愛に責任を持つ。

マルセイユタロットをしている私ですので、時々フランスに関することに興味や関心を抱きます。


NHKのフランス語講座なんかも、語学を学ぶ意味ではなく、単に娯楽的(笑)に見ることがあります。


で、もうまさに最後のほうしか見ることができなかったのですが、フランスでの愛や恋愛について哲学も含めて語るコーナー(というように思えましたが、実際は違うかもです)がありました。


その時、こういう言葉で締めくくられました。


愛(すること)に責任を持つ


私はなかなかいい言葉だと感じました。


瞬間的に頭の中に出てきたタロットは「恋人」と「正義」でしたが、私はいつも恋愛や愛についてカードで思考すると、「恋人」「13」「審判」の列をイメージします。(マルセイユタロット)


ですが、「責任」という言葉が出たので、ここで「正義」を想像したのですね。


そうすると、面白いことに気がつきました。


「恋人」と「審判」の間には、流れとして「正義」とか別のカードが入ってもいいのではないかと。


そもそも「恋人」から「審判」に変化する過程は、私の中では「恋」から「愛」への変容だととらえています。


そこにはやはり「13」体験が強烈に必要な場合があるのですが、それだけではなく、ほかのカードが間にはさまれることもあるのだと導かれました。


特に「愛に責任を持つ」ということ(つまり間に「正義」が入ること)は大切だと感じます。


相手を愛する時、そこに「正義」があるのかどうかでかなり違ってくると思うからです。


単なる浮ついた恋なのか、真の愛に至ろうというものなのかの境目でもある気がします。


またたとえ世間的によく思われない恋愛であっても、そのことに責任が持てるかどうかでその恋の本質がわかると思います。言ってみれば愛する覚悟です。


覚悟をもって愛することで、いい加減に終わることのない結果や自身の成長を招くと考えられます。その恋がうまく行かなかったとしてもです。


それはいわば、別の形での「審判」に行き着いていることであり、つまりは自分自身の新しい復活と再生につながるのです。


あなたは責任をもって愛していますか?

コメント

  1. ありのまま より:

    今までお付き合いに対する覚悟が足りなかったかもしれません。だから長続きしなかったのかな。
    相手に気に入られたからつき合うっていう感じで。
    今は責任を感じすぎて、お付き合いまでも至らない感じですが(>_<)

  2. >ありのままさん
    何事もバランスですので、責任を感じすぎても先に進まず、恐れや不安で支配されることになります。ここでいう責任とは愛する限りはどうなっても、それは自分の選択と行動の結果であり、自分も相手も責めず(責めませんが悪いことを見逃す、無抵抗になるという意味ではありません)しかしきちんと責任は持つというもので、その恋愛を上質のものにしようという努力が問われるのだと思います。

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