タロットの「世界」は「終わりよければすべてよし」でもある。
人生、あれこれ迷うことばかりです。
そして、「あの時選んだのが失敗だった・・・」「あの場合、こうすればよかった・・・」など、過去を後悔することもよくあります。
ところで、タロットの大アルカナと呼ばれる22枚のカードのうち、最高の数を持つのは21の「世界」です。
もちろん「愚者」を「22」と考えることもできますが、マルセイユ版で見た場合、「愚者」にはほかのカードにはあるローマ数字がなく、空白のままなので、とりあえず、記載されている数では「世界」が一番上だと言えるでしょう。
そして、ここでも何度も述べておりますカモワン流のタロット絵図「タロットマンダラ」では、21の「世界」が最後の到達点、完成を意味します。
人は普通、この「21」の「世界」を見て歩くかのように、目標や完成点を目指して進んでいます。
しかし、いつの間にかその途上での選択・結果に目を奪われ、一喜一憂し、何が目標なのか完成なのかがわからなくなり、自分の道が苦難に覆われ、 「失敗の人生劇場」にいると錯覚してしまいます。
これを完成点の側から逆に見ていき、さらに「完成」の概念を変えることで、その歩みをまるで違ったものに置き換えることも可能になるのです。
簡単にいえば、「終わりよければすべてよし」と考えるということです。
今の状態は大変だったり、時には悲惨なこともあったりして、とても自分では認められるものではないかもしれません。
しかし、ひとつの完成、目標の達成が成されれば、その時点で過去のものは栄光のための過程、成功の種、感動ストーリーとも変容します。
大目標から見れば、まだまだ完成にはほど遠いとしても、これを小さなステップにわけたり、少さなものでもきちんと成果として評価すれば、たとえこれまでは満足のいかない道のりにいたとしても、その道のりを歩んでいる自分自身の努力と評価は変わってくるでしょう。
「自分は年を取っているからもうダメだ」ではなく、50歳だろうが、80歳だろうが、亡くなるその瞬間までは成功や達成の可能性は残されていると考えるのです。
あきらめず、今の時点からひとつの目標を立て、それに到達する努力と実績をあげれば、失敗と思っていた過去の選択、結果でさえも、成功を彩るひとつの逸話・エピソード、積み重ねとなるのです。
私も「公務員を辞めた」という時点・事実では、特に今のこの時代ではバカな人の話、失敗話に分類されるかもしれません。
けれども、また新たな目標とともに、それを達成すればそれも自分の人生のドラマの大きな一部となります。
「選択が間違っていた」と思っても構いません。あとからそれもよいことにできます。
本当に人生はいつでもこれからであり、捨てたものではないのです。
いつも、勇気や元気を頂いています。
タロットは奥深いようだし、生きてるうちにするどいリーディングができるようになるなんて難しいかなぁ…とひとり考えたり、いやいや来世も頑張るつもりでコツコツやればいいんやん、と思ってみたり…そんな気持ちを明るくして下さる記事ありがとうございます(^-^)
>ぐーちゃんさん
こちらこそいつもコメントありがとうございます。
たとえばリーディングでも、たとえ一人からでも感謝されるようなものができれば、それはひとつの「成功」と「達成」だと考えると、それまでの過程(への自分の評価)も違ってきますよ。
読者登録ありがとうございました。
「世界」のとらえ方、すごくわかりやすくて
勉強になりました。ありがとうございます。
死ぬまで生きているわけだから、
可能性はいつでもあるんですね。
ありがとうございました。
>シンボリックセラピスト 鈴木美感子さん
コメントありがとうございます。
そうなんです、結局ラストのラストが良ければいいので、可能性はいつもあるわけですね。そう自分に言い聞かせている話です。(笑)