自由にイメージすることはできない?

一般的にタロットの講座では、よくタロットの絵を見て「自由に発想してください」と言われることもあるかと思います。


タロットは絵なので、絵からイメージを想起させていくことはとても大切ですし、そもそもそれができないとリーディングにもつながらないとさえ言えます。


しかしながら、いきなり自由にと言われても、人間それほど自由にできないのが普通です。


もしここで自由自在にイメージを広げて話ができるのならば、その人はかなりイメージの才能があるか、もともとそういう仕事や発想力を試されるような訓練を積んできた人と考えられます。


それに、これは私自身の考えではありますが、そもそもまったく自由で何のとらわれもない発想やイメージを起こすということはあり得ないと思っています。


どんな人でも自分の経験や体験、つまりは実際に見たもの(絵画や夢の世界で見たことも含む)をもとに新しいイメージを形成しているからです。(ただし、ある段階に来ますと未体験のことから発想を得ることもありえます)


それではタロットから何かイメージが出てきたこと、インスピレーションがわいたことは無駄なのかといえば、そうではありません。

タロットは絵のついているカードであり、これもほとんどのタロットは意味をもって作成されていますし、特に私の扱うマルセイユ版のタロットは意識の元型、人の心や魂の反応のパターンのようなものが描かれています。


ですから、タロットを見て自分が思い起こしたものは、必ず自分の何から出ているのであり、またそれは自分と関係しているわけです。もっといえば、全人類共通のものともリンクしているのです。


意識の元型というものがタロットに込められているのなら、それは一種の枠組・ルールでもあり、それをもとにタロットを見た人はイメージが出ているのだということになります。


この意味でも、タロットからのイメージは全く自由というわけではないのです。


ところがこの枠組、言い換えれば制約があるために、余計に最初はイメージを喚起させることが難しい場合があります。


ある形があるからこそ、それにとらわれて広げてイメージできないうことです。


ですが、逆にいえば形があるので、何もない真っ白なところから想像するよりも手がかりはあるのです。


ではなぜイメージできないのかといえば、そうしたことに慣れていないというのが最大の原因です。


ある形から別のこと(別ではありますがつながっていること)を象徴的に想像するというようなことが、普段の生活ではほとんどないからです。


たとえば、町中の看板を見て広告の文字や写真・絵は注意しても、そこからほかのことをイメージさせたり、想像してみたりすることはまずないでしょう。


それでも実は無意識のうちにほかのことを町の看板からイメージしていることもあるのですが、それを「意識」したことがほとんどないわけです。


当たり前ですが、ひとつの絵を見て直接的にひとつの意味でしかとらえないようにすることに、私たちは慣らされているのです。


「バーゲン!」と書かれて、そこに「びっくりした人の顔の写真」があれば、その安さや品揃え、ともかくも「バーゲンに驚き」という意味でしかとらないということです。


ここに「驚きの顔」からバーゲンを離れて、「自分に突然の収入」があることに「驚く」とは誰も想像しないでしょう。

言って見れば「空想・妄想」の世界なのですが、これをたくさんする人は実際の生活においては愚か者扱い、変人扱いされます。


しかし実はイメージというものか現実より先にある世界で「創造」され、実際のところに出現する元となります。


イメージの力は非常に大切なのです。私たちはもしかするとある意図をもって、この力を訓練したり意識して使ったりできないように飼い慣らされているのかもしれません。


カモワン版マルセイユタロットにおけるタロットマンダラにあるように、まずは「愚者」になるというのも、こんなところにも通じているようです。

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