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自然の摂理での変化を受け入れる

マルセイユタロットには、いろいろな象徴や示唆が描写されています。

そこには、宇宙や自然の摂理、流れのようなものも描かれています。

だから素直にタロットを見ておけばよいのですが、人間は欲求が強かったり、わがままであったりする時があります。

まあ、頭でわかっていても、感情やプライドなどで動いてしまう(あるいは固まってしまう)ことはあるものです。

さて、ずっと書いてきていることですが、この世や宇宙の原理のようなものとして、創造、維持、破壊、再生の流れがあります。

また、大きくエネルギーを分けると、陰陽や能動・受動、安定(固定)と流動みたいな相反的な性質もあります。

同じことは続かず、また変化や破壊がいつもいつも起こっているわけでもありません。

ただ厳密に細かく見れば、すべては動いている(創造と破壊が繰り返されている)というか、流れているのでしょうが、安定に見える一瞬もあると言えますし、別の言い方をすれば、すべてが含まれる空間のようなもの、そこにあらゆるものが置かれている倉庫のようなものもあると考えられます。(それさえも動ているかもですが)

言い方を変えれば、創造破壊も見せかけの変化で、本質は何も変わっていないのかもしれないということです。ですが、人間の世界で見れば、やはり変化は常にあるものになります。

ちょっと難しくなってきましたので、簡単に言いますと、ずっとひとつのことを蓄積していったり、極めて行ったりする流れと同時に、ほかのものと組み合わせたり、変化させて行ったりする、ふたつの流れがあり、それは現実的にもバランスよく見ていく必要があるのではないかということです。

平たく言えば、専門性と柔軟性みたいなことです。

最近は、スピリチュアルや精神的なことでのサポートをする個人起業家も増えてきました。

皆さん、かなりの勉強もされていますし、それぞれの得意な技術も学ばれており、好きなことで成功しようと意欲と行動にあふれている人もいらっしゃいます。

ただ、闇雲に自己アピール(ビジネス宣伝としての)ばかりしても、その人の積み重ねてきたことが何なのか、本質的にはどんな人なのか、どんな実績や能力があるのか、わからなければ、得体のしれない人と思われたり、関心を寄せてくれなかったり、時にはうざがられたりします。

まあ、でも世の中、面白いもので、たとえ自分に深さや蓄積はなくても、要領や巧みな宣伝力によって、売り出しに成功している人も少なくありません。

まじめに勉強してきた人の中には、そういう人を妬む方もいるかもしれませんが、それはその人の、またある意味、才能と個性なのです。

逆に、ひとつのことにやたらとこだわり、確かに専門的知識や経験は深いのかもしれませんが、それを役立てる方法をうまく伝えられず(伝える工夫をせず)、行動もせず、ただじっと、カードでいうと「隠者」のように待っていては、それこそ、文字通り「隠れた者」になって、人は見つけてくれませんし、見つけても、何を伝え、何をしてくれる人なのかよくわからず、「なんか言っていることはすごそうですが、私には無理そうで・・・じゃ、研究、頑張ってくださいね!」みたいに言って、去っていく人も出るでしょう。

結局、まずは、自分はどんな人で、なぜその仕事をするのか、したいのか、そういう自分のオリジナルな世界観、ストーリーというものが他人にわからないと、その人は多くの中の一人に過ぎず、ほかの人が感動したり、共感したりする要素が見えてきません。つまり、お客様の心が動かないということです。

次に、自分の人となりはアピールしたり、蓄積したりはしたものの、もしサービスとして売りものを出すのであれば、それを買っていただけるアピールと工夫も必要となります。

当たり前ですが、商品の使い方も効果の説明もなく、ただ屋台の上に並べていても、よほどの変人以外、誰も購入してはくれないでしょう。まあ、見た目にすごいものがあれば別ですが。

最初にも述べたように、自然は変化し、宇宙は動いて行くところもありますので、例えば、時代も、人のニーズも、アピールする技術も、情報伝達方法も変わっていきます。

その度にいちいち合わせる必要はないにしても、極端に言えば、ある人が、「私は昔から電話営業が得意だったので、これからずっと電話営業で顧客を獲得してみせる!」と粋がり、ごわってみたところで、もはや固定電話を持っている家庭や個人も少ない状態なのですから、無駄な努力をすることになります。これが、流れを無視した固定みたいなものです。

仕事やビジネスだけでなくても、自分の状態が思わしくない時は、自分の内と外の乖離が大きくなっていること、もっといえば、自分の成長を抑制して、守勢に回り過ぎていること、固定観念にとらわれ過ぎていることに要因の場合があります。

ここで注意がいるのは、このパターンの場合は、自分が、維持から破壊、再生創造への流れに乗っていないことにあり、逆の場合の内と外の乖離もあるのだということです。

それは、自然の摂理で見るのではなく、自分が外の世界に合わせようとし過ぎていないかを振り返る方向です。

なるほど、自然や宇宙という大きなサイクルは回転し、変化し続けていますが、ここでいう「外のもの」とは、それ(宇宙サイクル)とは関係のない、外の人の観念や想念、思い込み、常識や世間体という価値のないルールのことです。実はこれも勝手に回っているのです。

その輪に自分の回転を同調させてしまうと、人の言いなりになったり、人の顔色をうかがって生活するような人間になってしまいます。つまり自我が乗っ取られているような状態です。

本当は、大きな摂理(変化)の回転力も、あなたの内なるものにも働いており、自分が苦しい、うまく行かないということは、偽物の他人の回転に自分を合わせているためで、結局、自然と同じように、あなたも変わるためには、逆に、このパータンでは、自我を強くする、自己を守るという固定・維持エネルギーを強化する必要があるわけです。

それができてないので、自然の摂理に反して、問題が起きるのです。

ともあれ、変化を受け入れるべき時、変化させない意味の変化が必要な時(自分を守り、強めるということ)は、自分でもおのずとわかる状況がやってきます。

私自身のことで言えば、もう前から生徒さんやほかの人からも言われていますが(苦笑)、今のブログの内容が難しく、専門的になり過ぎているところがあります。それは自覚していたところでもあるのですが、さすがに、もう行き過ぎの限界にも来ているかなと感じています。

一方で、あえて それでも、今までに続けてきているのも、マルセイユタロットを中心とした、私自身の世界観を知ってもらうためでもあったのです。自身の専門性の蓄積というところですね。

すでに記事数もかなり多くなっていて、もはや書庫みたいになっています。(笑)

ですから、これからも、このブログは、過去記事も含め、皆さんの書庫、本棚、データベースのひとつして活用いただければと思うのです。

タロット学習してきた人も、違った視点を持ってみたい、マルセイユタロットの入り口、独学で学習した人のちょっとした参考、心理的な問題や、生きづらさの問題で悩んでいる人の何か楽になる手がかりとして、そういう感じで、ここを読んでいただければよいのではないかと思います。

ということで、これからもこのブログは続けて行きますが、もう少しわかりやすく、ライトな形でのタロットブログも新たに書いていこうかと考えています。まあ、私のことですから、普通の人から比べれば、それでもまだヘビーかもですが。(苦笑) ヘビーでも蛇としての智慧(の象徴)が伝わればよいのですが。ダジャレですみません。(^^;)

私は書くことと話すことは、あまり苦ではない質なので、別ブログもありかなと思い立ちました。

もしコメントでも、こんなこと別ブログで書いてくださいとか、こんな感じがいいかなというのがあれば、是非お寄せください。

新しいブログの立ち上げは、いつ頃になるかはわかりませんが、私も隠者的な自分から、もうちょっと変わっていく時期にきたのかなと思った次第です。

新しいことを少しずつ初めて行きますので、その時はよろしくお願いいたします。


悩みは独りよがりの中にある。

この前、自分のやっているタロットやカード技術とは違う方法(私のマルセイユタロット)で見てもらうための企画の募集をしましたが、先日、それを受けていただいた方がいらっしゃっいました。

その方は、タロットやカードが好きなことが雰囲気からも伝わってきましたし、その中のひとつとして、マルセイユタロットをされていたのも、私自身としては、とてもうれしく感じました。(それだけ、私はマルセイユタロットが好きなのです(笑))

それで、その方の展開法や技術とは異なる、私からのリーディングと説明をさせてもらったのですが、結局、本質的にはご本人がされたものと、私の展開してリーディングしたものとは、同じことが出ていたわけなのです。(同じカードもポイントとして、シンクロ的に出ていました)

そして何よりも、すべては、リーディングするまでもなく、ご本人がもともとわかっていたことだったのでした。

今日の書きたいことは、ここになります。

つまり、私たちは誰もが、本当はどうすればよいか、悩みながらも、実はわかっているということです。

しかし、占い師でもスピリチュアルリーダーでも、タロットリーダーでも、はたまた普通のお仕事をされている方でも、意外に、自分のことはわからないとおっしゃる方が少なくないです。(私もそういうところがあります)

ここが人間としての悩みであり、苦しみであり、しかも、現実世界として存在するあり方(そういうルールみたいなものになっているところ)とも言えます。

マルセイユタロットの教義に限らず、スピリチュアルな方面、あるいは宗教的な面でも、人は神や仏と同じ完全性を持つ存在、またはそれになることができる(悟ることができる、回帰することができる)と謳われています。

ですから、どんな困難な事態に陥っても、解決の方向性、よい方法、改善策などは知っているはずなのです。

人によっては、それが、何となくのレベルから、何度もそう思ってきたという確信に近いレベルまで様々です。

それでも、やっばり人は迷ってしまう、わからない、悩んでしまうというのは、神性(完全性)とかけ離れた自分、端的に言えば、自我の強さと、社会的・常識的観点で見た自分の判断を正しいと思う傾向があるからだと考えられます。

すごくシンプルに言えば、それは独りよがりのことなのです。

自分の思考あるいは感情によって、さも分析装置にかけたり、直感センスを利用したりしているように見えても、不安や恐れ、外から見た自分や、他者の観念が強くダウンロードされて操られた状態になっていては、それは独りよがりの輪の中で、グルグル回っているだけに過ぎなくなってしまいます。

ここから脱出するには、元の神性とつながる自分に戻ればいいのですが、今の時代、まず神聖な時間と場所がほとんどなく、多忙な毎日とデジタル的な膨大な思考(外側からのいいか悪いかで判断する分析)的情報の洪水にあり、ほとんどの人は、翻弄されて、環境的に、元の自分には戻りにくくなっています。

元の(神性的・魂的部分とつながっている)自分なのか、誰かの思想の(誰かのための犠牲的)自分なのか、善悪、利害で見ている自分なのか、わけがわからなくなるのです。

人間界は、私が思うに、本来の自己、神性的な自己とはつながりにくい環境をあえて作り出しているようにも見えます。

かつては、それでも、聖域や、聖域を守り、神に奉仕して、神性的なエネルギーと波動を自らに有していた巫女的・神官的な人々がおり、生活の場所においても、神棚や仏壇、近くには鎮守の神社、お寺、屋敷には屋敷神、井戸の神、台所の神など、身近にも神域を感じさせる場所がありましたし、静かなる時間も今よりは多かったでしょう。

それを失った今、現代の環境と人々が、迷いの空間(本来の自分の声を純粋に聞くことのできない時空間)に閉じ込められているかのようになって、特に精神的・霊的に淀んだり、停滞したりするのは当然かと思います。

さきほど、独りよがりになるシステム・環境が問題だと言いました。

人間界には、救済のシステムも働いていると考えられ、その中のひとつで、かなり強力なのが、意外や意外、人間同士の交流によるものなのです。

もちろん、人間と修羅の世界が近接しているような環境では、人との交流によってかえって傷ついたり、被害に遭ったりすることもあります。

反面、人が人を助けることのできる世界でもあるのです。

前に、自分は自分でしか救うことができないと書いたことがありますが、究極的にはそうなのですが、それに至るための前提で、他人からの救済、手を指し伸ばしてくれる経験によって、自らが救われたという思いが出て、自分で自分を救うという感覚が芽生える過程があります。

要するに、他人目線だからこそ、冷静に、しかしその人のためという愛をもっての視線で、手助けが他人からできるのです。そう、独りよがりに陥っている人の堂々巡りの輪に、脱出するための手を差し伸べることができます。

人は、自分でわかっていても、本当にそうなのか、わかってはいるけれども、どうやればいいのかわからないということが、悩みにはあります。

その解決には、他人からのアドバイス(他人視線)によって、「やっぱり自分の思っていたことは正しかった(というより、自分本来の声だったのだ)」とわかりますし、方向性が自分ではわかっていても、そのやり方がわからない人には、やり方を教えてくれる人(その道の専門家とか得意な人とか)いるわけです。

例えば、自分のしたい活動があるけれとも、それをしていいのかわからない。それでも、それをするのが好きという自分がいるし、やっていて楽しい、何となくそれをすればうまくいくこともあるのではないかという感じもする、一方で、常識的・社会的に見れば、困難さの思いが出たり、自信も出てこない自分がいる、という状態だとします。

そこで他人に(タロットなどで)見てもらうと、やっていいという気持ちの許可ができていなかったり、経済的なこと、社会的な目線で活動を見てしまったりする自分が改めて認識されたりします。

しかし、したいことはすればいいとも出ます。つまりは、そのままの自分の思いが出るのです。そして、カードをさらに精査していくと、自分本来の思いが自分を成長させたり、抑圧から解放してく過程になっていることを知ります。(エゴでわがままなものとの区別もつきます)

社会や現実とすり合わせる意味では(たとえば好きなことを仕事にするなどのことでは)、方向性さえ決まれば、あとは自分自身を阻害したり、抑圧たりしないようなやり方を見つければ(現実の世界で人から教えてもらえば)いいのです。

結局、神性なる自分はすべてを知っていますが(つまり神としての自分が計画していることがある)、それを後押しするのも、現実的との調整と適応をさせていくのも、人なのだということです。(人間世界での実際の表現については、多くは現実の人間が手助けすること)

本当はわかっているのに、独りよがりに陥って悩んでいる人は、タロットセッションで解きほぐして(他人という観点でもって転換させることで)、本来の自分に戻る手助けをさせてもらいたいと思います。


タロットリーディング半実例体験

占星術的にも、いて座に木星が移行するというエポックな時に来ましたので、今日は私のやっているタロットリーディングで、半実例的なものを皆さんに披露したいと思います。

“半”とつけているのは、実際のクライアントの方へのリーディング事例ではなく、まさに、このブログを今お読みになっているあなたに対して行うという意味で、半としているわけです。(笑)

今の私は、ブログをご覧いただいているあなたの問題や悩みは知りません。

しかし、読者を想定して、マルセイユタロットをすでに展開しております。

ただ、展開法の全容につきましては、オリジナルなところもありますし、煩雑になりますから、ここで明かすことはしませんが、出たカード重要なポイントとなるところは、カードの示唆・意味とともに書いていきます。

タロットリーディングが象徴をとらえることであり、現実的(具体的)解決やアドバイスを出すというのは、実はタロットリーダー側の役割ではないことも、少しは理解してもらえるでしょう。(占い現場に立つ人は、それでも具体策やきちっとした運勢の方向性を出すことは求められます、ここでしている意味のタロットリーディングは「占い」ではないものです)

まず、明かせる範囲内での展開で言いますと、最初にスリーカードとして、三枚の重要なテーマともいえるカードを出しました。

それは、「斎王」(一般的には女教皇と呼ばれるカード)、「世界」、「神の家」(一般的には塔と呼ばれるカード)でした。

そして、さらに追加して、数枚、今回のテーマに重要なサポートとなるカードを引きますと、「正義」、(名前のない)「13」、「隠者」というカードたちも登場しています。

最初のスリーカードとしては、完成に向けた取り組み、または大きな変化を期待している状態、理想や志も高くあるようなカードたちが出ています。ここから、継続的な学びや学習、何かやりたいことや夢の実現に向かって、準備していることがうかがえます。

しかしながら、反面、思うだけで、なかなか手に届かないこと、どうやって、夢や理想にたどりつけばよいのか、そもそも、自分にその道が合っているのか、やる資格はあるのか?という疑念、自己卑下、思案している状態ということも感じます。(※カードは、ポジとネガ両面を象徴として見ていくことができるのです)

また、女性的な「斎王」、男性的な「神の家」との間に、「世界」という両性具有的(真ん中の人物)ともいえるカードがあり、両親的な影響、男女のつきあい、結婚などの問題、自身のうちにあるセクシャルな(あるいは二元性の)問題の統合というテーマも見えてきます。

それらに対して、サポートするカードが、先述したように、「正義」、「隠者」、「13」(順不同)です。本当は、最初に出たスリーカードたちの一枚一枚にも対応しているのですが、ここでは全体的な一連のサポートカードとして統括して見ていきたいと思います。

すると、「正義」と「13」には、剣と鎌があって、何か鋭い刃物が共通して出ていることがわかりますし、「隠者」はランタンのようなものをかざして、(フードによって柔らかになっている)光を掲げているのが見えてきます。

剣や鎌、「隠者」の光などの象徴性はきちんとある一定の決められた意味があり、しかも、それは多重性を持ちますが、今回は、初心者にわかりやすく、見たままのモノの印象から読み解きます。

刃物なのですから、何かを切る、そぎ落とすことであり、また(もし刃物がさび付いていると)磨いて光らせることかもしれません。

ただ、「正義」のほうは、まさに正義の剣を振り下ろすイメージもあり、カッティング的なシーン(始まりや、モノのシェア)も思い浮かび、一方、「13」では、鎌なので、刈り取る、処理する、収穫する(終わらす)というイメージが出ます。細かく言えば、同じ刃物でも、使い方や目的も異なるわけです。

そして「隠者」は智慧や経験のある老賢人の姿でもあります。こういう人物が光を持って現れており、何かを授けてくれる雰囲気も醸し出しています。しかし、すぐに見つかるような。あるいは虚栄心で目立つ人物ではなく、隠れた実力者とも言えます。そして、あなたに、自分の良さを自覚できるよう、(光をあてて)フォーカスしてくれそうでもあります。

「13」は一見、怖いカードですが、試練を含む変容のカードでもあり、「隠者」もある種の新しい(特に霊的、精神的な)体験を施すイニシエーション的な意味を持ちます。

ということは、この二枚が出ているので、少なくとも学びの蓄積、回収や効果によって、新しい次元が開かれる準備が来ていることがうかがえますし、実際の人かどうかは別として、あなたを(厳しくも、時には優しく)引上げ、導く人も出現するかもしれません。(または自分が探すこと)

少なくとも、剣が出ていることで、自分が磨き続けた知識・経験・感性が、役に立つのだと信じる、役に立つ時が来たと思うことは大切です。それがあなたを変え、救う光ともなるのです。(刃物は磨くと光輝きますが、それを示唆しているのが「隠者」(のランタン)とも言えます)

「正義」の剣は決断を促し、学びだけではなく、すでに実践や新しい段階へと、勇気をもってスタートすることも言っているかのようです。成功や失敗の概念で悩むのも、また両天秤の成させる技ですが、逆にそれはまた、「正義」からの解決的な提案も語ります。

それは、天秤のように、ふたつをかけ持つこと、また剣を重視して、覚悟を決めて、今までメインではなかったことをメインにし、マイナーとメジャーの交換を促すということです。もし一人でその決意ができない、自信が得られない時は、「隠者」として専門家のサポートも受けるとよいでしょう。

いずれにしても、「13」があるので、中途半端に悩むより、できることの処理を進めて、したいことへの決断を早めるべきだと感じます。それはあなたにとっては、時にはつらいことや大きな変化でもあるのですが、それを受け入れることが進化でもあるのです。

そもそも、最初に出た三枚のカードたちも、自分自身を受け入れていない部分が過去から残存していることが示唆されており、それを認めていくことが、何よりも達成したいことへの近道であることを表しています。

親や他人、パートナーたちの願い・思いよりも、あなた自身の世界(真ん中は世界のカードです)を構築する、いや楽しむことです。しかし、やり方は複数ありますし、あなた一人がすべてやるのではなく、苦手なものは、ほかの人に移譲する許可と赦しも持つことが肝心です。目的のための、楽と効率性は選択してよいのです。

あなたは、弱くて決断力もないと自分では思っているかもしれないですが、マルセイユタロットは、本当のあなたはそうではないと言っており、むしろ、それはあなたが作り上げてきた逃避的殻(シェルター)であると語っています。

「神の家」は、そのシェルターを破壊しますが、同時にあなた本来の自立、魂(神性)に生きる人生を始めることができます。もうグズグズしてはいられないのです。

以上、ざっと、初歩的なレベルでリーディングしましたが、これだと、とても抽象的だと感じられたでしょう。

特に占いタロットをしている人には、そう思えるはずです。こんなものはアドバイスにならないと。

しかし、カードを見ながら、もう一度、よく読んでみてください。

例えば、あなたが仕事の選択で悩んでいたら、どういう意味として読めるでしょうか?

恋愛の問題で悩んでいたら、どう解釈できるでしょうか?

生き方をどうすべきかで悩んでいたら、このタロットの示唆からどう思われるでしょうか?

占いの場合は、占い師から、あなたの運勢的、現世利益的幸運の道を具体的に示してくれることが多いです。それは楽で安心できることでもあります。だから、本当に自分では判断がつかない、わけがわらない、緊急だという時には、占いもよいと思います。

ところが、占いではないタロットリーディングとなってきますと、このように一見、抽象的な読み方にもなります。

このブログを読んでいる人の悩み・問いはいろいろで、まさに個別的なものでしょう。(最初にも言ったように、当然、私は皆さんの悩みひとつひとつは知りません)

それでも、展開したタロットから見る共通する象徴性があり、それを具体的次元・事象として、あなたが落とし込めば(あてはめれば)、おのずと、どうすればよいのか、どういう状態なのか、自分自身で気づくことができるはずです。

これこそが、象徴(抽象次元)と、現実(具体次元)をつなぎあわせる力となり、自らの創造性の力の発揮とも関係してくるのです。

右か左かが、言われなくても自然にわかってくる、あるいは右でも左でもないという本質的問題・テーマが見えてくると言ったほうがよいでしょうか。

タロットリーダーはあなた(クライアント)自身ではありません。タロットにあなたの思いや状態を映し出すことはできても、その本当の解答は、まさに、あなた(クライアント)自身でしかわからないことなのです。

それでも、タロットには、実際的・具体的次元にまで落として、わかりやすくさせる技法もあります。これは具体性を示唆させるための、タロットからの親切な手ほどきです。

それがタロットに小アルカナのある意味のひとつです。(それでも、それは正しいとか間違いを指すものではありません。現実の中で、あなたの性質をどう生かすのか、どう調整するかの判断を、大アルカナよりも、具体的な形で示すというものです、運・不運を示すことでもないのです)

タロットリーディングは、タロットリーダーのタロットの象徴知識、直観性と、クライアントの実際的情報、カードへの印象、直感などが相まって、共同作業としてワークし、タロットリーダーのサポートのもとに、クライアント自身で、自らの解決や気づき、癒しを得ていくものなのです。


マルセイユタロット講座で伝えるもの

この前は、市井の悩める人々に、占い師として、応え、癒し、その人たちの問題や人生をよくしていくという道で頑張る人の応援歌のような形で書かせていただきました。

タロットリーダーとして、対人援助する道のひとつには、占い師となって、まさに現実の実践の場で、様々な人々の悩みごとに対応していく、救済の道があります。

実はこれは自他ともの救済です。

なぜなら、占い(師)といえど、やはり自分の問題・テーマと関係したクライアントが現れるからです。その人たちの悩みに取り組んでいくことが、すなわち、自分自身への浄化や学びにもなっているからです。

またそうした占いというより、セラピストの要素を主として、タロットリーダーになっていく人もいます。これらは個性でもあり、その人の選択と、天の思し召し(役割)によるところもあるでしょう。

活躍の場や方法は、何がよくて何が悪いとか、優劣で決められる問題ではないのです。

大切なことは、目の前の悩めるクライアントに対し、その問いが占い的なものであれ、心理的なものであれ、霊的なものであれ、真剣に自分のできる範囲で(完璧にできるわけではないので、今の自分の力として)応じていき、結果的にはその人たちが癒されたり、前向きになったりすればよいのです。

時にはうまくタロットが読めなかったり、クライアントによいアドバイスを提示できなかったりすることはプロの人でもあるでしょう。

しかし、あなたがタロットとともに、うわべや虚栄心、ほかの目的ではなく、純粋に心と魂でもって応対していれば、相手の人はどこかですでに癒され、何らかの形で問題の解決に向かっいるのだと感じることができます。

さて、一方、私は、講座でタロットリーダーを養成することを主目的としているのではありません。そういう道が、講座で学んでいると、選択肢のひとつとして出てくるということであり、それもまた個人の自由と意志、自らの内なる衝動や導きによります。

ではほかに、何を目的としているのでしょうか?

それは、ちょっと大それた話にはなります。

マルセイユタロットの教説には、人は誰でも神性なる部分、高次の霊性を持っているというものがあります。

もちろん、人間には、ほかにも、いわば動物的な本能部分や、感情や快楽(苦を避ける)で動く、自己防衛、自己(エゴ)満足で判断する部分もあります。その他にも、人というのもは、本当にひとつところでは限定できない、様々な要素を持つ存在です。

ゆえに、私たちは日々悩んだり、逆に喜びを味わったりすることができます。

さて、ここで、もう少し、視線を外に向けてみましょう。あなたは、この現状(あるいいは歴史で学んだ過去からの)世界が、最善のものだと思えますか? そして、何より、あなた自身は幸せ(単なる現世利益的なものや、個人レベルで満たされているというのではなく、本当の心や魂部分から見て)と言えますか?

そして人の心は、案外にもネガティブに傾きやすいことも、多くの人は自覚しているのではないでしょうか? そういう性質にいるのはなぜなのでしょう?

とはいえ、スピリチュアル的な大きな神視点を持ってくれば、なるほど、この世界は完全で何も間違っていないのかもしれません。

つまり、問題は、私たち自分自身にあり、この世界自体は、自分の今の世界の人に共通した心が映し出した(作り出した)マトリックスのような世界だと言えるのかもしれません。

そのことは、おそらく事実に近いのではないかと、いろいろと学びをしてきて私も感じます。

それから、よく言われるものに、カルマ業の人生というものがあります。これにもいろいろな考えはありますが、平たく言えば、輪廻転生説の一環であり、私たちは、成長であれ、修正であれ、とにかく過去(あるいは未来)の何らかのデータと宇宙的規則(ダルマ)によって裁かれ、地球人生を繰り返しているというものです。

こうした視点をそのまま入れてしまえば、私たちはとにかく、毎度毎度、記憶はなくても、どこか、あるいは誰かの魂のデータによって、適切だと思える今生の人生設定を選んで、輪廻転生して、生き続けることになります。

しかし、さきほど、神目線に立つと、世界の問題は私たち自身の共通したものにあると言いました。

輪廻転生を繰り返し、自分や世界をよくしようとしても、今現在の社会と世界は、とても理想とはほど遠いというか、私には修羅の世界にも見えてきます。

もちろん、善的なものや幸福もたくさんあるとは思いますが、やはり皆が平和で安心して、生き生きと活躍できる世界とはいいがたい部分が多いように思います。

ここで、思うのは、マルセイユタロットをやってきて気づいたことでもありますが、そもそも私たち自身が、かなりの部分で間違ったシステムを信じ込み、それを動かそうと、もう何千年もしてきたのではないかということです。それはカルマシステムとか、輪廻転生的なものも含めてです。

言い方を変えれば、認識や智慧のレベルが、ずっと低いままで来ていて、いわゆる文明の進化ということはあっても、それは本質的には変わっておらず、自分たちの信じているシステムと社会をただ便利に、回転しやすく発達したかのように見せかけているだけという気がします。

我々が信じ、続けてきたこと(これは生きている世界だけではなく、あの世とか、見えない世界も含めて)に疑いや考察の目がまったくなく、ただ神は、宇宙は完璧だと思い、頑張って従っていれば報われるということを、何世代も繰り返していて、真の進化が滞っているのではないかと考えるわけです。

換言すれば、ある同じ次元(と世界)でのループにはまっているということです。もしかすると、実験として観察されている対象なのかもしれませんが。

これは、神や宇宙を否定したり、疑ったりするということではありません、おそらくも神、宇宙は、いつも完全です。

しかし、私たち人間自体が誤謬し、宇宙や神性的ものから遠く離れた状態に、自らを置き続けているのです。

いわば、自分たちで自分たちを苦しめているシステムの中で、バーチャルなすばらしき世界と思っている「地獄」にいるのです。

ですから、私たち自身が生み出す幻想やよいことと思っているものを疑い、レベルや次元、システムを変容させなくてはならないと言っているのです。

マルセイユタロットが本当に伝えていることは、それだと私は考えています。(もちろん、あくまで私の考えで、いろいろほかの考えがあってもいいと思っています)

簡単に言えば、マルセイユタロットを通して、内なる神性に少しでも近づき開花し、一人一人が波動的に影響を及ぼし合い、自分たちを苦しめるシステム自体が変えられることを確信してほしいと思っているのです。

大きな言葉でいえば、創造されたものの立場から、創造する立場への変換です。

私たち自身がその昔、契約したもの(存在)を解除し、新たに私たち自身で世界を変え、本来の宇宙を創造、あるいは本来のもとに回帰する必要があるのです。

そのようことを伝達し、皆さんと私の目覚め、向上のために、マルセイユタロット講座を開いています。これもまた、それぞれの救済の道だと考えています。


占いの世界で頑張る人に

私は、純粋な占いとしての技術のタロットは、ほとんど教えていませんが、場合によっては、必要なこともありますので、特にプロリーダー養成コースの中では、伝授している技法もあります。(求められればお伝えもします)

と申しますのは、やはり、タロットを対人援助的に使う場所としては、現実的には占いのフィールドが多いからです。

ここ(占いの現場)は、占いという、一見、非現実的なことを扱う場所ながらも、実は、いろいろな意味で、とても現実的なところです。

まず、占いの館などの場合、オーナーは人助けの意思でされている人もおられるでしょうが、営業・お店の部分もありますから、当然営利としてのお金が関係します。

占い師は雇われる立場になり、場所によっては、それこそ、営業セールスマンのように、毎月・毎週の売り上げ(人気)ランキングが貼り出されて、競争を意識させられることもあるでしょう。

また、占い師同士の激しい競争意識とか、売れている人への嫉妬の念のぶつかりあいとか、そういう激しい情念が渦巻くところもあります。

ともあれ、店内の争いはともかくして、お店側としては、厳しい言い方をすれば、どの道、お店の利益に貢献しない占い師には用はないというわけです。しかし、普通の仕事でも、仕事ができない人は、辞めさせられたり、厳しく扱われたりするものです。

逆に、人気の占い師は、いろいろとお店が便宜を図ったり、特別ボーナスの支給や扱いをよくしてくれたりします。まあ、これも私企業に勤める普通の社会の人と似たところがあるわけです。

ということで、経済的なことでの雇用の現実性が、占いの世界でも当然存在するので、現実的だと言っているわけです。

もうひとつは、占い師のほうではなく、相談に来られるクライアント側にも言えることです。

それは、巷の占い現場の相談内容は、まさに生々しく、現実めいた問題だということです。

もっと言えば、具体的なことが多く、人間の典型的な悩みといえる。仕事・お金、恋愛・結婚、人間関係、健康、運勢などの問題が如実に、あるいは赤裸々に語られるわけです。

たとえクライアントの言い方が抽象的であったり、柔らかな感じがあったりしても、悩んでいる相談者の心はかなり苦しく、どろどろしたものがあると言えましょう。そう、人間社会の(悩みごとの)縮図のようなもの(世界)があるのです。

日本には、ムラ社会の時代では、江戸時代に整えられた檀家制度もあって、お寺さんに悩みごとを相談できたり、そもそも近所づきあい、家族づきあいが色濃いものであったりしたので、悩みを打ち明ける機会は、今よりも気安くあったのではないかと想像します。

また、かつてのムラには、いわゆる年齢階梯制度による一人前になる仕組みがあり、年齢グループによって、男女別に集まり、夜に話し合ったり、泊まったりして、いろいろとムラの掟を学ぶと同時に、仲間意識を醸成し、悩みも共有したり、相談し合ええたりする雰囲気があったと言われます。

さらに言えば、仏様や神様と交流する霊的な機会が、祭ごと(祀りごと)として、季節のポイントの折々にあったので、霊的浄化やエネルギーの開放と充填もできていたところがあったのでないかと推測されます。

それで、話を占い師に戻します。

今、身近に、現実的・精神的なことを相談てきる場所が、意外に多いようで少ないのが現状です。

確かにスピリチュアルリーダーとか、セラピスト、カウンセラーとかいう人は増えてきましたが、そういう、いわば横文字的なものになってきますと、敷居が高くて敬遠される人もいます。(継続回数が必要なことがあるのと、料金が高額というのもあります)

しかし、「占い」となれば、相談としては、特に女性の場合は気軽に行ける人も多いでしょう。料金も予約制の自宅サロンでされている人とか、有名占い師さんは別として、最初はそれほど高額には設定されていません。

タロットを学習し、タロットを人に活かしたいとなれば、このような占いの現場で活動するという方法もあります。

ただ、先述したように、生の現場では、まさに市井の人の本当の悩み、現実的な悩みごとを相手にしなければなりません。そこには、空虚な理論や、いきなりのスピリチュアル的観点、精神論は受け付けられない場合もあります。

言い方は悪いのですが、占いの相談に来られる方は、自分の状況を実際によくしたいと飢えている、よい選択肢を強く求めているのであり、フワフワした抽象的な物言いでは済まないこともあるわけです。

タロットでいえば、講座やセミナーで学習する基本的なパターンの読み、教科書的な読みとか、展開法、リーディングが通じないことも多々あります。

私など、昔、占いの館に出ていた時、タロットを展開しても、タロットそのものを無視する(見ようとしない)人もいて、こうなると、タロットを自分の中に組み込んで、絵柄ではなく、タロットの教えとか象徴性を自分の言葉に変えて伝えるしかありませんでした。まるでエアータロットみたいなものです。(笑)

でも占いの現場は、悪いことばかりではありません。誰にも相談できず、偶然仕方なく、占いブースに飛び込まれてきた方が、救われたという話はよくあります。占い師側も、きちんと結果を出して評価されれば、お金として得ることもできます。

現実的なところだからこそ、現実の場所で救う(おこがましい言い方ですが)ことができるのです。とても大げさで、あえて美しい表現をすれば、後方の病院でなく、戦場に出て看護するナイチンゲールのようなものです。

占いは、具体的で現実的な救いの言葉、サポートが必要と言いましたが、しかしこれだけでは、占いの悪い部分として、クライアントに依存や運命論信者(あるいは、幸運・開運ばかりを異常に望み、選択しようとするアンバランス性)を生み出してしまいます。

喉が渇いた人にはお水を、お腹が空いた人には食べ物を、というのが占いの最初かもしれませんが、そこでひとまず落ち着いてもらってから、本当の要因や改善の方法に入っていくことも、占い師としては求められるかもしれません。

つまりは、それは精神・心理レベルの話であったり、サイキックとは別の、霊的な成長の話であったりします。

おそらく、かつてはそういうシステムでお寺とか神社、時には地域の霊的能力者・拝み屋さんのような人(悪意のない場合の人)が、市井の人の悩みに応え、やがて、その悩みを超えて、仏や神の道、霊性の向上へと導かれるように、説いていたのでははないかと思います。それは今でいうと、終活も兼ねていたのかもしれません。

占い師さん(それを志す人も含めて)は、なかなか厳しい世界だと思いますが、皆さんの志次第で、今の現実的問題の解決を示唆しながらも、もっと高いレベルへと相談者の方々を導き、志向させることもできるのではないかと思います。言ってみれば、現代の遊行僧、市井に降りた巫女的な者なのです。

どうぞ、占い師の皆さん、頑張ってくださいませ。


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