タロットに聞くこと、聞かないこと

西日本を中心に、かなり大雨が続いて各地に被害が出ました。災害に遭われました方々にお見舞い申し上げ、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

さて、今日の記事です。

タロットの活用を考える場合、なんでもタロットを引いて、聞いて(聴いて)みるという態度には問題があると言えます。

まず、そもそもタロットに聞くまでもない話や、タロットを引く以前に、聞く人や尋ねるべきところがあるのではという問いがあるでしょう。

メールしたり、電話したりして、行動して確認すれば済む話とか、医者に行ったほうが確実に体調と治療のことはわかるとか、そういう類のものが意外にたくさんあります。

また場合によっては、天候なども、占ってみるのは面白いかもしれませんが、今は天気予報を見るほうが正確な情報を得られそうです。

これはタロットを習い始めて、とにかくタロットを使いたいという時や、タロットに慣れてしまって、疑問や質問があると、タロットを引く癖になってしまっている人のタイプでいます。

それから、極端に物質的・現実的問題、端的に言えば、お金の問題で緊急を要するような時も、タロットで回答を得ようとするのは難しいでしょう。

例えば、借金がかなりあり、明日までにすぐ返さないと大変なことになる、何とかできないか?という問いでタロットを引いても、なかなか実際的な回答を得ることは厳しいと思います。

これは極端な例でしたが、必ずしも、お金に関することではなくても、現実的で切迫した問題の場合は、タロットを引くより、やるべきことが先にある、ほかにあるということが常識的に言えます。

さて、昔と今とでは、かなり文明の発達度合い、生活環境も大きく変わっています。便利な道具・機器、コミュニケーション・移動のツールも、格段に進化、増えている状態です。精度やスピードも昔とは次元の違うレベルになっています。

そして、それに伴い、人々の理解や情報の扱いも濃密で大量になり、かつては未知だったもの、奥義や神秘だったものも、今や常識となったり、誰でも理解できるレベルになったりしています。

例えば占いにおいても諸説ありますが、占いができたり、活用されたりした背景のひとつには、今のような科学的機器やツールがなく、あるいはあっても精度が悪かったため、占うことで、情報の正確さを上げようとしていたことがあります。

ということは、逆に言えば、もう占いや、そのようなツール・技術で情報を得ようとする分野は、現代ではかなり縮小されていると考えていいわけです。

では現代において、何を占ったり、タロットでリーディングすればよいのか?です。

これも、いろいろと考え方はあると思いますが、ひとつには、情報の取得そのもの(回答そのものを得ること)を目的とするよりも、情報の確認、念押し、または、違う観点からの見方を得るために活用する(タロットで見る)ということです。

この時代にあって、情報はあふれかえっており、しかもネット検索もあるように、ほとんどのことは調べればわかります。

しかし、それでも私たちは安心したり、確認したりするために、別の何かを知りたがります。それが、いわゆる運命とか、見えないつながりとか、相手の気持ち自分の様々な心とかになっってくるわけです。

また、自分で調べて、確かにわからないことの情報は得たものの、今一つ、腑に落ちない、気持ちが納得しない、誰かや何かに後押ししてほしい、同意を得たいという状態があります。

情報が氾濫しているだけに、選択にもかえって困り、回答がまるで選び放題であったり、逆に正しいとわかっていても、自分がそれを選択してもよいのかどうか、自分以外、常識以外のものからお墨付きもしてほしいわけです。

君は、あなたは正しい、それで行け!みたいな後押しがほしいのです。いわば、自分の選択の整理、確認、念押しです。

ということは、タロットで見るものとは、本質的には心の問題が大半だということです。

人の心模様、動き方、反応の仕方は、喜怒哀楽と言われるように、昔も今も同じです。

このことは、私のことで言えば、民俗学をやっていた時に、昔と今の暮らしを調べていて、結局、環境が違うだけで、人々の意識の状態・パターンは同じだと実感したことでも言えます。(情報と知識の度合いは違いますが、人としてはやはり反応は同じなのです)

ですから、タロットは、心の分野として、今も、おそらく未来(まったく意識構造が変化した場合は別ですが)も使えるものです。

占ったり、リーディングしたりする質問自体は、なるほど、なになにをいつ始めればよいのか?とか、好きな仕事で成功するにはどうすればよいか?など、現実的な問題・具体的問題であることも多いです。

しかし、結局のところ、科学的に回答を出すわけでもなく、本当にほしい答えは、いくら人が正しいと言っても、自分(クライアント・相談者)が納得するものでなければなりません。この「納得するもの」というのが、必ずしも、論理的・科学的ではないのです。つまりは、気持ちや心の問題なのです。

言い換えれば、タロットで出す答えは、万人に納得する客観的なデータとか、普遍的な数学的(誰がやっても、あるいは何度やっても同じ答えになるものの類の)回答ではなく、その人個人が気持ちで納得するものなのです。(他人が正しいというものも、自分の気持ちを納得させるひとつの手段となります)

と言ってしまえば、タロットにロジックも、何もまともなものはなく、思い込みの回答でいいということにもなりそうですが、実は、そうでもないのが、タロットの面白いところです。

タロットにもそれなりの論理・ロジックがあり、それは常識分野での科学とか論理とは違う種類のものなのです。(しかし、真には相通じるものでもあります)

だから、実は本人が納得すればいい、というだけの話でもないのです。

ややこしくなりましたが、基本は、タロットで見ることというのは、心を納得させるための一種の念押しや確認であり、それはいわゆる現実世界で求められる確固とした科学的・論理的答えではないものの、背景には霊的・神性的ともいえる論理(真理といっていいもの)が隠されており、それも作用することもあるのかタロット(の回答)というわけです。

前にも書いたように、タロットリーダー、タロットを扱い、タロットを活用する者には、タロットへの絶対的信頼が必要です。これは無理して信じるというようなものではなく、タロットを学び、使っていく中で、自然に出てくる信頼感です。

しかし、それは妄信や依存、文明進化の否定・後退、非科学への酔心というものでもないのです。

現代人として普通に常識で生きる部分も大切にし、それだけでは解決しない部分、納得いかない部分に対しては、特に見えない心の分野において、タロットという象徴ツールを使うことにより、心を意識化、健在化させ、問題の解決や癒し、整理に使っていくことができるのです。

このあたりをバランスよく、そして混乱させないように区別していくと、タロット(だけではなく、占い・心理・スピリチュアルの様々なツール、技術)もうまく活用していくことができるでしょう。

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