天使と悪魔、どちらに見えるか。
タロットを観ていると、いろいろと面白いことに気がつきます。
今日もそんな話のひとつです。(って、毎日そのような話なのですが…(^_^;))
タロットは絵で描かれた図像ですので、当然何らかの形があります。
そして今、市場で流布して使用されているほとんどのタロットカードはカラーで印刷されていますので、色もあって、まさにカラフルです。
その色もタロットでは大きな意味を持つわけですが、仮に色をなくして、シルエットとして形・輪郭だけを描いていくとすればどうなるでしょうか?
きっちりトレースすれば元の形が何であるのか、あるいは元の形がわからなくても、何となくは想像がつくと思います。
ところが、輪郭もぼやけた感じになってくると、境目もあいまいになってきます。
たとえばマルセイユタロットの「節制」と「悪魔」のカード。
「節制」は天使であり、「悪魔」は文字通り悪魔なのですが、黒いただのぼやけたシルエットだと両方の区別ははっきりしないかもしれません。
もしかすると「節制」が悪魔に見えたり、逆に「悪魔」が天使に見える可能性もあります。
このことは現実的にもありえることです。
どういうことかというと、自分が天使だと信じていたものが実体は悪魔であるおそれもあるということですし、その逆もありなのです。
いわば、まだ見分けがつかない未熟な段階、あるいは成長過程においては、どちらかよくわからないままの混沌が実状であるということです。
悪い面でいうと、たとえば「天使」だと自分が思っていたもの(見えていた、信じていた存在)は、同じ羽をもった異質存在の「天狗」である場合も否定できません。(苦笑)
よいことでいうと、悪魔と思っていたものは、実は自分を試し、よい方向に向かわせようとしてくれる天使だということも考えられます。
とはいえ、ここでは天使か悪魔かの見極めをつけるまで、霊的能力を高めなくてはならないというスピリチュアル的な話をしているのではありません。
あいまいなシルエットで、悪魔か天使かわからない状態をどちらかに決定させるのは、まさに自分の意識次第だということが言いたいわけです。
自分の心が天使か悪魔かを浮かび上がらせるのです。
さらには「よい悪い」と判断する(悪魔か天使かを一方的に判断する)のではなく、天使・悪魔の二面を両方同時に観ていく(糧にする)ことも大切です。
単純に「正義」と「悪」と判断するのではなく、もっと上の「天」「超越」を仮定し、そこからの視点で把握しようとする態度をもつことです。
そうすると悪魔は悪だけではなく天使であり、「正」であるかもしれず、反対に「天使」もそう見えつつも実は「悪魔」であり、「誘惑」「快楽」逃避」の幻影かもしれないと過度に一方にとらわれることがなくなってきます。
そのようなチェックやバランスを働かせる意味でも、タロットは非常に有効だと考えています。
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