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タロット 三枚リーディング
タロットの展開法には、有名なものは、いくつかに分類されますが、無名なもの、オリジナルなものなども入れるとなると、それこそ、数えきれないほどあると思います。
現に私も、自分で考えた展開法をいくつか(というより、結構)持っています。(占いとしての展開法もありますよ)
とはいえ、やはり、有名でメジャーなスプレッド(展開法)というものがあって、それが使われることは多いです。
その中のひとつに、スリーカードと呼ばれる、いわゆる三枚引き、三つのカードを引いて占ったり、リーディングしたりする方法があります。
三枚引く方法は、いわば基本形みたいなところがあり、そこからさらにいくつかカードを加えて(引いて)解釈するというやり方もあります。
3という数は、よく4と比べられますが、4と比較した場合、3はモデルや型アイデアや理想を示すのに対し、4は3のモデル、理想を現実に形として示すようなものとなります。3の話を具体的にしてみると、4というもうひとつの数が必要になるみたいなことです。
しかし、あえて4と比べず、3だけの単体で見た場合、3にも現実的なところがあります。
それは、時間との関係です。時間は実体としてはとらえられませんが、数で表すことで、数量的に把握が可能となり、さらに、その数に進行を与えると、時間経過として私たちは感じることができるようになります。
簡単に言えば、過去・現在・未来となる話です。ここで、過去・現在・未来と3つのパートが出たのに気が付かれたでしょう。
そう、3つのパートを時間(の種類、固まり)として考えることで、現実の時間の流れとして(それが真実かどうかここでは問いません、あくまで私たちの現実感覚でのことで述べています)、感じることができるのです。
つまり、時間の種類は3つあれば、私たちは時間の中に生きられるというわけです。(これはマルセイユタロット「運命の輪」とも関係します)
ですから、タロットでスリーカードとなれば、(占われる人の)過去・現在・未来を、それぞれの一枚ずつが表すという解釈もありますし、むしろ、それ(そういった時系列解釈)は(タロット占いの世界では)普通かもしれません。
一方で、3は理想や聖なるもの、現実にはまだ起こっていないモデルや型、プラトン的に言えば「イデア」も示す数であり、ふたつ(2という分離の数)の葛藤や対立を調和させる第三の力も持ちます。
また、現実とイメージの狭間においてのエネルギー、混沌とした次元(ある種の非現実な空間)として見ることもできる数です。
ということは、三枚引いたカードの中には、クライアントの夢や希望、あるいは理想、さらには現実化できない不安や要因なども、象徴的に現れている場合もあるのです。
時間は現実感覚で、過去・現在・未来と流れているのに、クライアントのイメージや心の中、空想では、逆に動いていたり、バラバラだったりすることもあるのです。
これは引いた三枚のカードが、時間の流れとして正常に見えているようで、実はそうではなく、心のイメージが投影されていることもあり、本来の現実と調整するために、カードの入れ替えが必要となる場合があります。
言い換えれば、時間が自分の中で変形し、止まっている(停滞したり、そうだと思い込んでいたりする時間の)ものがあり、それを修正していくことで、現実の時間と一緒にスムースに流れていく(心のイメージの時間が現実のものと調和していく)ことが可能になります。
私は、もともとはカモワン版マルセイユタロット、いわゆるカモワンタロットから始め、カモワン流の動的展開法といわれるものを中心に、実践でも展開してきました。これはこれで、本当にすばらしい技法です。
そして、同じタロットのもうひとり製作者であり、セラピスト、映画監督でもあるアレハンドロ・ホドロフスキー氏の方法にもふれ、さらに自分なりに、マルセイユタロットを研究し、実践していく中で、リーディングセッション中に、様々なオリジナルなものも含めて、その人に必要と思われる展開を採用していくようになってきました。
究極的に言えば、セッションの目的(クライアントの癒しや問題解決、前に進んだり、楽になる術を得ることなど)が大事で、どの展開法が正しいかとか、優れているとかいったものはないと考えています。
ただ、そのタロットリーダーが得意とするもの、相性のいいもの、そのタロットにおいて、特に活かせるものはあるとは思います。
同時に、クライアントの問題や状態によって、その時に適切で合う展開法というのもあると考えられます。
そのため、展開法をひとつだけにこだわり過ぎても、よい結果が出ないこともあります。と言っても、逆に、たくさん持ちすぎて、結局何がなんだかわからない、焦点がぶれてしまっては本末転倒の話になりますから、やはり、自分が核となる展開法(自信をもって展開し、読むことができ、アドバイスできる展開法)は習得しておいたほうがいいでしょう。
人は悩むことを使命としている(されている)
私たちは悩むことが仕事である、もっと言えば使命であると述べれば、怒る人もいらっしゃるかもしれませんし、何を言っているのかわからないと思う人もおられるでしょう。
それでも、ちょっと通常の観点を変えて、人間の生活を見れば、そのようなことも、あるいは言えるのかもしれないと、気づくこともあるのではないでしょうか?
あくまで想像にはなりますが、きっと原始的な共同社会では、今ほどの悩みはなかったように思います。
社会システムが複雑になればなるほど、様々な具体性や種類のものが登場し、扱う物事の数も複雑さも前時代の比ではなくなってきます。
それだけ、毎日、思い考えなければならないことが莫大に増えているのが現代社会の人々と言えます。
便利な道具も増えたにもかかわらず、世の中が複雑になり、むしろ助け合いや協力的なことは、実感として希薄な感じであり、人の温かさにふれるということもあまりなくなってきました。
昔は、助け合わなければ(民俗学でいうユイやモヤイ的な共同作業をしなければ)生活ができなかった時代であったからということはあるでしょう。
しかしながら、今は、別の意味での協力はあっても、所属するコミュニティ・社会全員で協力的に仕事を行わなければ、個々の生活ができないという状況ではありませんので、人に無関心にもなりますし、個人の勝手や自己責任という考え方が増えていくのも当然かと思います。
皮肉なことに、所属成員の生活がかかっていたために、共同的にならずにはいられなかった時代は、そのおかげで、成員全体での援助やケア、時には相談や癒しもあったのだと推測されます。
生存的な(食べていくことの)悩みは今よりもっと深刻にあったでしょうが、精神的な混迷とか、生きづらさの悩みは少なかったように想像します。
そうして、時代が進むつにつれて、生存的な悩みは改善されてきましたが、先述したように、社会やシステムが複雑になり、機器も発達し、人口自体多く、価値観も多様になってきたことで、情報は洪水化し、あらゆる選択肢は増えたものの、反面、どれを選択し、どれが正しいのかが余計わかりづらくなっています。
要するに、(時代の)進化に従って、精神的な悩みがより複雑化してきたということです。単純に、時代が進めば人類も進化するとは言い難いとは思いますが、一般的に言って、文明は発達してきたと考えてもよいでしょう。(超古代など、まだ科学・歴史的に証明されていない時代などは除いて)
ということは、悩みを深める、増やす、複雑化するということが、もしかすると、人類の使命になっているのかもしれないということです。時代や文明が発達すればするほど悩みも増えるのですから、そう見てもおかしいとは言い切れないでしょう。
人類や文明が進化すれば、悩みごとはなくなるか、少なくとも、昔より減っていくのが普通ではないでしょうか。
それなのに、今の人たちの苦悩は、皆さん、表に出さないだけで、実は相当大変で深刻なものになっているのではないかと感じています。(もちろん、悩みごともなく、幸せいっぱいの人もいらっしゃるでしょうが)
ならば、私たちは、悩むことが課さられている種(人間・生き物)なのだと考えてみるわけです。それがつまりは、冒頭で述べた「悩むことが、私たち人類の仕事・使命」だという意味です。
では、なぜ、悩むことを、私たちは仕事としなくてはならないのでしょうか? ここを考えることが、非常に重要ではないかと思っています。
人によっては、そのテーマは、哲学的になるかもしれませんし、スピリチュアル的なことで見ようとするかもしれません。また、心理的な意味(個人とその個人を超えた領域も含むトランスパーソナルな意味においても)で考察するのも面白いでしょう。
私の考えを少し言いますと、まず心理的には、自分が自分であるための証明を発したいという意味の理由があると考えています。
世の中が複雑になればなるほど、実は標準化されるといいますか、皆さん、個人が全体の巨大なネットワークの中で埋もれた状態になっていきます。いわば、ネットワークシステムの中の、ただの中継地点みたいなものです。
時には、中継地点のレベルを超え、自らが発電や起点になるかのような、大きな個性を持つ場合もあるでしょうが、それも大きなネットワークの中で見れば、やはりただの、少々目立つ点(ポイント)に過ぎません。
そんな中で、点としての一人ひとりが、自分の存在をネットワークに響かせるには、イレギュラーを起こして、アラームを鳴らせることが考えられます。ほかにも方法はあるでしょうが、注意を全体に促す方法(つまりは注目してもらうための方法)としては、効果的だと言えます。
ひとつの点であっても、それがシステムエラーを起こすと、全体としての機能に問題が出るかもしれないからです。(実際は、切り捨てられたり、ほかの部分でカバーできたりするので、全体からすれば真の問題とは言えないのですが)
それが、一人ひとりの問題や悩みです。
「僕は、私はここにいる」「僕は僕です」「私は私なんです」「こんな私を無視しないでください」「私に注目してください」という、悲痛ともいえる心(自我として)の叫び、訴えのようなものと言えます。
ひねくれてきますと、一筋縄ではいかない問題として起こしてきます。
「そうはいっても・・・」みたいに、なかなか問題を解決させようとしません。ひとつ解消しても、次々と新しい悩みや問題を認識させようとします。
簡単に悩みとか問題が解決すれば、自分の存在価値がなくなってしまうからです。(自分が埋もれてしまう)
そうして、何度でも、悩みは形を変えて、内容を変えて、自らの中に起こってきます。
このような、自己の存在価値、自我としての個性を訴えるために悩みや問題が起きる(起こす)という説がひとつです。
時代とともに、より個性を出したい思いも強くなり、単純な問題よりも複雑で難しく、こじらせた問題にもなってきます。あるいは複数の悩みを同時に抱えた状態にもなります。
しかし、一方で、ネットワークシステム全体(側)から見た場合、さきほど、それは真の問題にはならないと言いました。
システム全体が親のようなものとして仮定すると、一人ひとりの存在の叫び(悩みとしてのエラー・アラーム)は、ネットワークを介して、自然に修復する力を持ちますし(よしよし、わかったよとなだめるみたいなもの)、難しい問題でも、何とかしようと全体で演算処理するよう働きます。
その結果、全体システム側は、点の一人ひとりの悩みを解決するため(存在を認めてあげるため)、ほかの適切な人(点)に会わせたり、状況(全体の中での、色分けされた小規模のネットワークの構築)を作り出したりします。
この一連の働きが、ネットワークをというか全体の知能を進化させているように思います。
問題は、点としての我々を、本当に機械的な点にしてしまおうというネットワークに発達してしまうのか、個として独立しながら(個の存在を認めながら)、ネットワークにつながることによって、全体そのものが巨大な集合個でありつつ、ネットワークとしての点(個)としても機能するという、入れ子構造的個とネットワークの発達に向かうのかということです。
私たちは悩みや問題を通して、どちらを選択するのだろうかというテーマ(課題)がありそうです。
前者は、機械的な全体管理主義的な話となり、私たちの人としての個性は消え、機械の一部として機能するようなものとなりますが、それはそれで、便利で合理的なシステムとなって、悩みは少なくなる方向も期待できます。(悩みという概念が、そもそも消失していく世界)
後者は、個としての人を保ちつつ、共同システム的な能力・体制にも対応することができるという感じでしょうか。
SF的なスピリチュアル風にいえば、前者は個性を消す代わりに、ひとつりの巨大な機会人間として、合理的に悩みのないワンオーダーな世界を作るということになりますし、後者は個はあくまて残しつつ、個と個がつながる次元を作ることによって、そこでお互いを認識し合い(よって孤独という感覚や、自分を訴える必要性が少なくなる)、便利さの追及や問題の解決を、全体のつながりで図っていくというような状態で、いわば、人でありながら神(宇宙)のようにひとつになるような状態です。
いずれにしても、人が悩むことは必然のようなものになってきており、それも、より複雑化しているわけで、これは一面、人としての進化の側面を持っている(進化が急速に進んでいるともとれる)という話です。
しかしながら、この先、私たちの選択によって、悩みの解消として新しい方向性が結実していく時、今述べたような、大きくわけてふたつの道に分かれていくような気がします。
悩みの中に、ただの現実的観点だけではなく、精神はもとより、霊性や魂の進化の観点を入れておかないと、この先、私たちは、「自我意識」をもたない機械的存在として、ある空間に押し込められたままのおそれもあるかもしれません。
マルセイユタロットを見ながら、そういうことが浮かんできた次第です。
いちテロティストの戯言、ただの妄想と思っていただいても構いませんが、個人的には、とても重要なことを述べさせていただいていると思っています。
焦り、そして危機という変容に対して。
本来スピーディーな印象のカードや、逆にゆっくりすることが求められるカードが、警告として出てくる場合、その多くは、焦りすぎ、急ぎすぎという内容て解釈するとよい場合があります。
たとえば、前者では「戦車」のカード、後者では「節制」などが、あげられるでしょうか。
カードの読み方の技法はいろいろとありますが、単純なものには、吉凶、いい・悪いに分けて読むもの、そしていいも悪いもカード自体にはないものの、そのポジションの出方(正逆など)や、直感的な印象によって、カードの表すノーマルな状態に、アンバランスな力やエネルギーが働いている(自分がそうしている)と読む方法もあります。
最初に述べた、警告的な見方は、カードそのものにいい・悪いを見るのではなく、カードの象徴性のノーマルさが崩れたものとして、自分の問題をとらえるやり方です。
さて、今回の趣旨は、カードの読み方の技法をとりあげるのではなく、人の焦りについてのことです。
なぜ、人は焦ってしまうのかと言えば、予測がつかないことが起こった、今までの経験やデータではわからないことが起きている、早く結果を出さないといけない差し迫った状況にある・・・など様々ですが、逆に言えば、落ち着けない、安心できないからで、一言でいえば、「自分を見失っている」からだと言い換えることができるでしょう。
焦らないためには、どんなことが起こっても、大方の予想ができる自分の経験値や能力を高めておくことがまず考えられます。これは状況に対応できる力を養うという意味で、物質的というか、現実的な対策と言えましょう。
しかし、いくら経験や能力を高めても、わからないことはあり、突発的に焦ってしまうことはあるでしょう。そうすると、今度は、メンタル・精神を鍛えたり、何が起きても動じない精神の状態をキープできたりする、内面や心のほうからの対処も考えられます。
極端なことを言えば、悟った人になれば、おそらく焦るなんてことはないのでしょう。ここまで来ると、もはやメンタル次元を超えたところに自分がいて、いわば、すべてがわかるような状態になっているので、焦ることはないのだと思います。
ということは、「大悟する(大きく真に悟る)」というのと同じですが、そこまで行かないにしても、精神的・メンタル的には、具体について悩むのではなく、もっと次元を上げたところに問題を置くと、今悩んで焦っていることのレベルが消え、焦りそのものが消失するということもありえます。
例えば、「これを明日までにやらなくてはならないが、時間がない」と焦っている時に、その作業を明日まで仕上げられるかどうかという時間的作業的問題(具体的問題)に対して、焦っているわけです。
その問題観点(次元)を別にしてしまうと、まず、明日までという制限は絶対なのか?伸ばすことは可能ではないのか? 明日までというのはもともと無理ある話だったのではないか? というような、小さな次元移行でもって考察することができます。
さらに大きな次元移行になりますと、そもそもこの作業をやらなくても生きていけるのではないか? できないと非難や損害は被るかもれないが、自分自身の本質は何も傷つかないのではないか?みたいな話にもなってきます。
もちろん、社会でのルール、責任というものもありますので、なんでも次元や大元を変えればよいというわけではなく、当然、自分が超越した状態に移行するには、その分の責任も取る覚悟、本当の自由を選択するそれ相応の責任も生じます。
さて、焦りについて、ちょっと違う話もしたいと思います。
人はずっと同じ状態が続くわけではないのは、皆さんも気づいておられると思います。肉体的にもそうですし、スピリチュアル的にも、(魂の)成長のために、いろいろな事件や変化が自分に起きてきます。
見方を変えれば、(高次の)自分が起こしていると言ってもいいのですが、このような時、たいていはピンチや危機、試練のようなものとして本人には感じられます。要は大変だと実際に感じることなのです。(こじつければ、大きな変化なのて「大変」とも言えます)
大きな意味(魂的な目)で見れば、それは成長や今までの殻を破るための変容ステップだと言えるのですが、当人には何が起きているのかよくわからず、肉体的・環境的など、いろいろな実際の試練・苦しさなどとして経験します。
予測のつかないこと、わからないことは焦りの原因でもあることは、先述した通りです。
そのため、自分でいろいろ調べたり、誰かに相談したり、見てもらったりと、いろいろと駆けずり回る人もいます。
試練は、ただその人にその状態で放置されているだけのものではなく、タロット的に言えば、救いの天使(現実ではあなたを援助する人ということになります)のサポートや、気づきを与えるインスピレーションが与えられやすい状況になっていったりと、何らかの「神性」からの手助けがセットで施されています。
よく言われるように、当人に越えられない試練はないみたいなことです。(援助とセットになっている)
ところが、人間である私たちは、これまで経験したことのないようなこと、理由がわからないようなこと、まったくの混乱状態に陥ったりしている時などは、どうしても焦ってしまい、ただでさえ、物事の見方が偏っているのに、もっと狭い偏見に近いほどのモノの見方になり、思考や感情を冷静に保っていられず、いわゆるパニックのような状態になることがあります。
普段は隠れていた自分の弱さが、拡大されて出てくるようなものです。
この状態では正確な判断ができにくいことは、普通に考えてもわかることです。まさに、自分を見失っている状態なのです。
焦りでもっとも危険なのは、こうした正常で冷静な判断力が失われ、別の人に依存的であったり、攻撃的であったりする、自分の影の人格のような自分が憑依することです。(それが現れてしまうこと)
この場合、象徴的な言い方になりますが、天使より先に悪魔が入り込みやすくなり、ますます焦りが増幅され、誰かに極端に依存したり、ひとつの答えしか見えなくなったりして、それでしか自分は救われないと意固地になります。
さきほど、試練は救済とセットになっていると述べたように、象徴的には天使も見守っているのですが、天使的な守護を得るためには、自分(の中にあると言ってもいい、天、神性、宇宙など大いなるもの)を本当の意味で信頼し、辛抱強くあることが必要です。
そして、自分の判断やエゴ的(欲求解消、快を求めたり、苦をすぐになくすためが中心の)感覚だけに頼らず、現実的でまともに相談できる家族や専門家の意見も求めることです。もっというと、奇跡(奇異というものに近い奇跡)やとんでもを求めすぎないということです。
そうすると、直感ではなく直観として、あなたの中に安心できるコアのようなものが見つかっていくでしょう。
苦しいことはとてもわかりますし、すぐさま何とかそこから助けてほしいという気持ちになるのはもっともですが、それだけに、あなたの焦りによって、変容を遅らせたり、ますます泥沼にはまらせる存在を引き寄せてしまうこともあるのです。
ですが、もうひとつ、私の経験から言いますと、迷いに迷って、焦りに焦って、いわば迷い焦り切ってしまうことも、必ずしも悪いばかりではないと思います。
助けを求めて、いろいろなところへ出かけたり、人に会ったりしていくことで、結局、何をやっても誰によっても、自分自身が本当のことに気が付いていなければ、自分は変わらないのだと、やがて何か、憑き物が落ちたかのようにわかる時がやってきます。
それに気が付き始めた頃に出会う人や、仕事、技術は、(当人への救いとして)本物であることが多いような気がします。
しかし、これは諸刃の剣で、あなたが弱り、焦りのエネルギーを食らおうとする(それは肉体的エネルギーのこともあれば、あなたのお金の場合のこともあります)存在もいますので、危険といえば危険なところもあります。
どんなに落ち込んでも、必ず救いはどこかにあるのだと信じる(自分の中に持っておく)ことで、救いの道は、時間差はあっても訪れます。
この現実世界は、時空を感じられる空間のため、時間差や空間的距離などの差があり、それが直接ですぐの救済がもたらされにくい要因ともなっています。
自暴自棄になって、自分など生きる価値がないと思ってしまうことも、人によってはあるでしょう。私にもそんな時はあります。
それでも、試練と救いはセットになっており、時間差や距離感はあっても、救いと成長のシステムがあるのだということを信じる(つまりは自分の中にその物語をセッティングする)ことで、道は開かれると思います。
宗教的に神に祈るという行為も、祈るという行為そのものが、救済の装置(仕掛け)をあなたの内面にセッティングしているのです。本気で祈りを繰り返すことで、自身の神性的な力も発動することでしょう。ですから、祈りも無駄ではないのです。
タロットとの問答・会話
タロットを自分で使うコツは、タロットと問答することです。
少し前、「独りよがりが問題」であるという内容の記事を書きました。
結局、自分中心(といっても、本当の自分ではない自分)にいる時、人は悩み、迷い、苦しみます。
簡単な理屈でというと、本当の自分ではないから、二人の自分で対立することになり、すつきりしないのは当然なのです。
しかし、なかなか、自分一人だけで、この見せかけの自分に陥っている自らの状態から脱することが難しいのですね。
深い話で言うと、タロットの大アルカナ、上のほうの数(数の多いほう)のものを見ていると、私たち人間は、常に幻想空間の中にいて、それを現実だと思い込んでいる節があるのですね。
それはそのように設計・計画されているのかもしれませんが、とにかく、元の世界が本当のものかどうかは別にしても、自分たちで本来あるべきものとは別の空間を作ってしまって、その中で暮らしているようなものだと考えられるわけです。
そして、その際たるものが、自分(と信じ込んでいる自分)だけで物事を見てしまう、判断してしまうという誤謬です。
「いやいや、私はほかの人の目を意識してますよ、自分だけで勝手に思っているわけではありません」と言う人もいるかもしれません。
実はそれこそが、自分だけの世界にいる状態なのです。
この場合の他人の視点というのは、自分がイメージしたり、自分が目で見たり、心で想像したりの他人です。その他人も、本当の意味での他人(その人本人)とは言えず、本当の他人を見ていないと言えます。(ただし、他人のアドバイスを素直に聞く時は、本当の他人が現れて、共同的・統合的問題解決に向かうことがあります)
と、これ以上、考察していくと、ますますわけがわからなくなってしまう人も出ると思いますので、元に戻りまして、要は、私たちは、自分の妄想みたいなものにはまる(はまりがちな)構造の中に生きているとだけ言っておきましょう。
タロットには、時空を超越するため・・・と言えばちょっと大げさになり過ぎるので、別の言い方にすると、常識的感覚から解放し、本当の自分に戻るヒントを与えるための視点として、大アルカナのカードが提供されています。(小アルカナはまた別の機能と働きがあります)
中でも、マルセイユタロットは、人々の意識の元型をわかりやすい図像で象徴させていますので、特定の信念や思想、欲求に偏り過ぎない画像になっています。
自分が嘘の自分に陥り、悩んでいる時、大アルカナ22枚と問答していくとよいです。
この問答の方法には、人によってやりすいやり方と、逆に間違うと、まったく問答ができなくなってしまうタイプの方法があります。それは、個性によるからです。
平均的に皆さんがやりやすいのは、カードを人間のように扱う方法です。
カードそれぞれを人間のように見立て、それと会話していくというものです。(全部でなくても、数枚シャッフルして選んでやるとよいです)
中には、まつたくしゃべってくれないカードもあれば、結構いろいろと話してくれるカードもあります。
妄想ではありますが、そもそも先述したように、今の自分こそが妄想世界に入っているようなものなので、逆に、妄想モードみたいになることで、脱出の手がかりをつかむことも可能なのです。
例えれば、夢の中で、現実へのヒントを知ったというような感じです。
こういう、いわばメルヘンチック(笑)ともいえる方法が向いて人もいますが、もっと知的に進めたいという思考中心タイプの人は、タロットの象徴を学ぶことで、タロットを人間化せずとも、それぞれの観点、思考方法として見て、自分と問答することができます。(このほうが好きという人もいます)
さらに、感情中心タイプ(気持ちが納得して理解)の人は、タロットに感情を与えることで、自分の感情を精査したり、過不足に気づかせることもできます。
人の理解、言ってしまえば「本当にわかった!」という感覚に至るには、私が思うに、頭(思考)の理解と心(感情)の理解がともにあって成立すると考えています。(当然これにも、どちらか寄りのような、個性・自分の傾向があります)
ですから、タロットと問答するのにも、タロットをどのようなものにするかによって、問答しやすくなったり、まったくわけがわからなくなったりすることがあります。
さて、独りよがり、自分の世界に入り込んでしまっているための悩みや苦しみは、客観視点があればいいわけですから、自分とタロットとの問答に、さらにタロットが読めるタロットリーダーがいれば、三者(三角)構造によって、新しい創造やアイデアも生み出される可能性があります。
何より、仮の自分枠から脱却しやすくなり、本来の自分を取り戻しやすくもなります。
タロットを学ぶということは、いろいろと目的や結果はあるのですが、ここでいう意味では、一人よがりに陥りやすい考え方から、ニュートラルや本来の自分の戻るための技法を得るということになりますし、その手助けをする援助方法を学ぶということにもなります。
本来の自分に純粋に戻れば戻るほど、高次の自分(完全性の広域的自分)との接触が可能になり、悩みごとの解決方法や視点、現実との調整のヒントも生まれるようになります。
私もこのところの変容中で、改めてタロットの力のすばらしさを実感しているところです。
では、これを読んでいるあなたに、一枚のカードを引きましょう。

私たちマルセイユタロットを扱う者には「手品師」、一般には魔術師とか奇術師と呼ぶ、「1」という最初の数を持つカードが出ました。
皆さん、それぞれで、この手品師さんと会話してみましょう。
彼は何を語って来ていますか? それとも無視して、別の人と会話したり、手品に夢中になっていたりするかもしれませんね。
それでもいいのです。彼のやっている手品をあなたは見ていると想像しても構いません。なにせ、彼は大道芸人ですから。彼の芸に感動して、あなたはお金を支払いたくなるかもしれませんし、誰に習ったの?、私にも教えて!と思わず口走るかもです。逆に、下手だなあ・・・ネタバレてるいよ、とあきれるかもしれません。
テーブルの上には手品道具(のような)ものがたくさん並んでいますよね。気になる道具を彼に尋ねてみてもよいですよ。その道具も、もしかしたら、あなたと何か関係している可能性もあります。
彼はなぜ両足を広げているのでしょうか? それも彼に聞いてみてもいいでしょう。帽子も大きくて妙ですよね。なんでなんでしょう?
それから知識的なことを少し付け加えると、この大道芸人は、彼の仕事でもあるので、彼との会話は、あなたの仕事について、何かテーマとなるのかもしれません。
それは働き方なのか、好きな仕事のことなのか、お金や安定のための仕事なのか、とにかく何かを始めることなのか、問答していると、彼から何かヒントが与えられるのではないでしょうか。
このように一人でも問答はできますが、タロットリーダーがいれば、タロットとの問答を、もっとうまく相談者とともに進めていくことができます。(つまりタロットリーダーは調整役、進行役にもなります) そして、クライアント・相談者の悩みの本質を解き明かしていきます。
カードはたった一枚でも可能ですが、複数枚あると、さらに情報は深いところまで届くことがあります。
タロットやカードが好きな人は、カードからも愛されますので、普通の人より、会話もはずむことでしょう。やっぱり自分が一番好きなカードがよいでしょうね。
自然の摂理での変化を受け入れる
マルセイユタロットには、いろいろな象徴や示唆が描写されています。
そこには、宇宙や自然の摂理、流れのようなものも描かれています。
だから素直にタロットを見ておけばよいのですが、人間は欲求が強かったり、わがままであったりする時があります。
まあ、頭でわかっていても、感情やプライドなどで動いてしまう(あるいは固まってしまう)ことはあるものです。
さて、ずっと書いてきていることですが、この世や宇宙の原理のようなものとして、創造、維持、破壊、再生の流れがあります。
また、大きくエネルギーを分けると、陰陽や能動・受動、安定(固定)と流動みたいな相反的な性質もあります。
同じことは続かず、また変化や破壊がいつもいつも起こっているわけでもありません。
ただ厳密に細かく見れば、すべては動いている(創造と破壊が繰り返されている)というか、流れているのでしょうが、安定に見える一瞬もあると言えますし、別の言い方をすれば、すべてが含まれる空間のようなもの、そこにあらゆるものが置かれている倉庫のようなものもあると考えられます。(それさえも動ているかもですが)
言い方を変えれば、創造破壊も見せかけの変化で、本質は何も変わっていないのかもしれないということです。ですが、人間の世界で見れば、やはり変化は常にあるものになります。
ちょっと難しくなってきましたので、簡単に言いますと、ずっとひとつのことを蓄積していったり、極めて行ったりする流れと同時に、ほかのものと組み合わせたり、変化させて行ったりする、ふたつの流れがあり、それは現実的にもバランスよく見ていく必要があるのではないかということです。
平たく言えば、専門性と柔軟性みたいなことです。
最近は、スピリチュアルや精神的なことでのサポートをする個人起業家も増えてきました。
皆さん、かなりの勉強もされていますし、それぞれの得意な技術も学ばれており、好きなことで成功しようと意欲と行動にあふれている人もいらっしゃいます。
ただ、闇雲に自己アピール(ビジネス宣伝としての)ばかりしても、その人の積み重ねてきたことが何なのか、本質的にはどんな人なのか、どんな実績や能力があるのか、わからなければ、得体のしれない人と思われたり、関心を寄せてくれなかったり、時にはうざがられたりします。
まあ、でも世の中、面白いもので、たとえ自分に深さや蓄積はなくても、要領や巧みな宣伝力によって、売り出しに成功している人も少なくありません。
まじめに勉強してきた人の中には、そういう人を妬む方もいるかもしれませんが、それはその人の、またある意味、才能と個性なのです。
逆に、ひとつのことにやたらとこだわり、確かに専門的知識や経験は深いのかもしれませんが、それを役立てる方法をうまく伝えられず(伝える工夫をせず)、行動もせず、ただじっと、カードでいうと「隠者」のように待っていては、それこそ、文字通り「隠れた者」になって、人は見つけてくれませんし、見つけても、何を伝え、何をしてくれる人なのかよくわからず、「なんか言っていることはすごそうですが、私には無理そうで・・・じゃ、研究、頑張ってくださいね!」みたいに言って、去っていく人も出るでしょう。
結局、まずは、自分はどんな人で、なぜその仕事をするのか、したいのか、そういう自分のオリジナルな世界観、ストーリーというものが他人にわからないと、その人は多くの中の一人に過ぎず、ほかの人が感動したり、共感したりする要素が見えてきません。つまり、お客様の心が動かないということです。
次に、自分の人となりはアピールしたり、蓄積したりはしたものの、もしサービスとして売りものを出すのであれば、それを買っていただけるアピールと工夫も必要となります。
当たり前ですが、商品の使い方も効果の説明もなく、ただ屋台の上に並べていても、よほどの変人以外、誰も購入してはくれないでしょう。まあ、見た目にすごいものがあれば別ですが。
最初にも述べたように、自然は変化し、宇宙は動いて行くところもありますので、例えば、時代も、人のニーズも、アピールする技術も、情報伝達方法も変わっていきます。
その度にいちいち合わせる必要はないにしても、極端に言えば、ある人が、「私は昔から電話営業が得意だったので、これからずっと電話営業で顧客を獲得してみせる!」と粋がり、ごわってみたところで、もはや固定電話を持っている家庭や個人も少ない状態なのですから、無駄な努力をすることになります。これが、流れを無視した固定みたいなものです。
仕事やビジネスだけでなくても、自分の状態が思わしくない時は、自分の内と外の乖離が大きくなっていること、もっといえば、自分の成長を抑制して、守勢に回り過ぎていること、固定観念にとらわれ過ぎていることに要因の場合があります。
ここで注意がいるのは、このパターンの場合は、自分が、維持から破壊、再生創造への流れに乗っていないことにあり、逆の場合の内と外の乖離もあるのだということです。
それは、自然の摂理で見るのではなく、自分が外の世界に合わせようとし過ぎていないかを振り返る方向です。
なるほど、自然や宇宙という大きなサイクルは回転し、変化し続けていますが、ここでいう「外のもの」とは、それ(宇宙サイクル)とは関係のない、外の人の観念や想念、思い込み、常識や世間体という価値のないルールのことです。実はこれも勝手に回っているのです。
その輪に自分の回転を同調させてしまうと、人の言いなりになったり、人の顔色をうかがって生活するような人間になってしまいます。つまり自我が乗っ取られているような状態です。
本当は、大きな摂理(変化)の回転力も、あなたの内なるものにも働いており、自分が苦しい、うまく行かないということは、偽物の他人の回転に自分を合わせているためで、結局、自然と同じように、あなたも変わるためには、逆に、このパータンでは、自我を強くする、自己を守るという固定・維持エネルギーを強化する必要があるわけです。
それができてないので、自然の摂理に反して、問題が起きるのです。
ともあれ、変化を受け入れるべき時、変化させない意味の変化が必要な時(自分を守り、強めるということ)は、自分でもおのずとわかる状況がやってきます。
私自身のことで言えば、もう前から生徒さんやほかの人からも言われていますが(苦笑)、今のブログの内容が難しく、専門的になり過ぎているところがあります。それは自覚していたところでもあるのですが、さすがに、もう行き過ぎの限界にも来ているかなと感じています。
一方で、あえて それでも、今までに続けてきているのも、マルセイユタロットを中心とした、私自身の世界観を知ってもらうためでもあったのです。自身の専門性の蓄積というところですね。
すでに記事数もかなり多くなっていて、もはや書庫みたいになっています。(笑)
ですから、これからも、このブログは、過去記事も含め、皆さんの書庫、本棚、データベースのひとつして活用いただければと思うのです。
タロット学習してきた人も、違った視点を持ってみたい、マルセイユタロットの入り口、独学で学習した人のちょっとした参考、心理的な問題や、生きづらさの問題で悩んでいる人の何か楽になる手がかりとして、そういう感じで、ここを読んでいただければよいのではないかと思います。
ということで、これからもこのブログは続けて行きますが、もう少しわかりやすく、ライトな形でのタロットブログも新たに書いていこうかと考えています。まあ、私のことですから、普通の人から比べれば、それでもまだヘビーかもですが。(苦笑) ヘビーでも蛇としての智慧(の象徴)が伝わればよいのですが。ダジャレですみません。(^^;)
私は書くことと話すことは、あまり苦ではない質なので、別ブログもありかなと思い立ちました。
もしコメントでも、こんなこと別ブログで書いてくださいとか、こんな感じがいいかなというのがあれば、是非お寄せください。
新しいブログの立ち上げは、いつ頃になるかはわかりませんが、私も隠者的な自分から、もうちょっと変わっていく時期にきたのかなと思った次第です。
新しいことを少しずつ初めて行きますので、その時はよろしくお願いいたします。
