恋人とは別れることになっている。

今日のタイトルはなかなか強烈かもしれません。

また、「そんなこと、信じない」「そんなわけない」「ずっとこの人と一緒にいる」と、今、恋愛モード真っ最中の人には思えるでしょう。

それでも、マルセイユタロットの「恋人」カード、そして、魂の成長を示唆するともいわれるカードの並びの中で、このカードと強く関連するカードたちを見ていると、そう思えるところが出てくるのです。

現実的に見ましても、好きになった人とおつきあいし、お互いに恋愛状態となってピークを迎えていくものの、最終的には二人(の関係)はどうなっていくか、考えてみてください。

結果的には、次の三つです。

ひとつは同棲や結婚など、二人が一緒に暮らしていくような新しい形態に移ること、もうひとつは、気持ちが冷めて(嫌になって)か、好き同士であっても死別するかで、二人が別れること、そして三つ目は、何かの事情(気持ち以外の事情)で中途半端なまま(別れていても、別れていなくても)になってしまうことです。

時間の質の概念で言いますと、新しいことや別れることになるのが「未来」的なもの、新しくなるのでもなく、また別れるのでもなく、中途半端なままの状態になっているのが「過去」的なもの、そして今恋人同士として、つきあっている状態がまさに「現在」と言えます。

ただ、未来的な状態も、新しい状態に移行した時点で、現在感覚となると考えられます。

人は「現在」に集中して生きる時、もっともパワーや生きているという実感を得ると言われますが、恋愛で見ますと、残念ながら、中途半端なままになったものは過去に生きるようなことになり、生きている実感から遠くなる状態になるのではないかと推測されます。

このことの問題はあとで述べます。

二人の恋愛関係が行き着く先は、今述べたように、主に三つが考えられるわけですが、中途半端なままになったものを除き、それは見方によれば、別の状態に移行した、変化したと言えます。

別れず結婚に至ったものなどは当然として、たとえ別れてしまったものでも、それはひとつの恋が終わり、お互いに新しい状態になったということでもあるので、やはり新モードに変わったわけです。

そして結婚した場合でも、なるほど二人は別れていませんし、ハッピーな状態ではありますが、それは恋愛の時の二人とは違います。今度は家族になるわけですから、恋人同士の時とは違うパートナー感覚でもって生きていくことになります。

また生活をともにする場合は、恋愛・気持ちだけでは済まない、現実の様々な局面に対応していくことになるので、やはり変わって行かざるを得なくなります。

ということは、恋愛の時の二人ではなくなる(なくならざるを得ない)わけで、それは次元や世界観というもので見れば、ある種の別離なのです。この場合の別離は、二人が存在として別れるというのではなく、恋人同士、恋愛という世界からの別離です。

しかし、お互いに見れば、恋人であった相手は夫・妻というものに変化(変容)したので、それは昔の相手との別離とも言えます。

従って、実際に別れることがなくても、また、たとえ二人が結婚しても、前の自分たちとの(見えない)意識・状態による別離はあることから、今回のタイトルである「恋人とは別れることになっている」と言っているのです。

人間の感情、あるいは表面的なことで見れば、実際に別れての変化は不幸で悲しいもの、結婚や一緒に暮らし行くようになったりする、別れない変化は、幸福でよいものとされますが、本質的には変化・変容しての別離の意味では同じです。

ただ、不幸と思える別れにあっても、交際した時間、一緒に恋人として愛し合い、共感して過ごした濃密な時間というか、エネルギーがあり、それは形としては見えないものの、お互いの中に残って、存在し続けます。それは二人の結合と変容への過程でもあります。

次の人に出会い、また新しい恋人同士になることはあっても、自分の自覚的な気持ちとは別に、かつて別れた存在が結合したエネルギーとして生きており、相手も自分も、そうした見えない人たちを含んで、愛し合うことになっているのです。

その人を形成しているのは、その人自身だけではなく、今まで関わり、愛し、経験してきた(恋愛だけではなく、つまりは人生すべて)ものがあってのことであり、交際は、それぞれのこれまでの人生との交流であり、変容する過程でもあるのです。

一方、恋愛の行く着く先の三つ目として、中途半端なものがありました。これだけは特殊で、過去を主体として生きてしまうようなこともお話しました。

この状態のものは、恋人モードが終わっておらず、また精神的に(双方かどちらかに)継続している状態です。別れてしまった関係の中でも、どちらが未練として強く思いを残している場合は、新モードへの移行とならず、やはり中途半端な状態になっていることもあります。

言わば、精神的には別れておらず、しかし新しい状態へも変化変容することもできずに、囚われの状態で、堂々巡りしているようなものと言えます。そして、幻想の中に閉じ込められている(閉じこもっている)ので、時間は切り離され、止まったままになっているのです。

人は現実(意識)おいて、時間が過去から未来に流れている、向かっている(進んでいる)というものがないと、いい意味でも、悪い意味でも現実を生きている感じがしません。(いい意味というのは、現実時間からの囚われから解放された、無の境地のような自由や、万物とひとつになったかのような一体感を味わうようなことです)

時間が止まってしまったかのような中途半端な恋愛モードが続いてしまっている人は、妄想の世界に生きるか、現実との葛藤で、とてもつらい状態になっているかになります。

ところが、自然の摂理は、すべてのものは移り変わり、変容していくものになっています。そのため、終わっていないものでも、強制的に終わらせる圧力がかかったり、環境の変化が訪れたりします。時間自体も外は動いていて、風化していくように働きます。

つまりは、中途半端なものでも、いつかは終わる時を迎えるのです。それは死かもしれませんし、ほかの何かかもしれません。自分の一代の人生では終わらせなかったものは、もし輪廻転生や死後の世界を想定するとすれば、そうした世界での処理ということも考えられます。

そして、やはりその場合でも、おそらく恋人と過ごしたエネルギーは自分に残り、お互いに相手は、それぞれの内に結合して、別の状態へと変容していくのだと考えられます。それが早いか遅いかの違いです。

長く想い続けた関係は、それだけ終わらすことは難しいかもしれませんし、中途半端な状態で閉じ込められてしまっていたものならば、なおさらでしょう。

それでも、それがいつかは終わった(完結した)時、その想い続けたパワー・エネルギーは強大なものとなり、あなたを守護したり、大きな新しい変容エネルギーとして昇華されて行ったりすることになるでしょう。天使はそのサポートに働きます。

こうして、すべての恋人同士の関係は別れることになり、しかし、実は別れず、変容した永遠の人(エネルギー)として存在し続けるのです。

皆さん、素敵な恋をしましょう。

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