいなものを示しているのかもしれません。
タロットも一般にはゲーム道具として流布したところがありますから、実は、意外に、ゲームをする(させる)ことの深い意味が、タロットやトランプには込められていた可能性があります。
カードゲームというのは、札が配られることから始まることが多く、運というものに大きく左右され、また、ただ運に頼るのではなく、それなりの戦略を練って戦術を駆使することで、ゲームに勝つことができます。
さらにゲームは、自分一人でやるのではなく、ほとんどは何人かで行うことで楽しめ、人のカードの出方・利用の仕方で、局面も変化します。
カードゲームの最中には、まるで神が降りてきたかのような体験もあるでしょうし、きちんと計算通り勝利することもあるでしょう。
私たちの人生も、日常生活の中で、毎日同じようなことを繰り返しつつも、特にイレギュラーなことや、シンクロニシティ、神秘的な体験をすることがあります。
運命に翻弄されながら、自分の意志と行動で何かをつかむこともあれば、他人の助けや影響によって、大きく事態が変わることもあります。
それはまるで、カードゲームをしているのと同じではありませんか?
そういえば、タロットの大アルカナのナンバー1を持つカードは「手品師」であり、大道芸人として芸を披露していますが、ゲームをしているようにも見えます。
「手品師」は現実の生活空間に入ることも意味しますが、私たちは、まさに実際の生活というゲームの中に入り、ゲームの中で、カードのようなゲームをして、自分の人生そのものがゲームであることを知るのかもしれません。
さて、トランプにも小アルカナのように、意味が当てはめられています。
今述べたように、四季を表すとされている部分もありますし、西洋の古代エレメント思想でメジャーな、四大元素(風・水・火・地)に配当されるところもあります。それは小アルカナと同じと言ってもよいです。
ただし、タロット(小アルカナ)とトランプでは、同じ4組に分かれているとは言え、当てはめ方が違うこともあります。それは人や流派、地域によって、象徴の表現、配当が異なるからです。
ここはあえて、私のやっているマルセイユタロットからのものを用いて、トランプに当てはめてみます。
すると、剣がスペード、杯がハート、杖がクラブ、玉がクラブとなります。(もろちん、先述のように、流派とか人によって当てはめ方は違います)
また、(昔の西洋での)四つの職業をトランプ的に一般的なものとして示すと、スペードが騎士で、ハートが僧侶、クラブが農民、ダイヤが商人となっています。
タロット小アルカナでは、剣が騎士、杯が僧侶、杖が農民、玉が商人になりますね。それも当然で、剣が騎士なのはそのままですし、杯は聖なる杯であり、心を扱う分野であるのなら、僧侶(修道士とか神父・シスターなど聖職者に当たるでしょう)はぴったりですし、杖は棍棒ですから農業という感じがし、玉はコインなので、当然、商人を表すのが妥当だと言えます。
ここで面白い遊びをしたいと思います。
タロットの小アルカナになぞらえて、四つの□を並べます。直感でピンと来たものひとつを選んでみてください。
□ □ □ □
それぞれ何の絵柄(4組)を表しているかは、一番下に書いていますので確認願います。
あなたが選んだ表の特質が、あなたの気質を示すと見ます。あなたの行動原則とか価値観を表すと考えてもいいです。
ちょっとスピリチュアル的に、あなたの強い関連性のある前世とか、家系的なつながり、因縁みたいなものも示していると見るのもありです。あまり深くは考えないでください。なにせ、これはゲームですから。(笑)
ほかに、今のあなたにとって必要な気質、そいう人になっておくのもいいよ、と受け取ってもOKです。
簡単に、それぞれ4つの職業気質を書いておきます。
剣・騎士…戦いに挑む人、戦略を練る人、前向き、切り開く、開拓、ベンチャー、目的達成に向かう、学ぶ、技術を磨く
杯・僧侶…心を癒す人、神秘・聖なるものとふれあう、精神を高める、交流、交際、受け入れ、浄化する、熟成させる
杖・農民…作る、創造する人、生み出す、育てる、開墾する、耕す、働く、力を入れる、運動する、行動する、守る、助け合う
玉・商人…サービスを提供し、利益を得る人、お金を動かす、稼ぐ、借りる、貸す、貯める、投資する、実利を見る
まあ、単純に、あなたが仮に、この4つの職業や仕事をする人のうちどれかならば、何を思い、何を大切し、どう動くか、でイメージすると、回答が得られるということです。
ゲーム的に、楽しんでやってみてください。
あと生徒さんには、小アルカナの読み方の多大なヒントを与えているつもりですから、自分なりに、ブログ全体から読み取ってくださいね。☆
※表側の絵柄 向かって左から、「杯」 「剣」 「玉」 「杖」 です。
タロットリーディングアドバイス企画
以前、タロットを使っている方で、自分自身のリーディング・占いはわかりづらいので、他人の観点や別のタロットからの視点がほしい方に、私からアドバイスするみたいな企画をいたしました。
それをふと思い出しまして(笑)、似たような企画をまたやってみたいと考えました。
今回は、マルセイユタロットのリーディングや占いをしている方限定での対象とします。
プロでもアマでも構いませんが、プロの方は、自分のやり方が確立されていることが多く、他人のアドバイスはむしろ逆効果のことがありますので、やはり、まだ自分ではタロットの見方に自信がないとか、駆け出しの方、アマチュア的な人のほうが、この企画には向いているかもしれません。
方法はZoomを使いまして、ご自分のタロット展開や図像、問いなどをご説明いただき、それについて、当方が私なりのやり方で、おなじテーマ(問い)について、改めて展開したものを参考に、アドバイス(私の観点での意見や感想)をさせていただきます。
マルセイユタロットを学習したけれど、リーディングについてまだ自信が持てない、一部のカードの解釈がうまくできない、自分の問いなので客観的に読めない・・・などお困りの方、私でよければ他人目線(笑)としてお使いください。
及ばずながらのところもありますが、一応、私は長い間、マルセイユタロット専門でやってきていますし、マルセイユタロットの講師でもありますので、素人さんや、ちょっと勉強しただけの人、独学の人、別のタロットを専門としている人とは違う意見は期待できると思います。(苦笑)
なお、普通にリーディングをを受けたい方は、まだ特別リーディング期間を継続中ですから、今、お申込みいただければ、大幅割引価格にて、本格的なマルセイユタロットのリーディングをZoomで受けられます。こちらについては、もちろんタロットを知らない人でも、どなたでも受けることができます。特別サービス期間も、いつ終了させるかわかりませんので、今のうちですよ。
◆マルセイユタロットリーディングアドバイス企画
●対象
マルセイユタロットを学習し、リーディングをしている人、リーディングをしたことがある人。プロ・アマ、自分向け・他人向け、有料でやっているか無料かは問いません。(とにかくマルセイユタロットのリーディングに挑戦したことのある人が対象) マルセイユタロットの種類(版)も問いません。※ウェイト版など、マルセイユ版ではないタロットは対象外です
●募集人数
1名
複数以上のご応募の場合、タロットによる抽選で決定いたします。
●内容とご提供方法
対象として決まった方は、タロットに対する問いと展開法をメールで画像付きでお知らせいただき、日時を調整のうえ、Zoomにて、一対一で話をしながら、お互いの見解を交換し、その問いについてのリーディングを高めます。
●応募方法・期限bk
このサイトの「お問合せ・お申込み」から、メールにてお願いします。(「お問合せ・お申込み」の、どの欄に書いても届きます) なお、簡単なマルセイユタロット学習・リーダー歴、お使いのマルセイユタロットの版名(カモワン版、グリモー版などの名前)をお書きください。お名前はご本名か、活動名でお願いします。(ニックネーム・仮名などでは受けつけいたしません)※応募の際は、問いや展開画像等はいりません。
応募期限は6/21(日)中までです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
変わりたくても変われない問題
人間の生活は選択の連続だと言います。
毎日、朝から晩まで、食べるものから着るものまで、人はあらゆることを選択し続けます。
それが習慣的になっていて、選択の意識はないのかもしれませんが、たとえ毎日同じことの繰り返しであっても、同じことを“選んでいる”ことには違いないのです。
ここに、選択による人生の違いを生み出すヒントがあります。
現状に何か不満があって、向上や違い・変化を求めている場合、それは昨日(今まで)と同じ選択ではいけないわけです。
当たり前のような話ですが、同じ選択をするということは、同じことを起こすことや、同じような状態を保ちたいからであり、それが無意識であれ、自分は同じ毎日を繰り返したい(変化したくない)と、心のどこか、あるいは自分の中のもうひとりの自分が望んでいるためだと考えられます。
例えば、命の危険など、本当に自分に危機が訪れた場合、このままでマズイぞと、何らかの違う対処や行動をするでしょう。
ということで、変わりたいと思っても同じことを繰り返している場合、変わりたい意識<同じでいたい意識と、右側が勝っている状態だと推測されます。
なぜ同じ状態の継続のほうが意識的に上回っているのか、これを分析すれば、意外と自分の変われない要因というものが明らかになるかもしれません。
まあたいていは、今、本当には困っていないから、改革するのは面倒でエネルギーを消耗したくないからというのが、結構、理由としてあります。
パートナーを持ちたい、結婚したいけどできない、別れたいけど別れられない、売上を上げたいけど上げられない、仕事を変わりたいけど変われない、独立したいけどできない、親と離れたいけれど離れられない・・・こういう悩みは実際に多いですし、タロットの相談でもよくあるものです。
これらには、現実的・実際的な理由とは別に、心理的・無意識的な理由があります。
しかし現実的な理由も、結局は心理的な理由に行きつくことが多いです。
要は不安との戦い、あるいは何かしらのメリットを得続けるため、保身のための弁解・理屈づけということがあるのです。
たとえ話をしますが、深い峡谷にかかっている、向こう岸に渡るための橋があるとします。こちら側は森になっていて、そこからあなたは来たのですが、向こうに渡る目的は、森の中に猛獣がいて、いつあなたを襲うかわからないため、向こうの土地に渡りたいと思っています。
ただ橋はボロボロで、今にも崩れ堕ちそうです。ぼやぼやしていると渡ることができなくなるかもしれません。
かと言って、このままま渡らずにいれば、いつか猛獣が襲って来る危険性もあります。どうしたものか、足が震え、結局、立ち止まったままです。
ここで、もしかすると猛獣はもう誰かの手によって倒されたかもしれないとか、そんなに猛獣は数としては少ないのたから、ここまで来ないかもしれないとか、何とか橋を渡らずとも逃げられるかしれないとか、そもそも猛獣がいるというのは思い込み(笑)だとか、今自分がピンチにいるからこそ(か弱い者だからこそ)、王子様とか戦士が現れて助けてくれるかもしれないとか・・・いろいろと自分の都合のよいことを考え、橋を渡る恐怖から逃れようとします。
森や猛獣はあなたが実際に見てきた、経験してきたことなので、たとえ恐怖であっても、まだなじみというか、理解ができますが、橋を渡ることは未知で、まだ経験していないわけですから、想像の域でしかありません。
すると、怖いこと、マズイ状況であったとしても、橋を渡るイメージ上の恐怖と比べればましだと考えて、渡らない選択のままに固定されることもあるわけです。
ここで、橋をきちんと冷静になって調べて、重さに耐えられそうだと判断できたり、橋ほ補強する何かの方法とかツールが発見できたりすれば、渡ることの現実性・リアリティも出てきます。また他人の助け(たとえば、向こう側の人が現れるなど)があれば、なおさら可能性は高まります。
新しい世界に移行することは、マルセイユタロットでは、「愚者「と「世界」でもっとも象徴されますが、総じて人物が右側に視線を持つカードが関係してきます。
それらのカードは、新しい次元や世界を拓くための象徴的意味合い、示唆が図像にこめられています。しかし、それら単体だけではなく、いわば、「愚者」と「世界」のセットのように、人物の視線も右と左のものが相まって、移行の確実さを表現します。
それはそれとして、結局、望みたい方向に行くためには、自分におけるメリットの天秤が入れ替わる必要性があるわけです。
簡単に言えば、現状以上のメリットが、選択する将来のものとして、特に心理的に見えてくるかどうかにかかっていると言えます。
逆に言えば、(望む)新しい方向や世界に行きたいのであれば、そちら側に行った時の具体的メリットが、現状を超える形、あるいは今受けているメリットを捨ててもいいと思える替わりになるものがあればよいことになります。
現状を超えるメリットは、たいてい変わりたい方向性には明確に見えているわけですが、それを実現するには努力とか恐怖とか不安、茨の道も想像できるので、橋のたとえ話のように、向こう岸(新しい世界)へ渡れなくなるわけです。
今の状態は不満で嫌だけれども、怖いことになるのなら、苦しいことになるのなら、まだ今のほうがましだとなって、踏み出させない選択をしてしまいます。
ですから、選択したい将来像への恐怖や不安を軽減していく、移行ステップ、アドバイスがあればよいことになります。「こうしていけば、そんなに怖さを感じなくても進めるよ」みたいなことです。
これは自分一人ではできないことが多いので、向こうの世界(自分の望む世界)にいる人、向こうを経験した人、向こうの常識を知っている人などに、助けてもらうとよいです。(手を引いてもらう、実は「愚者のカードにも犬がいて、一人ではないことが示されています)
もうひとつは、時間・スパンを長期にして選択を見直す、あるいは、地上意識(実際的な損得、非難賞賛から来る不安・恐れ)ではなく、天上意識から見直すという方法があります。
前者は、言ってみれば長い目で見る、一生から見るようなことで、後者は、神とか天からの目線で見るみたいなことです。
すると、どちらでもないとか、何を選んでも結局同じ(何を選んでも選ばなくてもよい)ではないかというインスピレーションが起きてきます。
タロットでいえば、四大元素・4組に分かれている小アルカナの世界から、それらを統合した大アルカナの世界に上昇するような視点です。(大アルカナにもレベルの区別はありますが)
結果に固執するか、経験を楽しむかみたいなものと言い換えてもいいかもしれません。
究極的には、一人一人の人生ですから、他人や世間のことより、自分が何がしたいのか、何を大切にするのかで、選択も決まってくるでしょうし、たとえ迷いに迷って決められなくても、天上的視点から見れば、その迷いこそがすでに選択であるという話もあるのです。それは「恋人」カードにも描かれている通りです。
選択には直感を信じるとか、本当の自分と会話するとか、いろいろとスピリチュアル的に、よい選択のやり方が言われますが、それらの方法は、実はなかなか漠然としてわかりづらいこともあります。
現実生活の場面、仕事や営利的なことでは、確かに選択の正解、間違いというレベルはあります。
ただし、それも天上的な意味では、間違いも正解もなく、また、エゴに従ったから悪いとか、直感や本当の自分の選択だったからよいとか、これさえも、別の視点からすると、そうとも言えないかもしれないのです。
ですから、いろいろと迷い、悩みつつ、自分なりに努力したり、情報を集めたり、学んだりしつつ、それでもわからなければ、まさ神にお任せでははないですが、なるようになる、迷いや間違いも「経験としての選択をしている」という感じで、選んだことに後悔しないようにだけすれば、案外と人生、うまく行く(そんなに悩まない)のでないかと思います。
本当に変わらなければならない人は、自分の意識にも変化が出てきますし、変化の必要性があるのに無理に留まっている場合は、環境的・肉体的に、強制的変化が要請されて実際に起きることが多いので、宇宙の調和・調整機能は普遍的なのだと気づかされます。
そして、変わらない選択をするのも、またあなたの選択のひとつで、それはそれでいいも悪いもないのかもしれません。
人は変われたようでも、実は何一つ変わっていない、本当の意味では変われないのだという説もあるくらいですから、変わることへの思いも強すぎると執着になるので、自然に任せるのもありでしょう。
小アルカナとリーディングの二方向
マルセイユタロットでは、大アルカナと小アルカナ(のうちの数カード)の絵柄はかなり異なり、特に小アルカナ数カードは、その記号的な絵柄もあいまって、なかなか読みにくいということがあるようです。
残念ながら、日本では、マルセイユタロットはいまだマイナータロット(苦笑)ですので、マルセイユタロットに関する読み方の本はとても少なく、独学は不可能に近いかもしれません。
また、マルセイユタロット使い・講師の方でも、旧タロット大学で学習した関係者、その方々からの流れの人が多く、いわゆる「カモワンタロット」のリーディングメソッド(カモワン流)が広まっていることがあるのですが、カモワンメソッドでは大アルカナが重視される傾向があり、小アルカナの扱いと読みについては簡略されていたところがありました。
私は旧タロット大学出身で、カモワンタロットから入りましたが、だいぶん前に独立して、オリジナルな道を進んでいます。
そのうえで、自分なりに小アルカナの読み方の方法を探求、実践してきました。その中には、おそらく、どの講座でも言われていない方法があると思います。
それはさておき、小アルカナにも、実は読み方としては、ふたつの方向性があります。
そのふたつの方向性は何かと言えば、昨年、同時期に書いたブログ記事に詳しいので、再掲しておきます。
つまり、タロットリーダー側がタロットの象徴性や意味を当てはめて読む方向性と、タロットの側からタロットリーダーに向けて、まるでタロット自らが、問いやテーマとして語りかけてくるかのような方向性です。
タロットを見るか、タロットから見られているかの方向性の違いと言い換えてもよいでしょう。
これを小アルカナにもあてはめることができます。
しかしながら、特に数カードは、記号的な図柄になっていますので、タロットからの方向性を想像するのは困難かもしれません。
私の生徒さんにも言っておりますが、小アルカナのリーディングには、まず慣れが必要です。
簡単に言えば、小アルカナと仲良くなる意識と言いますか、感覚です。
人間でも、相手のことで苦手意識があれば、あちら側に伝わり、ますますコミュニケーションが取りにくくなります。
ですから、小アルカナと親しくなり、日常使いできるようになっていくのが大事です。それは読むのではなく、慣れるということであり、何かメッセージを得ようとか、リーディングして意味を見出そうとか、意識を向け過ぎないことです。
それより、最初は、戯れのように、小アルカナと遊ぶことがいいのです。
そして、4組ごとのイメージを持つようにします。具体的には、数カードならば、剣・杯・杖・玉(ソード・カップ・ワンド・コイン)の10枚セットごとに、それぞれの組(つまりは四大元素になりますが)を全体でとらえるようにします。
すると、先に挙げたふたつの方向性のうちのひとつ、タロット側から見られている意識のようなものが、数カードからでも浮かぶようになってきます。
大アルカナでは、カードを使ったタロット瞑想というのは、割とメジャーですが、小アルカナを瞑想することは、あまり言われていません。
でも、小アルカナでもいいわけです。
私は小アルカナをアクティベートすると言っていますが、小アルカナを活性化しないことには、なかなかリーディング、いや、リーディングすること、読むことを、カードが助けてはくれません。
タロットリーダーとして、忘れがちなのは、タロットの声を聴くという感覚であり、学習してタロットに慣れてくると、思考と論理性、つまりカードの意味を問いに当てはめようと、ガチガチになってくる傾向があります。
むしろ、最初の頃の感覚、タロットとお友だちになろうとしていた時のあの感覚を思い出すことです。
また、絵がないとイメージできないというのは早計です。
それは視覚を強調しすぎるからでもあります。人間には、五感としての視覚以外の感覚もありますし、第六感といわれるような、不思議センサーもあると言われます。
もちろん、タロットは図像ですから、小アルカナと言えど、視覚から入るのが当然です。
しかしその視覚から入ってきたものを、別の感覚に置き換えることで、絵からだけではない何かをつかむことができます。
小アルカナの数カードは、視覚にウェートを置きすぎる感覚をバランス化したり、調整したりすることにも役立つのです。(ゆえに4組に分けられています)
自分がタロットを見て、必死で読もうとするのではなく、何も浮かばない、意味がわからない・・・といった状態に陥った時、方向性を反転させて、タロットから自分が見られているという感覚・空間にして、タロットが自分(タロットリーダー)全体を包み込むかのような雰囲気にすると、あなたはタロットの世界に参入したようになり、カードの声を聴きやすくなります。
それは顕在意識の停止・死のような感覚であり、自我というのもを手放すのにも似ています。平たく言えば、読み(読もうとする意識)のあきらめ、お任せみたいな感じです。
しかし、矛盾するような話ですが、だからと言って、まったくの無知識では、何も機能せず、ある程度の理性・知識があってこそ、そうした通常の思考方法とは別の世界があることに気付くようになるのです。
言ってみれば、光のためには闇が必要であり、そのまた逆も言え、二元性質の理解(きちんとした区分け)によって、一元(二元の統合次元)が見えてくるわけです。
だから、別のものを分離する認識力は、知性から生み出されるのです。
要するに、ただタロットを眺めていても始まらず、ある程度、勉強しないとだめですよ、ということです。(笑)
「恋人」から「審判」へ
日本では、「空気」を読む、読まないということがよく言われます。
民俗学的に見ても、ムラ社会の続いた日本では、共同社会の中で、そのムラのルール・慣習・伝統、そして雰囲気さえも感じて守って行かないと、なかなかうまく暮らせなかったことの影響があるのではないでしょうか。
これは日本においては、特に農村社会が主であったがゆえに、同じ土地に留まって、皆で助け合いながら生きて行かねばならない環境の村落共同体では、自然の成り行きだったかと思います。
和を乱す者や、空気の読めない輩がいれば、それだけで共同体の維持が難しくなり、ムラの乱れは、集団の意識や環境の変化を生み、それは場合によっては、生死の問題に直結することもあったでしょうから、仕方なかったと言えます。
ただ、かつては、そうした閉鎖的ともいえる中でも、無礼講的な、ハメをはずことが許さる行事(お祭りなど)が施されていましたし、年齢層や男女別の集団などによって、いわば悩み相談、異端的な者への教育なども行われていましたので、バランスは取れていたところもあったかと思います。
やがて、都市社会化が進み、人々は住む場所と働く場所が変わり、生活の糧も間接的に得るようになりました。
しかし、共同体的な仕事のやり方は、昔から生活の場にあったわけですから、まさに人々の精神に染み付いた感じになり、たとえで言えば、まるで遺伝子的に受け継がれてきたように感じます。
だから、生活の場(家)から離れた職場であっても、そこに昔のムラ社会の掟やルール、集団での同調性・協調性の雰囲気が精神的に維持され、日本人らしい働き方が、そのまま時代は変わっても定着していたのだと推測されます。
極端に言えば、村長、年長者のいうこと守らなければならない、先輩・経験者によるものは正しい人の意見である、みたいなことで、その村長が上司とか社長に変わっただけなのです。
ゆえにサービス残業とかパワハラとかが、まかり通る社会が、ある面、続いていたと言えるでしょう。
しかし、時代は変わって行きますし、環境の体制も変化します。
それでも、長い間、集団の力で仕事と生活を動かす、保証するという精神的なルールと言いますか、雰囲気、もしかすると、ミームという言い方をしてもよいのかもしれませんが、その変化はとてもゆっくりだったように思います。
ところが、このコロナウィルスのインパクトによって、急激に変革が強制的になされようとしています。
そり最たるものは、オンラインでのテレワーク化の進展です。
今までは、同じ場所に集まって仕事をこなすという形式が普通でしたし、むしろ、それが強制的でもありました。
この形が、先述したように、ムラ社会の特徴を受け継いでいたものであることはわかると思います。
テレワーク化が進むことで、職場に直接的に集まらなくなり、たとえ組織としては同じ会社・チームで所属していても、実際は、おのおのが自宅などで、オンラインを通して一人一人、独立して仕事をするようになったわけです。
こうなると、その場で直接的に動く、関係する、関係させられるというものがなくなります。だから、直接的な協力体制、悪く言えば、強制的命令・指示の影響が弱まるだけではなく、集団の空気を読むことさえ、しなくてもいいことになります。
集団では、結果よりプロセスとか所属意識、同調することが重視されることもあります。
企業としては利益という成果・結果を生み出さねばならないはずが、結果よりも、仕事のやり方とか、協調性とか、従順性とか、それが大事にされることがあるわけです。
もちろん、組織である限り、チームワーク、目的達成のための集団による協力的な効果は無視できず、組織マネージメントも大切です。
しかし、あまりにそれが強くなりすぎ、目的のためより、チームのためが先という、本末転倒になったり、空気を読まねば集団から排除されるという、独立的な人、個性的な人、または敏感過ぎたり、逆にあまり周囲のことが気遣えない気質的な要因をもっている人には、つらいところがありました。
そのような人は、結局、独立・起業を選ぶか、そのようなスキルとか意欲が持てない人は、社会からはじき出され、誰かの保護下に入るか、社会保障制度に頼るか、あるいは、フリーター・派遣社員のような働き方で、点々と職を変えるなどして、なんとか自分が保てる生き方を模索するしかありませんでした。
かつて生活の場と仕事の場が直結して同じだったムラ社会にあっては、仕事ができない者であっても、生活の場としての助け合いがあり、それなりの保護体制もあったと言えます。
しかし、現代では、職住の分離と、貨幣・金融経済が進んだことで、仕事によってお金を稼げないものは生活もできないとなってしまったわけです。なのに、仕事場は、精神的には、ムラ社会のルール引き継いでいる状態です。
そうした状況が長く続いたわけですが、今年からは本当に変わった、いや、変わらされてきたのです。
ムラ的とも言える集団的な協力体制で、空気を読みつつ行ってきた仕事・職場が、一人一人の空間と時間で行えるようになり、一応、会社や組織としては存在はあるものの、物理的な集団・チーム・組織は弱くなり、ネットワークでつながっている個人という感じで、中世のギルド的な様相ながら、まったく新しい働き方、組織のあり方になるかもしれません。
ここで、やっとタロットの登場ですが(苦笑)、この変化は、マルセイユタロットの「恋人」カードから「審判」のカードの上昇のようにも思えます。
「恋人」カードは、三人の人間たちが話し合っている(その名の通り、恋愛関係を示唆しているとも取れるのですが)ように見えます。
人々の距離は近く、直接話し合える近さです。だから、この人たちは、まさに、物理的に直接的に会話できるような組織とか関係性を示すと考えられます。そうした直接的コミュニケーションと距離が重要なわけです。
一方、「審判」のカードとなりますと、「恋人」カードと同じように、三人の人物はいますし、距離は近い感じはするのですが、人々は裸であり、上空の天使を見ています。(それぞれの視線を追うと、全員天使に気づいていることがわかります)
一方の「恋人」カードの人物たちは服を着ており、上空の天使(この場合は小さい天使で、キューピッドでもあります)に気づいていません。
これらのことには、明らかな対比と象徴性の意味が隠されているのですが、詳しくは講座でお話するとして、ここでは、コミュニケーションの質や方法が、この二枚では変わっていることを指摘しておきます。
いわば、オンラインを通したネットワークでコミュニケーションするのが「審判」だとすると、旧時代のような、直接的コミュニケーション、集団的関係性を表すのが「恋人」と言えるでしょう。
これからの時代、組織に属しながらも、自分というものを大切にした働き方がもっと進むでしょう。
集団で作業するにはつらかった人や、なじまなかった人、さらには、自閉スペクトラム症と診られるような人でさえ、働きやすい体制が整えられてくるかもしれません。それは、人によっては、とても希望が持てます。
また、集団圧力や、上司や同僚との関係によって、仕事そのものよりも、人間関係で悩み、苦しかった人にも朗報となります。
上司からの命令は、テレワークでも、もちろんあるでしょうが、直接的に顔をつきあわせているのと、そうでないのとでは、影響力が違いますし、実際に接触する時間自体が少なくなりますから、心理的負担は軽くなると思います。
目に見えない世界では、人々の仕事の苦しみ・ネガティブな思いも、全体として溜まっていて、それが連鎖したり、他人にも影響を及ぼしたりしていると考えられますから、それらが少なくなれば、思念の重さは軽減され、人々の心の浄化や気づきも増して、社会全体も、いい意味で軽く、フレキシブルになると考えられます。
平たく言えば、これからはマイペースで仕事ができ、人から邪魔されることは少なくなるということです。
かつてよく言われた、「仕事のやり方は、(人に聞かず)盗んで見て覚えろ」みたいな、奇怪ともいえる指導方法も、オンライン・テレワークでは、ますます意味不明なことになり、教える側はきちんと文章なり画像・図面なりを見せたり、送ったりなどして指示しないとダメですから、そういう、妙ちきりんな指導も減ると思います。
こう考えると、世の中の流れは、霊的な意味で、真の個人の独立に向けて進化が加速していると見えます。
そして、個人の独立性を獲得しつつ、同時に必要に応じて、それぞれの能力や知恵、個性を皆で活かしあう(補い合う)という、ネットワーク的な、流動的かつ自由的共同(協力)性も築かれる流れにあるでしょう。
それは、自立型共生社会とでも言いましょうか。
そんな方向性に、実は、コロナウィルスの影響でも、向かっているのだ考えるこができるかもしれないのです。
前に「節制」への社会移行について書きましたが、「恋人」「節制」「審判」、このどれにも天使がいます。
最終的には、天使が描かれている、もうひとつのカードである「世界」として、完成に向かっていくのでしょう。