スピリチュアル系明暗
タロットをしている私が言うのも何ですが(^_^;)、少し前から始まった最近のいわゆる癒し系やスピリチュアル系といわれるブームにも注意が必要だと感じます。
もちろん、何事にもよいと思える側面と悪いと感じられる面が両方常に(モノの見方として)存在するのですが、それだけにいいことばかりではないことにも配慮すべきです。
その前に、スピリチュアルブームでよいことというのを見てみましょう。
それはやはり唯物主義に固まることなく、精神や目に見えない部分での感覚・直観を大切し、モノと心の統合を図る視点を持つことができるという面でしょう。
言い換えれば現実・実際の二面性・両極の考察と観点の獲得です。
簡単に言えば、今までとは異なる考え方、裏の見方もできるようになるということです。
そうすれば、不条理だと感じていた現実の世界や不幸だと思っていたこれまでの自分が、実は違う見方では納得のいくものであり、世界は意外にバランスがとれているものだという、調和や必然性に気がつくようになってきます。
さらに過去を否定することなく、前向きに生きていく力とすることもできます。生き甲斐の新たな創造と言ってもいいかもしれません。
しかしながら、一方では、癒しやスピリチュアルといわれる世界では、心の解放が叫ばれ、自由や「自分のよいと思う感じ方」が過度に重視される傾向もあり、「自分が納得すれば何でもいいんだ」ということになりがちです。
言い換えれば、自分の心への絶対の信頼が求められ、疑いや評価をなくすということに近くなってきます。
これは悪いわけではないとはいえ、本質的な魂や神性と呼ばれる人の持つ崇高な部分への信頼ならばよいのですが、「心」ともなれば意外に仮面であったり、エゴであったりすることもあるのが問題なのです。
そうすると、いつの間にか「魂の信頼」だと思っていたことが、それは単に「一部の心への盲信・盲従」であったり、誰かからの洗脳であったりしたという場合もあるのです。
言ってみればその時は、宗教と紙一重の差といいますか、限りなく近くなります。
「自分の感覚を信じましょう」「直感に従いましょう」「宇宙や自然にゆだねましょう」というような非常に気持ちのいい言葉によって、実は私たちは考えること、疑いを持つことをやめさせられているおそれもあるのです。
支配層は非常に巧妙に私たちを操ります。
よいものと信じて疑わないスピリチュアル系の技術も、実は集金マシーンの都合の良い道具でしかないこともあるのです。
ただお金を奪われるだけならまだしも、心も洗脳させられ、操られるおそれもあります。
人を裁くことはよろしくはないと言えますが、だからといってすべて盲目的に受け入れ、感性のままに動き、批判がましいことは一切さしはさまないことがいいわけではありません。
霊的な世界に入るには、まずは「正義」のカードで象徴される観点を持つことが大切となってくるのです。
良くぞ!言ってくださいました!!
あー、スッキリw
コメントありがとうございます。
バランスの視点が大切ということで、あえて記事にしてみました。自分自身がそういう関係の仕事に身を置いているという自戒の意味もあります。
時代の流れとしてスピリチュアルにシフトしていくのも当然のところもあると思いますが、どうも、いわゆる「スピリチュアルブーム」は、仕掛けられている側面が強いと感じるのです。それは感性・感覚を大切にという言葉を旗印にしつつ、反対に思考や評価をすることを皆から遮断させるマインドコントロールがなされているように思います。
まあ、考えすぎてしまうのもやはりよくないので、何事もバランスが大事だと思う次第です。
区切りがついたら評価、大事だと思います、同感です。
>tealeafさん
コメント、ありがとうございます。
おっしゃるように、一区切り、一段階終わったらその都度評価していくという視点は大切だと私も思います。