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こちらの記事は、アメブロで書いた記事をそのままアップしています。

それで、アメブロのほうでは、同時期(年は違えど、同じ月日に近い時期)に書いた過去記事が、自らのホーム画面に表示されるようになりました。

ところで、私のブログ記事は、計画性をもったり、計算したりして書いているのではまったくなく(苦笑)、その日、その時、マルセイユタロットを素材として思いついたことを書き綴っています。

ですから、記事をアップすると忘れていることがほとんどです。

時々、講座の受講生から、「いついつのあの記事は、面白かったです」「その話は、ブログ記事に書いていたものですよね」とか言われますが、自分では先述したように、覚えていないので、「そうでしたっけ?」みたいに答えて、不思議がられます。

思えば、すでにかなりの記事を書いておりますので、整理しようにも大変で、そのまま放置しております。(笑) 中には奇特な方もおり、「全部、記事読みました」と言ってくれるありがたい人もおられますが、もう、ほんと、ありがたいですし、その労力にびっくりです。

ともかく、アメブロの機能により、過去記事を自分が再度読む機会があって、でも内容は忘れているので、逆に新鮮な気持ちになり、また当時とは考えやレベルが変わっていることもあって、それに付け加えたり、補足したりしたくなることも出てきました。

それで、今日はそうした過去記事を再アップしたいと思います。

で、今の私からこれを見ますとですね、この記事からさらに別の焦点が言えるのですね。

この記事では、何らかの貢献感を持つことによって、自分の存在を濃く(実感)することで、生きづらさを軽くする、少しでも自分が生きていく価値を見出すことを述べています。

つまりは、空虚感は、存在感のなさにあると言っているわけです。(こう書けば当たり前みたいな話ですが)

モノやカタチの希薄な世界、例えば霊的な世界のようなところでは、おそらく空虚な存在であってもいいと思います。いや、むしろそうなるのが普通なのかもしれません。

ですが、現実とは、モノやカタチがはっきりしている時空間です。ここで自分がその他大勢、誰でもない何かみたいな、空虚な存在であると思ってしまうことは、まさに命取りになりかねない危険性があります。

まあ、関西弁で言えば、現実とは、存在感あってナンボの世界ですわ。(笑)

存在感とは何かと定義すると、いろいろな考え方があり、難しい部分もありますが、要するに個性とか、心理的には自我(エゴ)と言ってもよいのではないかと思います。

マルセイユタロットでも現実の階層を示すとされるカードは、人としての個性が絵で見られます。ただし、「悪魔」とか「13」とか、「神の家」などは、時に現実を超えたレベルにありつつも、強烈な個性がありますよね。ここは結構、重要な示唆だと思います。

話を戻しますが、ひとつの考え方として、現実での存在感とは、スピリチュアル的に言えば、波動の強さみたいなもの(粗くあっても、強いもの)ではないかと推測されます。

従って、前にも書いたことがあるのですが、自分の存在感が薄く感じて、現実に適用しにくくなっている場合、潜在意識のようなものが危機感を覚え、自分が自分だと意識できる状況を創り出してしまうわけです。

それが「問題」であり、簡単に言えば、「自分に強くフォーカスし、自分の強い波動を出さざるを得ない状況にする」のです。病気だとか、経済問題とか、人間関係とか、およそこの世の悩みは、そうした自己の存在感を自分自身に訴えるために、出てくるところがあると考えられます。

いわば、マイナスの自己アピールです。だったら、プラスの自己アピールになればよいわけで、ここの発想の切り替えができれば、だいぶん、自分と現実の関係も、よい意味で変わってくるのではないかと思います。

スピ系や心理系に傾倒し、まじめな人は、エゴをなくそうと努力しがちですが、それが逆効果のこともあるのです。自分が希薄で自己存在感を低くくしてしまっている人(自尊心にもつながります)、まずは、エゴを高めたほうがよい(よい意味のわがままを出す、自分の本当の気持ちを大切にする)こともあります。

単純に「私はこれが好き、私はこれが嫌い」という二極の波動を出せば、その波の振幅は大きくなりますから、強い波動になるでしょう。えっ、分離が怖い? 争いが怖い? いやいや、調和するのと、支配されるのとでは違いますからね。

支配されていては、支配するもの・されるものの、それこそ二極構造を増長させていることにもなるのですよ。ますは自分を強く回復させることから始めましょう。

 

関連過去記事


違うものが同じに見える「∞」

2020年も、早くも10日近く過ぎようとしていますね。

わざと、あせるような見方で書きましたが、逆に言えば、まだたった10日程度しか経っていないわけです。

前にも書きましたが、マルセイユタロットの大アルカナを数の順で見て、21の「世界」から見るか、1の「手品師」から見るか(ちなみに「愚者」は移動していく存在そのものとして考えます)の視点によって、変わってくることを言いました。

つまり、ゴールから見るか、出発点から見るかの違いであり、時間的に言えば、終わりから見るか、始まりから見るかになります。

まあ、実は、マルセイユタロット的に言えば、終わりも始まりもなく、循環するもので、ゴールかと思えば出発でもあり・・・という不思議なことになってきます。それをひとつの図形で象徴したのが、「∞」の図です。

そして、マルセイユタロットの、特に始まりや終わりを示すと考えられるカードには、それが描かれています。(言われないと気づけないものもあり、これらは秘伝的にもなります)

通常、始まりと終わり、出発とゴールが同じなんて発想や見方はできません。それは私たちが、運動について、直線的なイメージを持ちすぎているからで、しかも三次元的な時空の思考とでもいうべき感覚に囚われてもいるからです。

普通、どこかに行こうと動いた場合、最初の動いていない地点が出発点であり、着いた場所がゴールということになります。

しかし、別の見方になってきますと、これが、着いたところが元の出発点だった・・・ということになります。(笑)

とすれば、その人は、まったく動いていなかったのでしょうか?

そうとも言えますし、違うとも言えます。

例えば、自分が動くのではなく、周囲が動いていたとしたらどうか?です。

言わば、バーチャルゲーム空間みたいな機械の中に入っていたり、3D投影メガネみたいなものをかけたりして、自分が動いているように錯覚していた(景色のほうが動いていた)と仮定すると、出発地点は当然ゴールとイコールになります。

もうひとつは、「∞」の図形からヒントを得た見方で、この図形の中心点が、自分のまさに中心点であり、常にここが基準だと考えます。

そして、ある地点に移動する場合、この中心点から、右か左かに、ループを描く線のままに進んで行くとしますと、いつの間にか、ぐるっと回ってまたもとの中心点に戻ります。

この輪を通っている過程が移動している実態だとすると、やはり、私たちは必ず中心点である出発点に戻ってくることになり、そして実はそこは、移動している者からするとゴール地点の感覚にもなっています。

さらに言えば、この中心点が立体構造のようになっていれば、ぐるっと回って中心点に戻ってきているように見えても、立体なので、ちょうど螺旋階段を上ったり下りたりしているように、空間的には別の位置へと来ていることになります。

もしかすると、元の中心点の位置であることを忘れてしまっているかもしれません。(例えば、階段の上下みたいに、上から覗くと同じ地点ではあるけれど、自分は二階に来ているので、別の場所にいると思うようなもの)

一度、自分の中心、元の場所には戻ってきてはいるのですが、いつの間にか、新しい出発が始まっており、次なる旅に進んでいるわけです。それはまた、今まで通った輪、ループからすると反対側、逆のものに入っていくことにもなります。

こうして、私たちは、いつも中心を通りながらも、移動している自分自身は、「ずっと前に進んでいる」「かつての場所はもう遠くに離れている」直線的に感じてしまうわけです。

「∞」の見方からすると、まったく同じ場所ではないにしても、進み方は同様であり、出発点とゴール、始りりと終わりは(次元は異なっていても)同じであるという考え方ができるのです。

ただし、螺旋階段の上り下りのように、それ(階段の階層)をレベルや次元と考えれば、私たちは、同じような道を辿りつつも、成長や後退を繰り返していると言えるのかもしれません。

さきぼどのバーチャルな見方を入れますと、この世界はまさにバーチャルゲーム空間のようなものであり、私たち自身が移動しているのではなく、周囲の景色が、私たちに移動させているように思い込ませるために動いているという発想が出てきます。

この移動を「(人生の)経験」と言い換えれば、私たちが経験することは、すべて周囲がさせていることであり、私たちの本分、本質は、何も動いていない、ことになります。これは経験させる自分と、経験させられている自分との、ふたつの自分がいると見ることが可能です。

これが分離であり、現実の仕組みと言ってよいのかもしれません。

となれば、その分離が統合すれば、移動する自分と移動させている自分の境がなくなり、結局のところ、自分はここにいる、すべてを仕組む本当の自分との出会いを果たす(戻る、回帰する)ことになるでしょう。

しかし、ゲームとして楽しんでいるとするのなら、わかっていても、ひとつに戻るのは野暮な話なのかもしれません。(笑)

ゲームとしての楽しみではなくても、きっと、霊的には、こうする理由が必ずあるはずなのです。

それでも、自分を錯覚させながら、自作自演で右往左往するレベルの楽しみ方は、もう卒業していくような新たなゲーム段階もあるのだと思います。そして、そういう時代に、人類全体が目覚めようとしている気がします。

言ってみればゲームのバージョンアップです。もう皆さん、戦闘や支配もの、戦いに明け暮れ、誰かが多くを支配し、勝利したものが利益や欲を叶えるみたいな、ネガティブな意味で、ドキドキするような世界は飽き飽きしていませんか?

そういうゲームの楽しみ方は、だいぶん螺旋階段の下のほうの世界ではないかと思います。螺旋階段は、同じ構造ではあっても、次第にレベルが上がれば、輪自体が拡大していくものと考えられ、それだけ世界観が大きくなるのです。多様性が増すと言ってもよいかもしれません。

ですから、今までのような支配型ゲームがお好きな人はどうぞそれで、ということもありはするでしょう(螺旋階段を直線に降りる道もあるのかもです)が、もっと別の楽しみ方のあるゲームも、拡大した輪の中に入ってくるはずです。人々の意識が変わってくるのも当然になるでしょう。

ところで、「∞」の象徴図は、これにひねりをさらに加えれば、メビウスの輪になります。

メビウスの輪になれば、裏側の世界も通って(経験して)、元の中心点に来ます。ただの∞構造では、始まりと終わり、出発とゴールが同じでしたが、メビウスの輪になれば、表の世界と裏の世界の統合も(同一性)も出てくるわけです。

左右の輪と、表裏で、四元構造とも言え、それらが何を表すのかを想像すると、意識が変わりそうです。次元的には三次元を超えて、四次元以上を考える世界ですね。

マルセイユタロットで描かれていると言われる教義のひとつ、グノーシスは、神と人の同一性を説くものです。普通なら、三次元感覚にいる私たちには全く考えも及ばないことですが、それでも見方を変えれば、確かに、人と神は同じとなる次元があるのかもしれません。

いやはや、本当に、マルセイユタロットの象徴(図)は、面白いものです。


タロットによる夢や願望の実現

皆さんは、タロットで夢がかなえられると思いますか?

私からの答えは、イエスとも言えますし、ノーだとも言えます。(笑)

ただ、世の中にいろいろな願望実現法、夢をかなえる方法が披露されていますが、やはりタロットを使った方法もあると述べてもいいでしょう。

少なくとも、何もしないよりかは、確実に実現に向かって進展します。これは自分の例からしても、断言できます。

まず、タロットは、絵のカードであり、視覚効果が非常に高いです。

しかも、その絵柄は、特にマルセイユタロットの場合、ある特別な幾何学的計算と配置によって描かれており、特殊な力が働くと見てよいものです。

なおかつ、絵の細部まで意味が込められており、一枚一枚の絵柄は無目的に描写されているのではなく、見る者、解釈する者に何らかの力が宿るように配慮されています。

よって、タロットの絵(つまりはカードそのもの)と自分の夢をリンクさせていくと、自然に視覚を通して夢が自分の中に入ってくるようになり(夢の再認識であり、無意識に入ることでもあります)、日々雑然として、忘却してしまいがちな願望・夢に向かって、ほとんど意識せずに進むことができます。

それには、カードの象徴性や意味を、知識で理解するだけではなく、感情や体験として味わっておくことも必要です。

なぜなら、臨場感がカードを見るだけで違ってくるからで、その感覚こそが、夢の実現にも関係するためです。

あと、これは西洋魔法的な技術になりまずか、タロットの瞑想をすることで、ある別の次元とつながり、自分の理想的な選択を見せてくれたり、時間を超越して可能な未来を引き寄せたりします。

これは、心理的には、自分の中の願望を画像のように心に投影させて焼き付け、さきほど述べた臨場感、あるいは現実感を増して、実現を阻むブロックをはずしたり、未来を明るくイメージさせたりしているものと考えられますが、サイキック的にはまた別の意味があると想像されます。

言ってみれば、あえて、メルヘン的な言い方をしますいが、タロットの精霊が願望実現の手助けをしてくれるようなものです。

自分には無理だと思っていても、タロットの精霊は、時空や次元の間を行き来きする力を持ち、実は潜在的に可能で、輝かしい未来像、今の限界を突破したあなたというものを見せてくれるわけです。

人間は想像ができないと、「創造」ができません。つまりはイメージしたこと、思ったことが実現の元になるわけです。このことは、「女帝」と「皇帝」のセットでも示唆されます。

逆に言うと、思えないこと、想像できないことは、叶うことはほとんどありません。(例外はあります)

タロットの精霊は、あなたが思いもしなかった、想像であり、創造の世界を見せてくることがあるのです。それによって、新たな世界の、実現への扉が開かれることもあります。

しかしながら、現実時空に生きる私たちは、ただ思うだけでは、実現が難しいのも事実です。

ふわっとした夢想的なもの、なんとなくいいなあという淡い思い・・・などは、イメージしても泡のように消えてしまうわけです。

もしかすると、そうしたものも、別の次元では実現しているのかもしれません。いや、すでに、イメージの世界においては現れたので、実現はしているのです。

ところが、この現実空間に現れるのには、それだけでは足りないことになります。現実にするためには、次元を下降(移動)させ、物質化していく必要があります。

そういうと、かえってわからなくなりますが、要するに、願望や夢にリアリティを得るため段階が必要です。リアリティは現実感です。厳密な客観的な「現実」とはまた別ですが、現実感(リアリティ)は感覚なので、本人の思い・感じ方が重要となります。

ですから、リアリティを得るためには、個人差があるわけですが、そうは言っても、あまりに一般的に現実離れしていては、リアリティを持つことは困難です。

結局、「現実」と言う言葉があるように、夢や願望が現実化できる具体策とか、実際の方法、過程などが、やはり普通の人では大切になってくるのです。

これは「法皇」の説く、ステップのようなものです。

自分が夢に上がっていくというより、夢を自分の現実フィールドに降ろしていくと言い換えてもよいでしょう。

そのためにも、まずは最初に、イメージと創造がなくてはならず、それが単なる妄想、たわいもない夢想に終わらないよう、タロットの絵や精霊による自分への同化のような作業がいります。(タロットを使う場合)

そのあとは、実はタロットにも、現実に降ろす段階が描かれていますが、かと言って、タロット任せにしていても、実現するわけではありません。(自然に任せていて実現する人もいます、これはタイプにもよります)

やはり、その段階を、実際に現実の中で行動していくことが重要です。それは、自分の中で、夢が次第にステップを刻みながら、あるいは、情報を拡大しながら、リアリティを持ってくることだと言えます。

本来はこうした努力が必要ではありますが、とにかく、簡単な方法で効果があるとすれば、やはり、自分の夢や願望を、一枚のタロットカードで象徴させ、その絵を毎日見て、叶ったこと(叶いつつあること)をイメージしていくことですね。

私は、昔、「愚者」の絵を見て、「愚者」の袋にタロット道具を入れて、自分が移動しながら(出向いて)タロットを人に教えていくイメージをしていましたが、それは叶っています。

いいですか。タロットを単なる絵と見てはいけません。そこに命が宿っているかのように見ることです。つまり、自分の姿を、生き生きと、タロットに見ることなのです。

時には、タロットからのインスピレーションも出てくるかもしれませんし、何か願望を阻むような思いも浮上してくるかもしれません。人によって、感じ方は様々です。

前向きにポジティブに思うことが願望実現では推奨されますが、マルセイユタロットを使った場合、浄化や成長の意味で、ネガティブな思いも出ることがあります。それを無視したり、無理矢理、抑圧したりしないことです。

また、思っていたのとは違う実現の仕方もあります。それでも、あなたにとっては、霊的な意味では、進化や成長であることがほとんどです。(「神の家」に象徴されます)

そうして、少しずつでも、あなたは、夢(顕在意識とは別の自分の夢の場合もあります)に向かって進むことになるでしょう。


2020年のはじめに。タロット展開あり

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2012年頃より、スピリチュアル的には何かと「変化(する)」と言われることが多いですが、2020年は一般的にも「変化」を実感する年となるのは、間違いないような気がします。

そして、お正月に、日本人か習慣的に言っている言葉、私もさきほど書きましたが、「明けましておめでとうございます」というのは、よく考えますと、アセンション(次元上昇)的な言葉でもありますよね。

「明ける」とは、葛藤や闇が明けるという象徴としてとらえることができ、一人一人が覚醒し、全体としても目覚めて、結果、おめでたいことになるという、ある意味、予祝(あらかじめ祝って実現性を高める)的な言葉とも言えます。

ということは、今、その言葉を普通に言える時期でもあるので、文字にしたり、自分で言葉にして言っておいたりするのも、先々、よいことではないかと思います。

さて、一年のはじめには、タロットをする者にとって、やはり、タロットを引かないわけには行かないでしょう。

私自身は、すでに、冬至のポイントで、新たな年を意識したカードを引いておりますが、一般的には、暦のうえでの年明けに引いてみる人が多いと思います。

そして、タロットを引いたあと、そのカードをどう扱う(読む)のかが大切です。

まあ、お正月ですし、今年を占いたいという気持ちは皆さんあるでしょうから、「占い」として、引いたカードを解釈するのもよいでしょう。

占いで見るというのは、「今年はどんな年になるのか?」とか、もう少しテーマを絞り、「今年の恋愛運、金運、仕事運、健康運」など、いわゆる占いの人気テーマ(ということは、多くの人にとっては、実生活上気になるテーマだということです)で問うような形です。

もちろん、これにもタロットは応えてくれるやり方があります。

しかしながら、私からお勧めするのは、占い的な質問よりも、能動的、言い方を換えれば創造的な読み方や解釈をする方法です。

それも、結局のところ、質問によって変わります。

例えば、「私は今年、何を達成すればよいのか?」何を癒せばよいのか?」「成長するためには、何が必要か?」「どのような人間になるべきか?」「私が力を入れて取り組む分野は何か?「何から始め、どういう形で終わればよいか?」・・・などの問い方です。

あと、自分がタロットに問うのではなく、タロットのほうから自分に問いかけているとする見方もやってみるとよいかもしれません。

これは、タロットの象徴する意味や内容が、自分のテーマとして問いかけられているとする方法です。

仮に「恋人」カードが出て、恋愛がテーマだと見た場合、占いならば、恋人ができる・できないとか、相手との関係性などをカードから読むかもしれませんが、カード側からの問いかけとして考えると、「あなたは恋してますか?」「キューピットをただ待っていませんか?」「恋人にあらぬ疑いをかけていませんか?」「あなたの選び方を、もう一度ふりかえってみましょう」など、カードから質問がいろいろと出てきます。

まさに、カードと対話するかのようなものです。

このような手法は、なかなかすごい力を持っていまして、心理的には自分との会話にも相当し、霊的には別の次元の自分とのコミュニケーションや調整、覚醒にも関わってくるものなのです。

タロットで自己占いをされる人もいるとは思いますが、やってみるとわかりますが、これは難しいのですね。

だいたい、極端なネガティブか、ポジティブな読み方になってしまって、中立的な解釈ができなくなるのです。

だから、逆に考えまして、そもそもタロットで自己占いはできないと考えたほうがよいのです。

ならば、占いではない自己活用を、ということになり、その数ある方法の中の一つで、強力なのが、タロットとの対話と言えます。

むしろ、タロットはそのように(占いではない自己に)使うのが本筋かなという気がしています。

タロットは、目的達成や自己成長のための、一種の質問箱であり、とても整備されたアシスタントのようなものなのです。ただし、その活用の方法を知らないと、宝を宝として発動させることは難しいです。一言で言えば、(タロットの)象徴への理解です。

 

・・・まあ、なんだかんだ言いましても、やっぱり、「今年のタロット展開」は、人が引いたものでも見たいですよね。(笑)

では、年末にやったように、三枚引かせてもらいます。

今回はスリーカード(三枚引き)の方法でも、ちょっと違ったやり方です。まず、一枚を引きまして、それを中心として、左右のカードを一枚ずつ引きます。その左右のカードは、ともに入れ替えが可能なカードと設定し、人によって、左右が違うという形にします。

要するに、三枚セットのふたつのパターンがあるということです。

どちらがあてはまるかは、各人の判断です。ただマルセイユタロットを知らない人にヒント(三枚をセットにして見た、簡単な象徴的解釈の一文)だけ書いておきます。でも、結構見たまま(カードからのインススピーション)が重要ですよ。

※タロットの大アルカナの数と名前を表記します。

 

●2020年 パータン1

「15」「14」「6」

悪魔、節制、恋人

悪魔のような束縛から救済され、自分の居場所や、よき人々の中に回帰し、新たなつながり・愛の関係性を得る。

 

●2020年 パターン2

「6」「14」「15」

恋人、節制、悪魔

人に依存したり、承認を求めていたりしていた意識に愛が注ぎ込まれ、悪魔のような強い自分への自信を回復させる。

 

なお、とぢらのパターンも、自分がそうした救済の役割をする側に回ることもあります。

 

皆さまにとって、本年がすばらしい年になりますよう、お祈り申し上げます。


タロットによる一年の整理

いよいよ、今年も残りわずかですね。本年最後の記事になります。

皆さまにとって、今年一年はどんな年だったでしょうか?

たいていの人は、年初に何か目標を立てたり、今年はこうなってほしいとか、こうするぞ、みたいな決意で臨んだりしても、数か月もするとそれは忘れ、日々に忙殺され、気が付くとあっという間に一年が過ぎてしまいます。

特に、最近は時間の進み方が速くなっていると言われ、年齢が上がれば誰でも速くなるらしいのですが、若い人でも、このところは時間の進みの速さを感じているようです。

ですから、ほんと、ここ数年の一年というのは、あっという間感がすごいのではないでしょうか。

ということで、そうならないように、よく言われるのは、目標を紙に書いたり、意志や意図を明確にしたりして、無為に一年を過ごさないよう計画的に過ごすことが重要だとされます。

まあ、それはもっともなところもあると思いますが、この世と言いますか、現実世界の特徴としては、個性・個別の世界(個人の価値観の世界と言ってもよいです)であり、いわば、それは人の数だけあるわけですから、それ(この世の仕組みの意図)を汲みしますと、どんな生き方をしてもいいのではないかと思います。

もちろん、皆で社会生活を営んでいるわけですから、ルールや法律を守ること、人に過度に迷惑がかかるようなことはしないのは前提として、です。

この世は、制約・束縛は多いものの、だからこそ逆に、個人の自由意志・自由選択が試されてもいるわけです。

ですから、「私は、俺は、一年、生きたいように生きる」とか、「行き当たりばったりでもいい」「無計画でも、その時その時楽しめばOK」と言うのも、人によってありだと思います。

ところが、この世は、自由で個性的であるがために、人をコントロールしたいとか、自分の都合のよいように他人を支配したいみたいな人たちもいるわけです。

人間、自分の価値観や幸せ観に基づき、この世を生きようとします。

ある意味、個性における自己実現を全員が目指す場と言ってもいいかもしれません。善人から見た悪人の価値観や幸せ観というのは、真反対かもしれず(おそらくそうでしょう)、その人たちの自己実現は、まったく普通の人や、善なる人から見れば違うのだと思います。

そして話が戻りますが、何も考えずに日々を生きようとすると、そのような、人の支配とコントロールが生き甲斐(笑)みたいな者、グループ(類は友を呼びます)の鴨にされる場合があります。

ただ、自我(エゴ・個性)を強烈に持ち、誰にも負けない「自分」という自信を持っている人は、すでにかなりの自由性を獲得していると言え、おそらく、他人の支配は受けにくいはずです。

結局、「支配」の場合、自分より影響力が強いか弱いかによることがあり、それは見えない部分での精神エネルギーのようなものも含みますので、個としてのトータルなものが、縄張り争いしているようなものなのかもしれません。

しかし、個だけではなく、グループや組織を組まれると、また影響の力は変わってくるでしょう。(個が弱い者でも、組織の力を借りれば強くなる)

それとはともかく、皮肉な話ですが、エゴが強ければ、人は意外に自由になれるものなのです。(人や外からの影響を受けにくいため)

このことは、マルセイユタロットの「悪魔」で象徴させることができます。

「悪魔」とか、一般的には「死神」と言われる「13」、「塔」と呼ばれる「神の家」を、中立に見たり、ポジティブに読んだりすることは難しいと思いますが、マルセイユタロットの場合、絵柄とその象徴性によって、それが可能です。

ということで、「悪魔」のカードには「悪魔」なりの良さがあるのです。

自分の中の“悪魔”が確立してくると、次に「神の家」という、本当の自分の塔が建つ(マルセイユタロット的には崩壊ではないのです)ことになるのですが、これも、マルセイユタロットの15番「悪魔」、16番「神の家」と、並び的にも見事に象徴されていると思います。

一方、これもマルセイユタロットの順に示されていますが、やはり、一年を有意義に過ごすには、普通は計画性をもったほうがいいと考えられます。

そして、年始の計画や目標が忘れられてしまうのは、ステップや分析がないからというのが、ひとつの理由と考えられます。

例えば、月ごとに見直し、計画の達成度合いを計ったり、変更などしたりして、修正していくのも、ごく当たり前のことではありますが、仕事ではやっていても、プライベートな自己実現のフィールドでは、忙しさで無視されることも多いです。

それで、こうしたものにタロットカードが活用できるわけです。

タロットには、小アルカナもありますので、数を象徴させたり、人間をタイプ別に表すことも可能です。ですから、月ごとにカードで区分けし、大きな目標の象徴性と、細かな象徴性(目標達成のための要素のようなもの)をそれぞれカードで示すことができます。

カードを引くこと自体が、結構占い的で楽しい(エンターテイメント性がある)のと、タロットは絵なので、印象が強いのです。従って、楽しみながら、そして忘れにくく、一年を小刻みに振り返りながら、目標達成に向けて、次に進んで行く(一年という全体を見る)ことができます。

逆に、このような年末に、月ごとにカードを引くことで、今年を振り返ることにも使えます。

もちろん、今年一年の全体の象徴性として、大アルカナで三枚なり、四枚なりを引いて、振り返ることも可能です。究極的には一枚で示すこともできます。

タロットを持っている方は、自分で引いてみるのが一番ですが、他人に引いてもらうのも、違った観点が持て、それはそれで象徴性を持ちます。要は、カードを引く時の意志(意図)がはっきりしていることが大事なのです。

「私の、あなたの、これこれについて引きますよ」という宣言です。

これは、あらかじめ、カードの世界と自分(対象者)の世界とを意識の上でリンクさせておくということです。

では、カードを持っていない人のために、私が代わりに、三枚引きで、今年2019年の象徴として、マルセイユタロットで引いておきます。

 

※結果 大アルカナ 「13」「皇帝」「力」

 

なかなか面白い展開と言いますか、カードたちが出ていますね。

今年の締めくくり、自分を振り返る意味で、何かの参考になれば幸いです。

どうぞ、よいお年をお迎えください。


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