タロットで、してはいけない質問とは 

タロット講座をしていますと、実践練習の時間に、


リーディングしてはいけない質問ってありますか?」


と、受講生の方から尋ねられることがあります。


そこで今回は、そういった「リーディングに不適当な質問」というものを取り上げてみたいと思います。


とはいえ、私の場合、タロットではあるのですが、いわゆる「当てる」「予想する」という典型的な「占い」的な要素のものとは少し違いますので(そのために「リーディング」という言葉を使っています)、そのあたり、考慮していただきたいと存じます。


■リーディングに不適当な質問


人の生死について

やはりひとの命に関わることは避けたほうがよいです。


まず軽々しく生死を占う、リーディングするという態度が不遜ですし、真剣にやったとしても、結局「当たる」「当たらない」というような観点になってしまい、どちらにしても運命論的に自ら(あるいはクライアント)を縛り、よい結果を生み出さないと考えられるからです。



病気の具体的な治療方法について

これは法的な問題がからむというとことがひとつと、特に対人リーディングの場合、クライアントに対するリーダー側への責任問題が生じやすい危険性がある上に、リーダー側も判断する根拠が難しいというところがあるからです。


タロットで心の負担軽減や考えの変革、癒し効果は期待できるにしても、タロットで治療ができると謳うことは法的に禁じられていますので注意してください。


ただ今行っている医学的治療や民間療法が自分に合っているのかどうかの判断、かかっている医療機関、自己や家族の心的問題などについてリーディングすることは可能な場合もあります。それでもあくまで医学的判断や常識をもとにして、慎重に行う必要があります。



犯罪行為に及ぶこと

言うまでもないことですが、クライアントが明らかに法に反すること、犯罪行為を行うことを問いにしている場合は、当然リーディングの対象からはずします。



ギャンブル、宝くじ関係

こういう類もしないほうがよいです。第一、やってもほぼ当たりません。それは欲望が丸出しなので、きちんとした答えが出ないということもありますし、自分が冷静にリーディングすることができないからでもあります。


「それを当ててこそ占い師だ」という方もいるかもしれませんが、そういう占いはまた別のものだと思います。そして最初にも述べたように、私のやるタロットはアテモノではないので、ほとんど意味がありません。タロットに失礼だと考えるべきでしょう。


ただアテモノを極めたいという方は、私はその方法は知りませんが、独自にされてもよいかと思います。その場合は、自分の欲がダイレクトに影響しないような形で占うことが肝要だと想像されます。


宝くじ、ギャンブルのお金は何万人の人のエゴやドロドロした想念が集まって一人の人に集まるお金です。あなたはそういったお金を得たいと思いますか? それをコントロールする自信はありますか?

万が一当たっても、自分も楽しみつつ人におごるか、大きく寄付されたほうがよいでしょう。



あまりにも思い詰めている内容

たとえば、恋愛で非常に思いが募っている片想いの相手、人間関係で憎しみ哀しみがあまりにも深くてその人のことを思うだけでおかしくなるような相手、タロットをする手がブルブルふるえて、怖くてタロットを表に返すことすらできないような決断事項など、あまりにも強烈に思いこみ過ぎている事案は避けたほうがよいです。


そんな場合は自分でやらず、同じタロットや技法を使うプロのタロットリーダーやタロット仲間に見てもらったほうがよいでしょう



夕ご飯のおかずを決めるなどの些細なこと

これは別に避けなければいけないというものではありませんが、せっかく神聖なタロットリーディングを行うのですから、もっと自己実現を図る意味での、大きなテーマ、重大な課題についてやるほうがそれだけ受け取る内容も意味を持ち、深くなるということを言っています。


ただ、あくまでリーディングの練習だと割り切って行う場合はよいです。やる前には、タロットにもそう宣言して了解しておいてもらいましょう。



総合的に大事なことは、


1.現実や常識を忘れないようにすること

2.タロットの扱い(リーディングの時間・質)を大切にするということ


の二点です。


きちんと調べればすぐわかること、科学や常識に照らしてタロットを展開せずとも解決できる問題、そもそもタロット展開することになじまない話題は、タロット以外の方法があることを常に念頭に置いておくことです。


タロットは私たちの日常的思考ではとらえがたい問題、心の状態など目には見えにくい問題、枠を打破する考えを得たい場合などの新しい情報、観点の異なった見方として展開するものです。


現実を無視するのではありません。現実をよりよく生きるための智慧として使うものなのです。


そしてやはりタロットをぞんざいに扱えば扱うほど、そのタロットの展開の現れ方、リーディングの質もいい加減なものへとなって行きます。


つまり人と接する時と同様なのです。軽く扱えば軽いものになるということです。


神の家」のようなタロットによる衝撃、感動を得たいのならば、タロットの時間は神聖であるという意識が大切です。


ただあまりに重々しく考えるのも問題です。要はバランスと区別なのです。


親しき仲にも礼儀ありという感覚でタロットと接してみてください。

コメント

  1. terimu より:

    お早うございます。ここのところで思わずうなずいてしまいました。「沢山の人の想念が詰まったお金を当てても幸せになれない」と気付いてから
    賭けごとはやめました。ほんとにそう思った時は怖い気もしましたね。昔、弟が両親を旅行に連れて行くと言って前金も払って予定し、当日が近ずくにつれて準備金が不足した時、何気に買った馬券が当たった時は感謝して使わせてもらいました。

  2. >terimuさん
    コメントありがとうございます。
    いや、実は私もパチンコが好きな時代がありまして(^_^;)、反省の意味もあります。この時代のことはまたエピソードとしていつか書かせてもらおうと思っています。

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