マルセイユタロットと関係するものたち

マルセイユタロットには、古代からの密儀や秘められた歴史の象徴性が詰まっていると言われています。

それらは、マルセイユタロットそのものではありませんが、マルセイユタロットが何の目的で作られたのか、何を伝えようとしているのかを考察するうえでは、大変重要なものになります。

ただ、普通では、タロットはカードゲームの一種として作られ、使われたと見るのが正当なものになっていますし、占いに使う道具だという認識でさえ、結構新しい時代のものだと考えられ、やはり、タロットに何かの教義や思想、哲理、宇宙的な法則のようなものを見出すのは、異端といえば異端なのでしょう。

異端といえば、マルセイユタロットに関連するもので、中世ヨーロッパ、特に南仏地方を中心に広く信仰されていた異端キリスト教、カタリ派が思い浮かびます。

同時に、ほぼ同じ時代にヨーロッパで活躍していた神殿騎士団(テンプルナイツ・聖堂騎士団)も、最終的には異端派とされましたから、カタリ派とともに、中世ヨーロッパの裏面を見るには、また、マルセイユタロット的にも、はずせない派・団だと言えます。

私のタロット講義においては、当然ながら、カタリ派と神殿騎士団についても詳しく話しますが、このほかにも、隠されたものとしては、マグダラのマリア(イエス・キリストの妻であったと秘教的にはされている人物)関連の話、それに続く、一連の太古から続く女神崇拝、そして、グノーシス(神性の内在性を認識する教え)、聖杯伝説など、結局のところ、すべてはつながってくる話となります。

元をたどれば、この手の話は、エジプトメソポタミア地方などの、古代の聖性や儀式、秘匿された高次の知識・智慧に行き着きますし、さらにいえば、最後には地球そのもの、宇宙そのもの、人とは何かということまで考察することになってきます。

ただの絵のついたカードというのに、見ようによっては、はなはだ壮大な世界観が内包されていると言えるのが、マルセイユタロットなのです。

ちなみに、今、日本でもっとも(占いに)使われているカードは、おそらくウェイト版(別の言い方ではライダー版)のタロットですが、そのタロットにしても、作られたのは20世紀初頭の話で、作成した人も団体(組織)もはっきりわかっている代物ですが、マルセイユタロットはそれに遡ることおよそ200年前であり、しかも誰が最初に基盤を作ったのかは、よくわかっていないところがあります。

それだけ、マルセイユタロットは古い時代の、普遍的でいながら、隠された何かを伝えているのだと考えられるわけです。

もちろん、古いものがいいと決まっているわけではなく、現代人の価値観では、むしろ新しいほうがよくて進んでいるという感覚でしょう。

私自身も、無条件に古いものがいいと言っているわけではなく、今の人が失った体系(システム・考え方・認識方法)が昔にはあり、それをそのまま復活させるのではなく、今とこれからに向けて、リニューアル・リバイバルさせ、かつてとこれからを今に融合・統合させて、真の意味でバランスのよい進化を果たしていこうという思いでいます。

そのツールとして、最適なもののひとつに、マルセイユタロットがあるということです。

そして、古いものと新しいものという考え方そのものが、過去から現在、未来へと、直線的な時間の流れで見ていく価値観に沿っています。

時間と空間は密接に関係しており、時間の感覚が変われば空間認識も変化すると予想されますので(その逆も言えます)、古代のものを今によみがえらせること(古代の認識のシステムを今に思い出すこと)は、これもまたひとつの「統合」といえるもので、二元の異質なものが統合されれば、新しい何か(境地・次元)として、一段上に進むことができると考えられます。

古きを知ることは、実は新しい流れに向かうことにもづながるのです。まさに温故知新というところでしょうか。

ところで、カタリ派と神殿騎士団には、日本に関連しての、ちょっとスピリチュアル的・メルヘン的な話があります。

まず、ふたつについて簡単に説明しますと、

カタリ派というのは、人間や世界を物質と霊の二元として分け、自身を浄化し、霊的なものに回帰することを説く、グノーシス的色彩を帯びた中世ヨーロッパのキリスト教異端派を言います。

清める意味のカタリから名前が付けられ、当時は南仏を中心に、かなりの信仰者がいましたし、一種の民衆運動、地域の独立運動のような状況にもなっていました。

一方、神殿騎士団は、キリスト教の聖地エルサレムを奪還するために組織された十字軍を機に、エルサレムの神殿(ソロモン王の神殿)あとで結成され、その後、中世ヨーロッパで大いに権勢をふるったと言われる騎士階級を中心とする組織です。

神殿騎士団は、最終的に異端派とされて、逮捕のお触れが教皇庁から出されましたので、騎士団たちの信奉している教えは、キリスト教(カトリック)のそれではないと噂されています。その教えが、やはりグノーシス的な異端のものであったのではないかと考えられているところがあるわけです。

それで、前世療法をする方に聞いた話では、不思議と、このふたつのどちらかに属していた過去世を持つ日本人の方が少なくないというのです。

それも、日本の東では神殿騎士団、西ではカタリ派の記憶やデータを持つことが比較的、傾向としてあるようです。

カタリ派の滅亡のことを小説として書いた、佐藤賢一氏の「オクシタニア」という本がありますが、その中で、面白いことに、カタリ派の人が、関西弁でしゃべっているシーンがあります。

日本人は、南仏に、あこがれや憧憬のような気持ちを持つ人もいて、前にも書きましたが、日本の女性に商品の購入者が多いと聞く、南仏発のコスメティックの会社ロクシタンも、そもそも「オクシタニア」という南仏の地域を指す言葉から来ています。(オック語が話される地域)

まあ、こうしたものは単なる偶然や、冷静に考えれば、たいした話でも何でもないのかもしれませんが、マルセイユタロットを愛好する者としては、何かの因果や因縁、つながりを感じるものです。

もう少し、非科学的、メルヘン的な話をしますと、世界にはおよそ、表と裏に分かれる、二元の関係性があり、それは立ち位置というか、好みと言いますか、輪廻転生を過程しても、どうも、表で普通に暮らしたり、支配構造に回る人たちと、裏で支える側とか、秘めていく側に回る者たちがいるように思います。

もちろん、バランス的には、その立ち位置を変えて、過去世から相互に繰り返していることも考えられますが、それでも、何か個人の特質のようなものがあるように思うわけです。

マルセイユタロットを好む人は、このうち、裏や影側といいますか、カタリ派や神殿騎士団のことを見ても、異端として弾圧される側に回ることが多かったので、どうしても、そういうデータを受けついでいるところがあるように思います。

それは、よい面も悪い面もあるでしょう。

もっと細かく言いますと、二元の中に、さらに二元の立ち位置があり、表でも裏の人、裏でも表の人、表中の表の人、裏中の裏の人という次元や立場があるものとも想像できます。

それによって、時には、表面的には裏切り者となったり、スパイになったりというネガティブなこともありますが、深くには、両面のバランスの調整ための重要な役割になることもあり、ポジティブなケースで言えば、異端ながら組織や社会に貢献する人(普通とは違う発想や行動力があることで、発明や革新をもたらすことができる人)になる場合もあるでしょう。

さて、あなたはどちらの傾向にひかれたり、実際の立場として置かれたりすることか多いでしょうか?

そんなことも夢想(笑)できるのが、マルセイユタロットの面白いところでもあります。

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