自分の見方・考え方が変わっていくタロット

マルセイユタロットをやってきて、良かったと思える点はいろいろとありますが、年々、そのシステム(構造)がわかってくるにつれ、改めて、マルセイユタロットは実によくできているものだと感心しますし、自分の認識力が変わってくる(上がってくる)ことを実感します。

それがマルセイユタロット(を学び、扱っていく)ことの良さとしてあげられます。

その理由のひとつは、物事を一面から見なくなってくるということです。いわば、一度自分への解体が起こり、さらにはそれが統合されたものになる繰り返しなのです。

私たちは、ともすれば、ひとつのモノの見方(感じ方もあります)、自分のこれまでの経験や常識として教えられたこと、自分の築き上げられた価値観によって物事を見たり、判断したりします。

それはそれで、普通のことではありますし、慣れた見方で処理していくのが、楽(言ってみればオートマチックな状態)でもあります。

しかし、ずっと同じ見方・考え方をしていては、問題が生じたり(新しいことにうまく対処できない)、自分を成長させたりすることがてぎなくなります。他人や世の中の見方も変わらないままです。例えば、自分にとっていい人と悪い人の線引き、物事の良しあしも同じなままです。

でも、もしかすると、あの人はあなたが思うような人ではない(厳密にいうと、違う部分を持っている)のかもしれませんし、あなたが知っている今まで報道されてきた世界の状態には、嘘があるのかもしれません。

また、何より、自分はこれだと思っていた自分自身が異なっていたり、さらには、自分にはほかの部分(人格やキャラクター、能力、その他)があることにも気付かないかもしれません。

これが、マルセイユタロットの象徴で見ていくことにより、物事の見方・考え方に多様性が出て、いわば、観察眼として、タロットの数だけ持つようなことになり、表だけではない裏の姿、形や物質だけにはとらわれない性質や意識、エネルギーのようなものも、カードの象徴として見ることができるようになります。

すると、自分の外側の世界、つまり他人や外に見ているリアル(現実の)世界、そして内側の世界、意識や精神・心、魂の世界とが、一面的なものではなく、いろいろのもので構成されている(ように見える)ことがわかってきます。

ただ、その過程においては、一時的には自分の実体、自分自身が何者なのかわからなくなって、現実逃避的になったり、空虚な感じになってしまったりすることもあります。それは一度、固定観念のようなもので縛られていた自分、これまでの体系でできていた自分(常識の価値観に染まっていた自分)の解体(破壊)が始まるからです。

しかし、肉体を持つ私たちは、結局は再び(精神・心が)地上に戻り、現実的に生きられるようになります。ただ、タロット的に解体、再生した形になっていて、今までの自分とは明らかに変化し、モノの見方・感じ方・考え方も変わっているのです。

そうしていくと、例えば、何かを選択すること、迷っていることがあった、起きたとして、「恋人」のカードや「運命の輪」の象徴で表せる考え方が、自分の中に生まれてきます。

選択の悩みにある時、たいてい人は、AかBかのようなことで迷っているわけです。また、そもそも何をすればよいのか、何を選べばよいのかがわからないという場合もあります。

通常、どちらかを選ばなくてはならない時、どれかや何か選び、決めなければと思っている時は、自分の利益を得たり、よい運になったり、とにかく自分の人生にとって悪くないほう(よいほうを選ぶこと)にするのだと考えています。

あなたがもしマルセイユタロットを知り、その象徴性で自分と世界を観察していくようになれば、先述したように、まさにタロットで描かれているような見方が現れてきますので、選択時にも何種類かの考え方、モードのようなものでもって見ることができ、悩む自分を客観視するような姿勢になります。

いくつか例をあげると、「何を選んでも、もともと選ぶことは決まっている」という考え方や、「選ぶ時、自分は何をもっとも重視しようとしているのか」という観点による見方などがあります。

もし前者の見方があれば、結局、あれこれ悩んでも仕方ない(結果はすでに決まっている)という境地になり、選ぶこと、悩むことそのものが一種のゲーム、演劇的表現であることに気づき、選択で悩む自分を救済することになります。こちらはスピリチュアルと言いますか、統合的観点です。

そして、後者は、いわば分析的観点であり、分離的観点と言え、先ほどとは逆で、自分が今悩んでいること(現象)の要素を分けて理解することで、今の選択の基準を明確にする(例えば、今はお金・経済的なことがメインだと考えるような)ことができます。そうすると、判断、決定もスムースに行くことがあるのです。

これらは、タロットを知らなくても、仕事や生活での経験的学びで出てくることもありますが、タロットを知るほうが、より体系的で整理されており、何より絵としての象徴がありますので、視覚的にも思考・感情を実体化(表面化)できるという効果があります。

ただ、タロットならば何でもよいのかと言われると難しいところで、マルセイユタロットは、とてもシステマチックにできているので、こうしたモノの見方を深めたり、高めたりすることでは、やりやすいように構築されていると、私自身は思っています。

そもそも、マルセイユタロットは、カードを引いて占うことに使うのではなく、一体と個別のシステム(象徴モデル図面)として見立て、宇宙や人間の構造を把握していくためのもの、言い換えれば、自己を知り、他人を知り、世界や宇宙を知り、それらは最終的には同じであり、しかし現実では違う表現であると理解して、この現実世界を楽しむためとも言えますし、より自由や解放的に生きる(無謀や放浪生活をするという意味ではありません)ため(現実を超越すること)に使われていくものだと思えますから、今日述べたような変化のためには、最適なツール(タロット種)だと言えるのです。

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