感情の表出と共感

私は入り口的に、タロットの体験会をしたり、今はやっていませんが、以前はいくつかのカルチャーセンターでタロットの講義を行ったりしていました。

その時に、まず、タロット(マルセイユタロット)の印象を聞いてみることがあります。

たいていの人は何かを答えてくれるのですが、たまに、まったく何も思わない、感じられないという人がいました。

まあ、初期の頃は、こちらの説明とか、言い方とかがまずくて、わざと抵抗気味にそうしている人もあったとは思いますが、前向きに講座に参加している人の中でも、そういう方がいらっしゃることがあります。

その場合、考えられるのは、ひとつには、絵の印象を言葉で語ることに慣れてないというケース、ほかには、自分の感情の表出を抑圧している人というケースです。

前者は、絵に限ったことではないですが、人前であまり自分のことを言葉にして語るのは苦手という、いわばコミュニケーションの問題です。

たとえ人とのコミュニケーションに問題がないという人でも、「絵」や「シンボル」のような、人間ではない静止像に対しては、どう思えばいいのか、たとえ何か感じたとしても、それをどう言葉にして伝えればよいのか、混乱してしまうことがあるわけです。

これは、ただ言葉にできない、言語化できないというだけで、感じてはいるので、それほど問題ではありません。時間が経ったり、場に慣れて来たりすれば、きちんと言葉に表すことも可能になります。

問題は後者のほうです。すなわち、感情表現を抑圧しているタイプの人です。

怖いことに、これは本人に無自覚の場合もあるのです。

「別に・・・」とか、「「何も思いません」とか、一見、冷静な答えをして本人は納得しているかのようですが、実は、感じていることをそのものを拒否してしまって、それが習慣化し、何も感じないのが普通だと錯覚しているような状態です。

例えれば、ひどい肩こりなのに、肩こりすらも、もはや感じる取ることができなくなるほど、(心が)固まってしまっているというようなものです。

心理的に言えば、これも抵抗や自身の防衛ではありますが、このまま放置すると、身体症状が出たり、いつか限界が来て、抑圧されもののはけ口を求めて、感情と行動で暴発してしまったりすることがあります。

ですから、タロットを別にしても、日常で何も感じないという人は、精神・心の危機が訪れているかもしれないと思ってみましょう。

まだ痛みや悩み、不安など、感情的に揺れ動いて、何かを感じていたほうがましであるということです。

そこで、タロットですが、こういう人でも、タロットの象徴性を知り、思考から入ることで、固まった感情が動きを出すことがあります。

感情を抑圧している人は、思考で補い、頭で考える癖になっていることがあります。ですから逆に、思考からは入りやすく、物事も見やすいわけです。

マルセイユタロットには論理的な観察もでき、ある意味システマチックなタロットと言えます。

このため、感情が最初はあまり働かなくても、頭で見て行きつつ、そのうち、少しずつ、水が浸透していくように、意識や感情に働きかけていく作用が出ます。マルセイユタロットはそのようにできているのです。

この場合、ただ眺めているだけではだめで、さきほども言ったように、思考が働くような作業が必要です。

たとえば、ある課題や実際的な質問を、タロットで読み解いていく(つまりはタロットリーディングしていく)、タロットの絵図の様々な意味の考察を思ってみたりするなどのことがあります。

こういう時は、むしろ自分のことより、他人のことでタロットを展開したほうがよいでしょう。

すると、他人ごとなので最初は冷静に見ていられるのですが、そこに人としての感情のパターンが現れていることに気づいてきます。当初は思考での気づきですが、それが、感情的にもつながってくるように「感じ」られてくるのです。

簡単に言えば、タロットを通しての共感です。

こうなると、堰を切ったように、抑圧し、忘れていた感情が、タロットを見て流れ出します。

急に涙が出てしまったり、怒りや苦しみの感情が放出してきたりするかもしれません。それはタロットを通して、少しずつ防壁していたものが開かれていく、いい意味で壊れていくような感情の現れです。

タロットリーディングにおいても、問題を解決したり、占いとして、何か答えを出したりするものだけではないのです。

その大きな意味のひとつとして、感情の表出、気づきというものがあります。

言い換えれば、クライアントの様々な気持ちを出す(気づく)ためのサポートがタロットリーディングでもあります。

そして、クライアントだけではなく、タロットを読むタロットリーダー側にも、タロットの象徴性を通して、感情がよみがえってくることがあります。

他人をリーディングしながら、自分を浄化していることもあるのです。

相談の場では、同じ体験をしていないと、本当の気持ちはわからないと言われることはあります。

失恋したことがない人には失恋した気持ちはわからない、親の介護を経験していない人には、その大変さはわからない、子育てしたことがない人に、その苦労はわからない、お金で追い詰められたことがない人に、貧乏や借金の苦しみは理解できない・・・などなどです。

確かに、その通りです。私も児童相談所時代、若い時でしたから、結婚もしておらず、当然子供もいませんでしたので、「あなたには、親の気持ちはわからない」と言われたことがあります。

ただ、今にして思えば、それは、本当の意味で相談をしていなかったからだと思います。まだまだ未熟だったのです。もっと言えば、共感の仕方を間違えていたとも言えます。

人はまったく同じ人生の人などいません。誰もが違う人生と経験をしています。ですから、同じ体験のままの共感を求めると、それはもともと無理な話となります。

ではどうればよいのか? それは、個々の体験や具体性に落とすのではなく、抽象度をあげて、いわば、「人間としての悩み、苦しみ、葛藤」として、とらえるのです。

つまり、フォーカスするのは、悩みの具体性ではなく、悩み苦しんでいる人の、その感情そのものなのです。

それができた時、(相談をする)人は受け入れられ、思いが伝わった、わかってくれたと感じられます。

そして、人の気持ちや感情がわかるのは、自分の感情自体に素直になり、それを抑圧せず、表出していくことが必要です。(暴走させることとは別です)

自分の感情に鈍感であったり、自分自身を傷つけていれば、当然、人のことに気遣うこともできません。

マルセイユタロットは自分の心の表出、感情の浄化に役に立つことがあります。

先述したように、自分の感情が抑圧されていても、象徴としての意味を学び、他人のケースを通して、タロットから、同じ「人」としての痛みや喜びを、まさに象徴だから感じ取ることができるようになります。(思考から感情へ移行するう方法)

その人とは同じ体験ではなくても、たとえば「13」のカードが出れば、自分にとっての「13」で象徴できるような感情が沸き起こってくるのです。そこがタロットを使う意味にもなります。(ただ、個人的には、タロットであればどれでもいいというわけではないと考えています)

マルセイユタロットが、心理的な意味でのリーディング効果がある理由のひとつは、こういうこと(タロットの絵から感情にスイッチが入ること)からも言えるのです。

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