単なる調整だけがバランス回復ではないのです。

バランスを取ること、中庸に位置するよう心がけることはよいことだと一般的にも言われます。


逆に言えば何か問題があるということは、バランス(要素は様々ですが)が崩れている状態だと言えます。


そのバランス回復のためにタロットで要素・要因(ファクター)を見つけ、傾いている状態をエネルギー調整することにより中立に戻すことができます。


中立に戻るということは、いわば自然の流れに立ち返るということになり、活発になるというより、むしろ目立たなく穏やかになり、問題があたかも消えたかのように見えてくるのです。


ということは実は問題はもともと存在しないということであり、問題と思っているのは私たちの見方・考え方が傾いていて、本来物事のバランスは取れているはずなのに、自らがバランスを崩すことによって問題というものが幻想的に出現したかのように見えているだけだと考えることができます。


このあたりはもしかすると般若心経の「色即是空」「空即是色」 (実体があるようでなく、ないようである)ということに当てはまるのかもしれません。


(注)この般若心経の核心とも言われる文言にはいろいろと解釈があり、あくまで一例です。ここでいう「空」とはタロットでいうと「愚者」、すなわち「すべてはある(存在する)が何にも規定されない」、逆に「規定すると実体として存在してくる(手品師になったり、斎王になったり何でもなれるということ)」ということに近いと私は解釈しています)


このことをタロットで実感していくためには、抽象度の高い(象徴性が高くて広い)アルカナ(カードの種類)である大アルカナを使ったほうがわかりやすいのです。


ところでバランスを回復させると表現すると、つい私たちは差し引き計算みたいな感じでイメージしがちです。


お金でいえば、支出が多いから使うことを控えればバランスが回復するというような感覚です。


実際そのことによるバランス回復はありますし、この記事の記述でも「傾いている状態をエネルギーを調整することにより」と書いたところでもあります。


しかし、実はそういう増減調整だけがバランス回復ではないのです。


「般若心経の「空」のところでも書きましたが、もともとはすべてある状態で、バランスが整っているのが自然で宇宙だと考えます。


するとアンバランスということは自分の思考やとらわれによる見せかけのアンバランスに過ぎず、宇宙から見ればバランスはどんな場合でも取れているのです。


要は自分が自分の作った狭い箱の中に入って、あたかもアンバランスや過不足ある状態に自分を押し込んでいるようなものなのです。


たとえば箱の中も外もりんごとみかんの数はいつも半分半分でバランスがとれているのに、自分の箱の中にはみかんが7個りんごが3個として見えている、あるいはりんごしかないよう見えているようなものです。


この箱こそが自分の枠であり、問題を生み出している原因です。


ということは箱の中でりんごやみかんの調整をしても合計10個存在している場合は5対5に見えるよう調整すればOKですが、りんごしかないようになって(見えて)いれば、それは枠自体破壊しないとバランス回復はないということです。


枠の破壊ということがこれまでの概念や思考、思いこみ、考え方を変えるということであり、古い自分の死も象徴します。


表現を変えれば意識の変容であり、次元の上昇であり、抽象度の高度化(タロットでいえば「愚者」や「世界」に近づく)ということになるでしょう。


バランス回復による問題解決の考え方はこのように二通り(今の次元でエネルギーの過不足調整することと、次元自体を上げることのふたつ)あるのです。


マルセイユタロットを学べば、このことは自然にわかってくるようになります。

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