「ほどほど」イメージの危険性
「人は思った通りの状態になる」ということは聞いたことがあると思います。
これは私も真実だと感じています。
もちろん、私たちは普段、毎日毎時間、あらゆることを思い、考え、想像しています。
ですが、改めて
「自分は将来どうなっているのか?」「自分はどうなりたいのか?」
と問われると、意外にとまどうものです。
ここで間違えてはいけないのは、願望とは違うということです。
「こうなったらいいなぁ・・・」「こういうところに住みたいなぁ・・・」「こういう仕事ができればいいなぁ・・・」というような淡い願望・欲求はまさしく泡のように浮かんでは消えてしまうものです。
それはいわば、日々変化していくもので固定的ではないのです。
またそういう願望さえあまり明確に思えないという人もいます。
翻って現実の今の生活を見てください。
今の状況はこれまであなたが思ってきた証そのままであることに気がつきませんか?
実はこういうことです。
願望や日々の思いは先述したように変化していくものであり、あれやこれやと浮かんでは消えていくものでもあります。
つまりはあれやこれやと淡く希薄にイメージしたものは、そのまま弱い形で実現している(あるいは実現せずに消えている)のです。
また、あなたはこれまでいいことばかりイメージしていたわけではないでしょう。不安やおそれ、ネガティブなことも想像していたはずです。
結局それらも淡い形、または強ければ強い形で、ある程度実現しているのです。
それで、もっともあなたが現実的にいつも想像できていることは何かといえば、今の生活や仕事が続くことです。
ですから、今日のあなたもおそらく明日のあなたも、同じ仕事で同じ生活で現実となるのです。(ただし、これを超えた力も存在しますので、日々の思いとは別の突然の強制的装置もあります)
本当になりたいもの、したいことがある場合は、それをまさしく現実レベルで思い続けなくていけません。言い換えれば思いの固定です。
このことは「引き寄せの法則」や「思考の現実化」などで言い尽くされてきたことではありますが、実際はその通りのことを忠実に行っている人は少なく、それが現実になっていない大きな要因であることが多いのです。
「これくらいでいいや」「どうせ私はこの程度」「まあ、ほどほどに生きられたらいいんです」と思っていたら、その通りの人生になります。
いや、怖いのは、その通りだとまだいいのですが、実はそれよりもレベルが下になることがあるのです。
というのは、私たちが日々想像していることは案外とネガティブなことが多く、たとえば「普通に生きられたらいい」と考えていると、それがマックスと設定されてしまい、それ以下の事柄を考えてしまうことのほうが増えるという仕組みがあるからなのです。
言ってみれば、最高度を自分で「その程度に決めてしまった」ため、それ以上の想像やイメージはとても実現不可能だと自ら決定づけているのと同じことになるのです。
ですから、それ以下のことを考えるほうが楽になり、その選択をどんどんしてしまうことにもなりますし、その結果として、設定以下のことが実際になるという事態が出現するのです。
「どうしたいか」「どうなりたいのか」という思いをきちんと持つことは、とても実現の要因としては大切なことなのです。
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