天秤の傾きに従う選択

だんだん爽やかな季節になってきましたね。学びや文化の秋でもあります。


私は現在京都新聞文化センターよみうり文化センター神戸のカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を担当させていただいております。

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さて、昨日はバランスを取ることのいろいろな見方をお話しましたが、今日はそのバランスに注目することだけが解決ではないということにふれたいと思います。


特にいつも優柔不断になりがちなの人、あれこれ考えすぎて迷ってしまう人に聞いてほしいネタです。


だいたい何か決断できない時というのは、ふたつの選択肢、あるいはたくさんの選択肢のどれもが一長一短のメリット・デメリットがあって決められないということが多いと思います。


ここで自分の今までの人生において決断してきたこと、選択してきたことをふりかえってみましょう。


明らかに「こちらを選んでよかった」と思うこともあるかもしれませんが、反対に「ああ、あの時の選択は失敗だったな」と感じることもあるでしょう。


確かに人生最大のターニングポイント、その選択が一生に大きな影響を及ぼすということはあります。


しかしですね、トータル的に見ていけば、結局どちらを選んでもよいことも悪いことも同じくらいだったと思えてきませんか?


ですから、選択に悩んでいてもある意味、時間の無駄でもあるのです。(年齢が行けば行くほど時間の価値は高まり、スピードを上げねばなりません)


どちらを選んでもおそらくいいと思えることと悪いと感じることは、あとで考えればフラットで平均化されていると想像できます。


とはいえ実際には悩んで迷ってしまうのも人間です。


そこでこう考えてみます。


選択は天秤にかけることだけではなく、どちらかをあえて切って落とすものであると。


いわば、自分からどちらか一方(どれか1つの)の選択肢に向かってなだれ込んでいくという方法です。わざと天秤を傾けてしまうと言ってもいいかもしれません。


でも、「それができないから困っているんだよ」と思われるでしょう。しかし一端自分からバランスを極端に崩せば、自然の摂理でそのバランスを回復させるための働きが生じてきます


選択が仮に間違っていたとしても、大元のバランスは調整されてくるのです。つまり、自分にとって悪い選択であっても、俯瞰した目で見ると、よい方向に戻してくれるようになるということです。


ということはスピードを持って決断すればするほど、その選択が結果的に間違いであっても、早く決断した分バランス回復の速度も速くなるということです。


人生、取り返しの付かないこと(選択)というのは、冷静に考えればほとんどありません


あるとするのならば、誰が見てもわかる選択と言いますか、いわば「猿でもわかる」ような悪い選択です。


猿ではなく(笑)、普通の人間が悩むというのは、それだけプラスとマイナスが両方同じくらいあるということですから、よく考えればどちらでもよいことになってくるわけです。


であるならば、自分から天秤の一方に向かう方法はスピード化の観点からも有用だということです。


この極端に天秤を傾ける選択方法、あるいは天秤の量り自体の一方を切って落としてしまうような選び方は、物事に熱中して全体が見えなくなってしまっている人に取らせる行動にも似ています。


「後に引けないなら、逆に納得するところまでのめり込んでみる」という方法にも近いですね。


これは一見悪いように見えますが、固着した状態から脱却するための手段でもあるのです。


恋愛問題ではよくあることですが、周りから見るとよい恋愛ではないように見えていても本人は感情的に燃え上がっていますから、「そんな人はやめなさい」と言われても言うことは聞けない状態になっています。


このような場合は傾いた天秤から逃げるのではなく、むしろ傾きに自ら飛び込んでいくことで傾きが極点を迎え、その反動で天秤が今度は逆方向に揺り戻されるかのようになることがあります。


先の恋愛の例でいえば、恋に飛び込んだがためにあとで身をもって傷みを知る、恋の火傷をして気付くみたいなことになります。


これも自然のバランス回復(てこが戻るようなもの)の働きと言えます。


この方法は少し危険性もありますが、どうしても抵抗できないものがあるのなら、あえて飛び込んでみるのも、逆説的ですが、その状態から抜けるためのひとつの手ではあるのです。


いずれにしても、選択できていない、決めていないということに精神エネルギーが非常に浪費されますので、何にしろ決めてしまうこと、決着をつけることが重要です。


そうして滞っていたエネルギーと事態が動き出すのです。

コメント

  1. とも より:

    自分の事は
    決められない人なので
    まさにadviceと
    いう感じでした。
    自分なりに進んでみます^^

  2. >ともさん
    コメントありがとうございます。
    この記事のほかにも「迷った時に」というジャンルを私のブログでは特別に作っておりますので、そのほかの記事でもまた何かのご参考になれば幸いです。
    ま、私自身もそうなのですが(苦笑)、あれこれ考えすぎて時間を無駄にしていることが多く、とにかくやってみて少しずつ修正していくみたいな形でやったほうが、結果的に早いことはよくあるものですね。

  3. ぐーちゃん より:

    中途半端にするのは失礼だから、はっきりしてから…なぉんて考えてて、行動が起こせ無いってことがよくあります。
    よく言えば慎重、悪く言えば考え過ぎというか、動いてしまえばなんとかなることもある…ってことでしょうか?
    動く前に、あれこれ出来無い理由を考えてしまうと思っていましたが、出来無い理由を探してしまうってことでもあるのだな、と思いました。
    失敗を恐れるあまり、動けないのもありました。
    動いてみよう!と思えました。
    いつも、ありがとうございます。

  4. >ぐーちゃんさん
    そうですね、動いてしまえば周りも自然に何かの変化が起きてくるということですね。ある意味、自分で運命の輪を回すということにも近い感覚です。膠着しているということは、力関係が悪い意味で釣り合っている(緊張関係)ようにもなっているので、あえて傾かせるということでもあります。

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