恋人カードに見る選択の示唆性

選ぶという行為は、悩み・迷いとセットになっているようなものです。

逆に言えば、迷いというものは、ほぼ「選ぶ」シーンに生じると言えます。

迷い、選ぶ、ということでは、マルセイユタロットでは、「恋人」カードが象徴的かつ、示唆的です。

以前にも書いたと思いますが、この恋人カードをモチーフとして、選択の種類について言及したことがあります。

その時は、このカードに描かれている三人の人間の象徴性について注目してのものでした。

その時の解釈と少し違うかもしれませんが、もう一度、この三人をヒントにした選択方法を簡単にあげておくと、

1.二者択一 (どちらかを選ぶ方法)

2.両者選択 (どちらも選ぶ方法)

3.無選択、様子見、第三の選択 (今は何も選ばない方法、もしくは第三の新たな選択肢を創造して選ぶ方法)

以上が考えられるわけです。

迷いが深くなっている場合は、2や3という方法が案外思いつかなくなっていて、1のように、絶対どちらかを選ぶしかないと、頭が固くなっていることが多いものです。

どちらも選んでしまうことに罪悪感を持ってしまったり、今は待つ、あえて選ばないということができない人もいるわけで、それは自分の傾向やブロックを見るのにも役立ちます。

さて、今回はさらに、三人の上空に描かれているキューピッド、あるいは天使とも言える存在と選択(の象徴性)についても加味してみたいと思います。

三人は見ての通り、ただの「人間」ですので、その迷いや選択もやはり「人間レベル」であると考えられます。

視点や情報も、あくまで人間の範囲でしかないということです。

しかし人間とは言っても、他人においては自分の知らない情報や知識を持っている人もいるでしょうし、複数の人と話し合う(協議・会議する)ことで、新しい着想があったり、よい案や選択もできたりするものです。

また、間(あいだ)をとった妥協案や、平均化したような選択肢も出てくるかもしれません。

いずれにしても、一人だけでは膠着状態だったことも、ほかの人と話し合うことで打開策も出るわけで、人間レベルでも、まさに“三人寄れば文殊の知恵”と言われるように、「文殊」を「菩薩」だとすれば、西洋的には天使レベルとも言え、三人の人間と天使との画像のリンク性も興味深いものとなります。

三人だけに着目すれば、人間としての選択の話となるのですが、ここに天使が描写されていることで、私たちの(行う)選択に、人間を超えたレベルのものが存在していることが示唆されるわけです。

さきほどは、三人の集まりが天使的な知恵(智慧)を呼ぶと書きましたが、見方を変えれば、一人の人間にも三人の人格があるととらえることもでき、しかも、さらにそれらを超越した人格(人格というより、ある「性質」と言ったほうがよいかもしれません)も存在するということです。

つまり、恋人カードに描かれている人間と天使は、全員、一人の中にある人格であり、性質であり、存在であるということです。

都合、それは4人となります。(天使は三人を集合・統合するレベルにあると言い換えることもでき、上空の高みから見下ろす視野の広さがあります)

ここにはマルセイユタロットの秘伝のひとつである「3対1」の構造(それが何であるのかは、ここでは説明しません)が見て取れます。

選択において、人間のようでいて人間ではない、言ってみれば「天使」の選択が、私たちに働きかけられているとも図像から想像されます。

人間レベルの選択では、どうしても自分の欲望や願望を満足させたい自己中心的な選択(たとえ自己犠牲的なものでも、自分中心なものは自己満足に近くなります)が多くなります。

それは「人」としての宿命のようなところもあります。

しかし、人は動物的・人間的部分だけではなく、天使的・神性的部分もあると言われています。

簡単に言えば、低次と高次の存在性です。

あなたが何かに迷う時、それは人間レベルの欲望・願望での迷いがほとんどの部分を占めているでしょうが、 その中には低次と高次との葛藤による迷いもあると考えられます。

それにふれた時、自分の中の天使(性)にも気づきます。

外的なものとして天使を信じる人には、まさに天使があなたに働きかけているように感じるかもしれません。

簡単に選択ができるようなものは、迷いも当然生じず、そのような上下(低次と高次)階層への認識(次元上昇へのきっかけ)も起きにくくなります。

悩み、迷うからこそ、従来の選択では気づけなかった意識が芽生える(回復する)のです。

人間レベルでは合理的・経済的・正しい選択のように見えて、それは天使レベルではまったく違うこともありえます。

かと言って、天使レベルの選択が、現実的・人間的世界ではよい選択とは言えないこともあるわけです。

レベル的には高い選択ではあっても、人間的には合わなかったり、無理難題のように感じたり、人によっては人間レベルを十分に満足することの必要性もあったりするからです。

ですから、恋人カードは、必ず天使レベルの選択をしましょうというものではなく、人間レベルの選択に、天使性のインスピーション・息吹を感じたり、一部使ったりするという程度の示唆になると推測されます。

言わば、天使(性)も入れた、四人での会議・合議という印象です。(しかし、天使は直接会議には参加しませんが)

恋人カードの示唆は、個人・エゴ・人間的感覚にどっぷりつかっているところからの解放を、少しずつ進めるための段階と言えそうです。

選択の意味において、これ(恋人カード)と対の関係にあるのが、「審判」であり、また「神の家」にもなってきます。

このふたつのカードの図像・象徴性を見ますと、明らかにレベルや次元が変わっていることに気づくでしょう。

リーディングにおいても、これらのカードたちの出方や位置によって、どのような選択がふさわしく、また選択で悩むそのこと自体に意味があるということもわかってくるのです。

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