剣の使い方

もともと素直に何でも受け入れる人はよいのですが、最初から疑ってしまう質(たち)の人はどうして批判がましくなります。


でも、悪い(と見える)部分も良いところがあります。


ですから自分のネガティブと思う特質を、逆に活かす形での転換(悪いと思えるところがよいところになる)が可能ですし、そのように考えていくことが大切だとよく言われます。


ところでタロットの根底に流れる「四大元素」の思考方法をとれば、人間も4つのタイプに分かれることになります。


その中でたとえば一番最初に述べた批判的になりがちな人は、四大元素では「風」の傾向が強いと言えます。


風をタロット的に物質で表現すると「」になります。


剣はイメージすればわかりますが、鋭く切り刻むものでもあります。そこから細かく分断するという「分析的」なニュアンスが出てきます。


剣を批判や攻撃のために使えばそれは相手、もしくは自分を傷つけることになりますが、剣をニュートラルに使用すれば、それは切り分ける便利な道具になるということです


切り分けるということは、先述したように「分析」であり、大ざっぱで把握しがたい物を、理解てきる大きさにまで加工していくことになります。


巨大な山を見て圧倒されるより、山を構成している成分を知れば、自分の庭の土と変わらないことがわかり、「なんだ結局は土の塊か」と安心できるわけです。


ということで「剣」傾向の強い人は、剣を思考分析の道具として使うことを意識するとよいです。


具体的にはとても簡単なことですが、いつも「なぜなのか?」と問うということです。


疑うのではなく、理由や仕組み、原理を調べ、探究する姿勢を持つということです。


これが剣をニュートラルに使う方法です。疑うということは分析することを拒否しているのと同じなので、それは実質、剣を使っていないことになります。


近頃思うのは、剣タイプにかかわらず、多くの人が剣の使い方を間違っている気がします。


それは情報の洪水の中におぼれているからとも言えますし、人より優れた情報を持つことがまるで成功者のように誤解されているからということもあるでしょう。


いずれにしても、剣は批判に使うか、あるいは剣をまったく意識せずの、いわゆる「鵜呑み」になっていることが見受けられるのです。


特に増加傾向にあるのは「鵜呑み」のほうです。受け入れることと、剣を使わないこととは別です。


「なぜなのか?」という疑問によって真理を探究し、考え、知る努力はしたほうがよいと思います。


「これはこういう意味なんだよ」と教えられてそのまま覚えるのではなく、「なぜそのような意味になるのか、そういう意味が出るのか」ということを知ろうとしてください。


ただ直観的に、すでに聞いた時点、あるいは聞く前から「識(し)った」ということの理解方法も人間には備わっていますから(これは火や水の把握方法と言えます)、その場合は剣を使わなくても済みます。


剣は自分を自立させ、ロボット化するのを防いでくれるのです。

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