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タロット学習を多角的にする
タロットの学習では、タロットそのものを学んでいく道と、タロットに関連する知識を入れることで、タロットがよりわかりやすくなるという学び方があります。
あくまで、“タロット占い”の実践技術向上という意味で限定すれば、知識よりも実践(実経験)に重きを置かれることもあるでしょうが、タロットを自己探求や成長のために使うことになれば、体験も大事ではありますが、その体験自体を整理・理解する知識も重要となってきます。
体験(経験や実践)と(頭の)知識は対立概念のように思われていますが、ともに成長のためには必要なのものです。
このことは、もはや言われなくても、誰にもわかることでしょう。
ただ、知識よって体験(の意味)が深まることは、あまり知られていません。と言いますか、自覚(一般に認知)されていないと言う方が正しいでしょうか。
なぜ体験・経験によって自分が成長できるのかは、その体験そのものが次に活かされるからで、そこには情報としての蓄積があります。
しかし、自動的(無自覚に)に活用している場合だけだと、まさに経験値の上がり方が少なく、また深めていくことができません。
同じ経験をしても、ある人はかなりそれを活かしたり、ヒントにしたりして新しいものを創造しますが、ただ経験しているだけの人は、経験数が多くても成長が遅いということがあります。
情報が同じではあっても、その整理方法、取り出し方、言わば、使い方、活かし方に問題があるわけです。
ですから、経験や体験を本当の意味で活かすには、知識による考察、整理も重要で、それがあれば、ひとつの経験も重層的なものに変化します。
タロット学習においても同じところがあり、例えば、タロットリーディングをただ数こなしていくだけよりも、ひとつひとつリーディング内容を検証したり、ほかの学習者とともに議論してみたりすることで、リーディング経験が深まり、新たな発見と、次なる機会に大いに活かせることになります。
もちろん、逆もまた大切で、やたら考察ばかりしていて、実践数が少ないままだと、やはり本当の意味(特に三次元的、現実)では使えないことになります。
よく言われるように、地図上で目的地まで(イメージで)到着することと、実際のフィールドを歩いたり、乗り物に乗ったりして、たどり着くのとでは大きな違いがあります。
この例えは、「だから実際の経験が大事なのだ」ということで言われるものですが、皆さん、特にタロットを学びたい人、学んでいる途上の人は、逆側の意味も思うことです。
つまり、ある地点から目的地まで到着するには、地図というものと、それらを踏破する(成し遂げる)イメージ(想像力)があって初めて、現実にも行けるのだという、反対から見た考え方です。
マルセイユタロットでは、「女帝」と「皇帝」のペアでもって、まずはこのことを考えていくことができます。
さて、話を最初のものに戻しますが、タロット学習では、タロットに関連するほかの知識・分野を学ぶことで、かえってタロットが理解しやすくなる場合があることは述べました。
私のマルセイユタロット基礎講座でも、西洋占星術、カバラー、数秘、タロットに関連する西洋・古代文明の歴史・思想などを、時間と項目を取って教えています。
それぞれはそれ単体でも、実は膨大なる内容を持ち、本当は単独の講座にしてもよいくらいなのですが、それでも、やはり、マルセイユタロットを深く理解するには、こういった知識が不可欠なので、広く浅くにはなりますが(一部の関連知識は基礎講座と言えど、深くなります)、最初の講座から範疇に入れているのです。(知識よりも、タロットのエンタ性、リーディングツールとしての活用が中心の場合は、関連知識は省いたタロット中心の講座もありますが)
そして、講座で学ぶこと以外でも、タロットの理解の一助になることは、分野的にも多岐にわたります。
一度タロットの基本を学んだあとに、ほかのことを学び、理解しようとする機会を色々と持つと思いますが、それらもタロットを通して整理していると、学習ベクトルが双方向になり、いつの間にか、タロットへの理解も深まっていることに気づくのです。
これは、自分ひとりの学習において顕著なことですが、双方向という意味では、他人(他視認の視点)を入れることで、さらに多角的な学習作用と効果を生み出します。
簡単な図で示しますと、
1 自分 → タロット
2 自分 → タロット ← 自分が学ぶほかの分野の学習・知識
他人のタロット知識・経験
↓
3 自分 → タロット ← 自分か学ぶほかの分野の学習・知識
他人のタロット知識・経験
↓
4 自分 → タロット ← 自分か学ぶほかの分野の学習・知識
↑
他人のタロット以外の学習・知識
3と4段階では、自分にとっての他人は、その他人からすれば自分ということになりますから、ほかの人(この図での他人)にとって、あなた(自分)は、新たな視点をもたらしてくれる刺激的、創造的(あるいは破壊的)な人の役割になります。
だから、同じタロットを学ぶ仲間とか、グループとか、意見交換できる場があったほうがよいのです。
ちなみに、上で「創造」だけではなく、「破壊」と書いたように、他人の知識や経験は、自分の積み上げてきたものを破壊する作用もあります。
その時は不快な思いをしたり、トラブったりして、人間関係的にはあまりいい気持ちがしないかもしれませんが、タロットの学びという意味では、破壊すらも進化、成長と言え、創造は常に破壊とセット(表裏)であることを知っておく必要があります。
タロットのみに向き合うだけではなく、ほかの分野の知識を得たり、ほかの人と交流したり、人間として様々な体験をしたりすることで、タロットを理解することがもっと高まります。
ただし、考えてみればわかることですが、何のためにタロットを学習し、理解しようとしているかが重要です。
結局、自分(自己の成長)のためということになるでしょう。
タロットはあくまでツールです。
タロットを理解しようとするその過程そのものが、自分を知ることにつながり、さらに言えば、宇宙、大いなるものにふれていくことになっていくのです。
タロット研究家を名乗って、それを使命のように思う人は別ですが、タロットを学び扱う人の目的は、普通は、タロットを解明することが目的ではなく、先述したように、自己や他の人の成長、問題・悩みからの解放・援助の手助けをすることにあると思います。
そこを押さえておかないと、本末転倒になり、タロットに自分が使われるような状態になってしまいます。
このことは、タロットだけには限りませんので、当たり前のような話ではあるのですが、学ぶもの、身に着けようとするもの(あるいは伝え、教える人)に使われ、支配される状態となることの注意は、極めて重要なことです。
皆さんのタロット学習の参考になれば幸いです。
今起きている問題の象徴性
最近の一般世間の報道や話題を見ても、時代はやはり、あるひとつの方向性に進んでいると考えられます。
※注 日本の旧媒体メディアの報道の内容自体は信頼が置けないものが多く、その報道内容から述べているのではなく、裏にどういうことが起こっているのかということを見ていくとわかるものがあるということです
それは、スピリチュアル・精神世界では当たり前のように言われており、こちらのブログでも何度か書いておりますが、一言で言えば「統合」の道です。
おそらく、宇宙、あるいは宗教的な言い方をすれば「神」ということでもよいでしょうが、そういうものに意志があるとすれば、全体として成長・進化がテーマになっているのは間違いないのではないかと思います。
ただ、その成長や進化の概念が、私たち現実意識の普通の人間の状態では、なかなかわからないわけです。
私たち(個人個人)がそれは成長である、進化のためのものと考えても、宇宙から見れば逆の意味の場合もあると思います。
ところが、マルセイユタロットを扱っていくとわかるようになりますが、「象徴」として見ると、私たちが思う成長と、宇宙(神)が思う成長は、事象としては違うことはあっても、実は根本では同じではないかと考えることができます。
簡単に言えば、それぞれのレベルで成長の表現が異なる(ように見える)のだと言うことです。
この、「レベルや次元において物事の捉え方・表現が異なる(ように見える)」というは、ある意味、宇宙の法則のようなものと考えてもよいかと思います。
すると、今、宇宙全体で進もうとしている成長性・統合への道が、一人ひとりの個人レベルにあっては、逆の方向やマイナスのように思えることもありうるわけです。
これは個人のもう少し上のレべである社会や集団、国などにもおいても同様です。
ただ、先述したように、ひとつの共通した骨子のような、根本は成長・進化・統合の道にあるので、そこはどのレベルにおいても変わらないのですが、その表れ方が違うように感じるわけです。
特に、個人レベルになればなるほど、当然ですが、個人的なこととして起こりますから(認識される)、まったく宇宙とか、社会とかとは関係ないようなことだと思ってしまうのも当然と言えば当然です。(おそらく死後、私たちはもっと大きな括りで自分のことを見ることが自然にできるでしょうが)
マルセイユタロット的な表現を使えば、ある人にとっては「手品師」の経験が今起こり、また別の人では「皇帝」、そのまたほかの人では「太陽」・・・というように、一人ひとり、カードで象徴される出来事が起こっていて、カード単体から見れば、各人バラバラな体験になっているわけです。
ところが、もしタロットカードを成長や進化の道として俯瞰した見方をすれば、どの人も全体としての一部(個人)の経験をしており、それは実は全体の経験ともつながっているのですから、結局は、誰もが成長・進化していると見ることが可能です。
マルセイユタロットには、レベルや階層で見ていく概念(観点)もありますから、それを導入すると、自分の成長の過程は、特に全体としてどのレベルで起こっているのか、必要なことなのかということも把握できます。
ところで、前にも書きましたが、統合的成長への道には、いきなり統合が始まるわけではなく、何事もそうですが、順序と言うものがあります。
そして、「統合」へは相反する概念とも言える「分離」が、まずは起こるのです。このことはマルセイユタロットを見ているとよくわかることで、最終的には、カードで言いますと、「月」から「太陽」へと進む過程でもあります。
あるレベルの分離が完全に行われることで、次の段階の統合へ進むと考えられます。
分離が必要というのは、例えるならば、化学薬品の性質を知らずに、いきなり混ぜ合わてしまうと爆発したり、危険ガスが発生したりで混乱を来してしまうのに似ています。そうならないためには、きちんと分離したものの状態(それぞれの薬品そのものの性質)を把握することが求められます。
これは今の人間で言えば、個性の確立、自立と責任の独立にあると考えられます。
マルセイユタロット的には、「正義」の象徴性が現在強く起こって来ているのではないかということです。
一人ひとり、そして集団や社会においても、先送りにしていたこと、中途半端や騙し騙しやっていたこと、あるいは隠していた不正なこと(社会においては法的な不正や、一般的正義・倫理にもとること、個人においては自分の良心における正義、本当の自分の気持ちに反することなど)なとが露呈したり、対処しなくてはならなくなったりしています。
つまりは、「問題」という形を通して、分離(よいこと悪いことなど、本来の自己と仮の自分など)が強化されてきているわけです。
そうやって、否が応でも、自分と向き合うことになるのです。
全体としての進化のため、個人個人の進化も必要とされるので、一人ひとり・個人のレベルにおいても、自分自身の問題と向き合うことがこれまで以上に早く、そして容赦なく出てくるのではないかと思われます。
ただ、すでに自己と向き合い、浄化をしてきたものは、自分の問題はあまり起きず、他人や社会のために問題に取り組んだり、関わったりすることが起きてくると予想できますし、そういう人はすでに同時進行で、自分と他人の両方を救う活動をしてきているでしょう。
自分の問題がかなりクリアーになって来たという人は、一般的な意味でのマイナスなこと、ネガティブなこと、問題が起きなくなるというわけではないと思います。(もちろん、実際に起きなくなることも多いでしょうが)
ただ、起きてはいても、それに囚われることがなくなってくるというほうが近いでしょうか。
他人から見れば、それは問題で大変だなと思うことも、当人とってはさほど気にならない、むしろ喜びみたいな境地にもなっているかもしれません。
また起こった問題の解消や解決自体のスピードが、倍速のような感じで速くなるということもあるでしょう。(これはマルセイユタロットの「運命の輪」「審判」に関係します)
ともあれ、ここ数年、平成が終わりに向かうに伴い、大きな変化(環境だけではなく、精神的なことも含む)のあった方は少なくないでしょうし、今まで潜在的には進んでいたものが、令和になって、いよいよ目に見える形で、現実のこととして起きて来ることが多くなったように思います。
ですから、あなたに起きている問題も、象徴的に言えば、進化や成長の流れにあるものであり、苦しく大変な人も中にはいらっしゃるでしょうが、統合の前の分離として、肉体的にも精神的にも、霊的なものに統合していく前の段階として起こっているものだと理解すると、また捉え方や意味合い、そして実際の問題も変わってくると思います。
ただ分離というのは、何かと混沌としたものになりがちですから、その整理のためにも、マルセイユタロットなど、何かの宇宙的(全体的)な象徴ツールを持っておくことはよいでしょう。
タロットリーディングの場所
天・地・人という言葉がありますが、これら三つの視点から物事を見ていくのは有意義です。
このことは、タロットリーディングにおいても当てはまると思います。
まず「天」ですが、「天から与えらるもの」として考えると、この場合は、タロットリーディングを行う時やタイミング、あるいは機会と言ってもよいでしょう。
そもそもリーディングする機会がないと始まりませんし、その機会自体は後述の「人」が作ることとは言え、やはりリーディングにふさわしいタイミング、時間というものはあると考えられます。それがピッタリと合った時は、いつも以上のすばらしさ、シンクロニシティ、神秘性を感じるかもしれません。
これは、巡り合わせや縁のようなものとも言え、お互いにふさしいタイミングで、クライアントとリーダーが出会うことがあるように思います。(うまく行かないリーディングであっても、それはある意味、ジャストタイミングなのかもしれません)
そして順番は後先になりますが、「人」は、ほかならぬタロットリーダー自身の能力、知識、技術が関係することです。
当たり前ですが、タロットの知識、リーディングの技術が未熟では、リーダーにも、クライアントにとっても満足なリーテイングはできません。
素質というのもあるかもしれませんが、それよりも、学んで修練していく、その人の努力と行動がリーディングの技量を向上させます。
最後に「地」ですが、これは、単純にタロットをする場所や環境に該当させることができます。
今回はこれについて中心に述べたいと思います。
タロットリーディングにふさわしい場所はどこかということを論ずる前に、実際に私が経験したところでは、リーディングの質が場所によって左右されることがあるという事実を、まずはお知らせしておきたいです。
一番ひどかったのは、詳しくは書けませんが、とある占いの館での経験(場所)です。
ここは、本来、占いにもリーディングにもふさわしい場所ではなく、大規模なゲームセンターの隣で、とにかく騒音が激しいところでした。また人通りも多く、一見、それは集客的にはよい場所と思われがちですが、人通りの質にもよりますし、占いなど、悩みごとの相談をするような場所は、あまり表立ってもまずいわけです。
人通りが多くても、そこから一歩奥まったところとか、少し落ち着いた雰囲気になっている場所のほうが、人の心理として、相談には訪れやすいものなのです。
衆目にさらされるような場所で、話している内容も丸聞こえのような環境では、よほどの目立ちたがりの人以外は、普通は避けるでしょう。(笑)
あと、静かな店内ではあっても、余計なものがあるところは、リーディングに集中できないことがあります。慣れてくれば、周囲のモノとか人とかは気にならなくなりますが、それでも、なぜかリーディングに入りにくい感じになる「モノ」とか「場所」はありました。
例えば、置物とか絵、石などの、何か特定のエネルギーとか念が入り混み過ぎているものがある場所、あまりにたくさんのモノがある部屋などです。
それから、タロットカードの種類や大きさによっては、そもそも机(テーブル)がタロットを展開するのに狭い(小さい)ところもあります。
この場合は、タロットのサイズが小さいバシージョンのものを使うか、広い場所(机)を確保するかになりますが、タロットは普通サイズのほうが、インパクトや印象の面でも違い、厳密にはカードの見え方も異なるので、それがリーディングに影響することもあり、できれば、タロットのサイズは小さくしたくないものではあります。(携帯的にちょっと行う程度の時には、逆にミニサイズは有用ですが)
本来ならば、タロットリーダーが落ち着いてリーディングに集中できる専用の部屋を用意できればよいのですが、物理的・経済的事情などによって、そうもいかないところはあるでしょうし、出張リーディングを行うのであれば、必然的に、リーディング環境は変わることになります。
外でリーディングをライブで行う場合、カフェなどの場所がよく利用されますが、ただこのようなところでは、ほかの人の目があること、場所が狭いところが多い(テーブルや間隔が狭い)ので、横の人が気になったり、タロット展開をするのに支障があったりします。
加えて、お店自体が占い(当人たちが占いではないと思っていても、タロットカードを広げることは占いだと見られてしまうことがあります)を禁止しているか、明確に禁止はしていなかったとしても、嫌がられる場合もあります。
タロットリーダーが採用しているタロットリーディングの方法が、必ず、相手(クライアント)自身がカードを引くべきというように決めている場合は、やはり、場所はそれなりにリーダー側で用意する必要がありそうです。
しかし、タロットを引くのは、リーダーや占い師のほうがやってもよいという場合は、今時でしたら、ネットを使って、オンラインでやる方法もできますし、あらかじめ、問いを聞いておいてから、タロットリーダー側がタロット展開したものを撮影し、その映像をタブレットで見せるなどして、リーディングすることも可能かと思います。
極端な場合、タロットを見せなくても結果だけを伝える方法もあるわけです。目的が、相談者・クライアントの癒しや問題解決にあるのなら、出たタロットを絶対見せなくてはならないというわけではないでしょう。
そうすると、全国とこでも、ネット環境さえあればOKとも言えますし、たとえネットがなくても、携帯一本でもリーディング(の結果を伝える意味で)は可能になります。
しかしながら、たとえそうであっても、自分(タロットリーダー)がタロットを引く(展開する)環境自体は、それにふわしい場所が必要です。
散らかっているキッチンテーブルの上で、片手間にタロットを引くとか、地べたにそのままカードを置いてしまうとか、家族がワイワイ騒いでいる中でリーディングするとかというのは、問題だと思います。(それでよいリーディングができるのではあれば別てすが、普通は無理ですし、タロットにも失礼に当たります)
ところで、前に、タロットの浄化について書きましたが、場所も浄化しておくことも、タロットリーディングでは重要だと思います。(場所だけではなくリーダー自身にも必要なことですが)
物理的にゴミが多かったり、モノが散乱していたりするような部屋・場所は言うに及びませんが、一見きれいに見えても、見えない領域で汚れている(穢れている)場合もあり、何となく嫌な感じとか、淀んでいる感覚があれば、浄化グッズや儀式などによって、空間・場所の浄化も図っておいたほうが、タロットリーディングの質もよくなるでしょう。
リーディングごとに場所を変えるよりも、リーディング部屋とか、リーディング専用の机とか、決まったところでやるほうが安定した感じにはなると思います。(エネルギーが感じられる人は、逆にむしろ、その日に合った場所というものがわかるケースもあり、それはそれで移動してもよいと思います)
まあしかし、タロットはすごいところがあり、環境が悪くても、それなりに適切なカードを出してきます。カードそのものは、環境に左右されないと言ってもよいかもしれません。
ただ、その象徴、メッセージをうまく人間側がくみ取れるか、読み取れるかということが問題で、人間はいつも安定しているとは言えませんし、体調や心理状態、環境によって変化しやすく、それがために、なるべく「人間」側のほうが整えておくことが、よいリーディングの質の維持につながるわけです。
タロットを趣味や自分のためにやっている人はともかく、プロならば、どんなところでも、どんな状態でも、依頼があれば完璧にこなさなければならないという人もいらっしゃいますが、個人的には、タロットリーダーも人間なのですから、自分の状態が悪いと自覚できている時は、無理せず、リーディングを断ったり、延期したりすることも悪くないと考えています。(あまりに自己都合や甘えでのものは別ですが)
そして、自分自身の体調や心理状態の管理、コントロールだけではなく、場所や環境を整えておくというのも、先述したように、安定したリーディングのためには必要なことなのです。
「太陽」と「正義」 共感と分離
先月、記事で話題にしたカードたちが、たまたま二枚、並んで私の目に飛び込んできました。
それは「太陽」と「正義」です。
偶然ではありましたが、この二枚から、導けることがありますので書いてみたいと思います。
それは、共感と分離をテーマとしつつ、人間関係において、もっと楽にする方法というものです。
さて、マルセイユタロットの「太陽」の絵柄からして、共感的なことは容易に想像できます。
誰かと気持ちを分かち合い、共感し合うことは、人生において有意義なことであるのは、皆さんもわかると思います。
人間には感情があり、いわゆる喜怒哀楽をもって、様々なシーンに感情を思い巡らせます。
これは、自分以外の相手がいるから感情も大きく揺れ、人を相手にすることで、気持ちも変わってくることになります。
感情は、さきほど述べたように喜怒哀楽という四つの感情に分けられますが、さらに大きな括りで言えば、ネガティブなものとポジティブなものに分けられるでしょう。
そして、他人がいることでそれらの幅が大きくなる(振り回される、振り幅が大きくなる)反面、他人がいることで、その揺れを逆方向に持っていくこともできます。
気持ちに共感し、分かち合うことができれば、ポジティブな感情は増幅させることができますし、反対に、ネガティブなことは慰められて、小さくすることもできるということです。
これが、反目しあう人との間では、ネガティブが増え(というより発生させられる原因にもなる)、ポジティブなものは縮小させられます。(笑)
人間はそう強くありません。中には、孤独を愛し、誰とも感情的に交流させず、自分の気持ちを一人でコントロールしてしまう人もいるでしょうが、普通の人は、なかなかそうは行きません。
ですから、ここはやはり仲間とか友人とか、気持ちを吐露したり、シェアしあえたりする人を持っておくことが、お互いによいことだと思います。
それは「太陽」が示すように、多くの人でなくてもよく、自分以外の誰かひとりが、自分の気持ちをわかってくれれば、人は人生に絶望することがなく、むしろ希望を持って、楽しくさえ生きられるのではないかと思います。
一人でもいいと言いましたが、できれば、自分の興味や関心、趣味、勉学、仕事ごとに気持ちを述べ合える人がいればいいですね。
さて、一方で、マルセイユタロットの「正義」は、人との関係においての「分離」について見ることができます。
気持ちを分かち合う人の存在が、自分の人生、特に感情の喜びの増大、悲しみやつらさの鎮静化、浄化などに作用して、人生に希望を見出させ、楽しさも多くなるのではないかと言いましたが、人間関係においては、逆に、切り離したほうがいい場合も少なくありません。
数年前に、アドラー心理学の本で、「嫌われる勇気」シリーズが流行りました。
個人的には、アドラー心理学の原因論ではなく、目的論一辺倒のトラウマ否定などについては、疑問がないわけではないのですが、それはともかく、あの本で一番良かったと私が思うのは、「自分と他者の課題の分離」という点に言及したことです。
平たく言えば、「人は人、自分は自分」と思うということで、要するに、自分と他者の行為と責任(可能範囲)を混同しない、きちんと切り分けて考えることです。
人にこうしてほしい、ああなってほしい、自分に対してこのように思ってほしい、行動してほしいと思い悩んだところで、人はあなたの奴隷でもありませんし、個性と自由意志を持ちますから、これは自分として完全にコントロールできる類のものではありません。
もちろん、人間ですから、最初のほうで述べたように、他人と関係することで、人は感情が揺れ動きます。(感情を発生させる)
それを止めることはできません。(つまりその瞬間に発生する感情を止めたり、コントロールしたりすることはできない)
しかし、最初から人は人、自分は自分だと、人と自分を分離させていれば、前もっての手立てですから、感情も発生しにくく、したとしても、大きく揺れ動くことは少なくなります。
分離すると言うと、精神世界やスピリチュアルなことに関心のある人には、その言葉自体抵抗を示す人もいます。愛をもって接すれば、理解しあえるとか、そもそも「分ける」ということが間違いであると言われる人もいます。
神や宇宙という大きな次元、ひとつという状態ではそうかもしれませんが、しかしそれは、レベルや階層というものを無視した考えでもあります。
人間の肉体や現実認識の階層レベルにおいては、分離して個性を持つのが常態であるので、当然、そのレベルにおいては分離した考えも必要になってきます。言い方を換えれば、個性を認める、お互いを自立した存在として確認するということです。
従って、他人や相手ができる範囲、請け負ったり、しなくてはならなかったりする責任というものと、自分のそれとでは当然違ってきますし、区別することが求められます。
自分が他人のために役立てることもありますが、自分ができる範囲は限れており、その人の代わりになってやれることと、やれないことの切り分けが必要です。
例えば、相手が食べたいというものを、代わりに買い物はできても、買ってきたものを相手の代わりに食べることはできず、当たり前ですが、自分が食べても相手は満足しないですし、相手のお腹も膨れません。(笑)
いわゆるお節介や介入をし過ぎるあまり、相手の自立を阻害したり、依存、時には悪意を助長したりすることもありますし、自分ではコントロールできないのに、相手の気持ちや行動を何とか(自分の思うように)したいと思い悩んで、多大なエネルギー浪費と悩みを抱えることになっている人がいます。
面白いことに、「正義」のカードは、マルセイユタロットの秘伝的な絵図の考えからすれば、霊的な次元の入り口に位置するものとされ、つまり、霊的向上には、「正義」の象徴性がまずは大事だと見ることができ、つまりは区別すること、責任応分での分離という概念も重要なのだとわかります。
そうであるのならば、愛の押しつけのようなことで、自分と相手を無理矢理融合させよう、理解しよう、協力し合おうというのも、まずいこともあるのです。
スピリチュアル的にも、お互いの個の自立が確立してからの統合への道筋があると考えられ、レベルの低い段階での共有・統合の観念は、むしろ癒着や依存関係と誤解されているところがあり、自分と相手の責任もしっかり切り分けられない、子供の状態であると言えます。
自分がやれないことはきっぱりと断ることであり、また、余計に相手に介入せず、その人ができること、しなくてはならないことは任せる心の広さがいります。それは本当は(大きな)愛(自分と他者への)がないとできないことなのです。
「嫌われる勇気」でもありましたように、他人がどう思うのかは、その人の課題であり、自分の課題とは別であることを思い、ただ自分のことに専念するほうが、気がかなり楽になり、あの本でも言われていたように、真の自己の自由に近づきます。
このように、分離することと、共感することをうまく扱っていけば、人生は自分の手に戻ってくることが多くなり、生きる実感も得られるのではないかと思います。
コメントリーディングの結果から。
先日、イベント企画で、コメントによるリーディングを実施しました。(アメブロのブログのほうです)
16名という比較的たくさんの人数の枠をご用意しましたが、予想以上にすぐ埋まってしまいました。
今回、この企画を行った意図は、もちろんたくさんの人にリーディングをサービスしようという思いもあったのですが、質問はそれぞれ別であっても、出るカードや内容に、何か共通したことが出るのではないかと考えたからです。
そして、その共通するものこそが、今の全体の課題として浮かびあがり、何らかの示唆になるかもしれないと思ったことによります。
さて、展開は一枚引きではありませんので、共通するカードという観点からは、なかなか難しいところがあったのですが、それでも、全体としては、「戦車」のカードが多かった気がします。また「太陽」もよく出たように記憶しています。
さらに言えば、両極端ではあるのですが、剣を持つカードと壺を持つカードも、目立ったように思います。
まず、「戦車」と「太陽」から見ますと、皆さん、実はかなり潜在的な能力があるのに、自信が持てていない気がしました。
「戦車」には、二頭の馬がおり、それをうまく御することで、成功に導かれるという意味にもなるカードです。この二匹の馬には、いろいろな解釈ができるのですが、今回の場合は、自分に眠る(二種の)力というようにとらえられました。
また、車のアクセルとブレーキで例えられるように、その力を暴走させているか、抑圧しているかの違いはあっても、自分の力に気づかず、そのまま出るに任せて放置していたり、わかっていても自信がなくて押さえつけていたりしているかのような感じを抱きました。
一方、「太陽」もふたりの人物がいます。
ここで「戦車」とつなげると、自分の力をコントロールし、うまく出すには、相手から認められるような体験、受容性が必要なのかと想像します。承認欲求的ではあるのですが、それよりも、自分を受け止めてもらえる誰か別の人を欲しているという印象です。
これ(「太陽」の人物)は前の記事にも書いたように、別のもう一人の自分と取ってもいいわけですが、現実の中の個性を持つ一人の人間として見ると、やはり、他者との関係で、認めあえる二人、仲間、パートナーという感覚があります。
その人は、現存しなくても、魂のような関係でもありなのかもしれません。そして、相手から認められるのには、自分も相手を認めていくことが必要です。ただし、支配を受けたり、共依存関係のようなものだったりするのではなく、互いに自立した関係なので、自身の自立、独立、個性の確立が求められます。
つまりは、自分が自分であることの意義を自分で認めるということであり、以前の流行りの言葉で言うのなら、「ありのままの自分」「他者に依拠することのない自分」という存在です。
こうすると、「戦車」の御者として自立し、馬をうまく操縦できるようになり、前進性(成功性や確信性)が高まるでしょう。
シンプルに言えば、自分(我)であることを許可する、赦すということにもなります。
それから剣のカードと壺のカードについてです。
剣は「正義」とか「13」(こらちは鎌で剣とは厳密には違いますが、刃物的なものとして共通します)などにあり、壺は、「節制」とか「星」などのカードに見られます。なお、壺は端的には杯(カップ)、水を象徴するものでもあります。
タロットの小アルカナの特質である「4組」では、剣・杯・杖・玉というものがありますが、これは大アルカナの中にも入っています。
中でも、剣と杯は、正反対の性質ともいえ、剣が男性的なもの、合理・論理・決断的なものを示すのに対し、杯は女性的なもの、感情・赦し・受容的なものを示します。
このバランスが崩れていたり、重視するほうが反対になっていたりするケースが目立ったようにも思います。
おそらく女性の質問者が多かったので、当然、杯的な水の要素が性質としては強いのですが、そのために、場合によっては、剣的なものを恐れていたり、それをふるう(決断する)ことに躊躇していたりするようなところもうかがえました。
また逆に、いつも剣を自分か他人かにふるい、自分(あるいは他者)の杯の容器を壊してしまって、水が溜められなくなっている人もいます。
壊れた容器にいくら愛情や癒しという水を注いでも流れる(漏れる)一方なのです。その流れた水の行方が他人を潤すことになっている場合もあります。(自己犠牲による一時的な満足感)
誰かが何とかしてくれるのではなく、自分が何とかするのであり、何とかできるのです。
しかし、この世知辛く、複雑な世の中、人に頼りたい気持ち、自信のない状態もわかります。
ここで言っていることは、自分ひとりで何でもしてしまいなさいと述べているのではないのです。
人間は弱い存在でもあります。ですから、人の援助や助けを受けてもよいですし、人は一人だけで生きていけるものではありません。
しかし、あなたは本当はもっと力があり、強く大きな存在でもあるのです。自分しか自分を助けることができませんし、また助けることのできる力や智慧があるのです。
弱さを認め、それでいて、自分を大切にし、自分が何とかするという意志を持つことです。助力を得ないといけないものは得て、また、自分ができることで、他人に手を貸せる(与えられる)ものは貸して(与えて)みましょう。(自分なり範囲のことでいいのです)
前世や多次元という概念がたとえあったとしても、この次元でのあなたという個性の瞬間は、今のあなたでしかないのです。自分自身を生きようとすることで、きっと自信や希望も出てくるでしょう。
もうひとつ、よく出ていたカードを思い出しました。それは「愚者」です。
自由をもっとも象徴するカードと言え、まさに人生を旅するカードとも言えます。
皆様にエールを送りたいと思います。
