マルセイユタロットを教えたい人のために

マルセイユタロットは、最近は使う方も増えてきましたが、まだまだ日本ではマイナーと言えます。

以前にも書きましたが、独学するにしても、まず、マルセイユタロット関係の日本語の本があまりありません。

最近、サビアン占星術などで有名な松村潔氏の「タロットの神秘と解釈」や、幽体離脱を研究されている大澤義孝氏の「タロットの謎」というマルセイユタロット関係の本も出版されましたが、どちらも面白い本てはあるものの、オーソドックスにマルセイユタロットを入門から学ぶのには、不向きなところがあるかと思います。つまりは、一定のマルセイユタロットの基本知識があれば、より深く楽しく読める本だということです。(あくまで私の印象ですが)

かといって、ほかのタロットと同じように解釈できる入り口的な本も、それは何もマルセイユタロットでなくてもよいので、やはりマルセイユタロットを独学するには物足りないところがあるでしょう。

ということは、マルセイユタロットを知る人に教えてもらうのが、遠回りなようで、一番早いと考えられます。

しかし、先にも述べたように、タロット界においても、マルセイユタロット自体があまり普及していない現状では、使い手はもとより、教え手も少ないのは当然です。

そして、これはマルセイユタロットに限らずですが、教え手の方は、皆さん、まったく同じことを伝えるのではありません。そこには個人の体験や解釈、いわば教える人の個性が出るわけです。

教える人の中には、知識よりの人もいれば、リーディングや占いの実践に重きを置いている人もいますし、自分の信じている考えや思想を、タロットに置き換えて伝えている人もいるでしょう。(例えば、僧侶がタロットを使って仏教の道を伝える、スピリチュアルなことをタロットを通して教えるなど)

さらには、学ぶ側、教えられる側の人にも個性や好みがありますから、結局、人を介してのタロット学習とは、考えてみれば、極めて偶然(のような必然)が重なっての選択ルートを通って、つながった関係だと言えるのです。

特に、マルセイユタロットはニッチなだけに、そこに至る道は、あみだくじ的に言えば、いくつもの線と橋を通過してつながったものと例えることもできるでしょう。

そういう迷路を通っての出会いも、宝探し的で面白いものですが、逆にもっと広い道のルートがあってもよいかとも思います。

それは、言ってみれば入り口の扉を大きくするか、多数にするかになってきます。

このうち、後者の多数にするというものでは、例えば、私のことで言えば、私一人だけで教えているより、タロットを学びに来てくれる方がさらに発展して、自分でも教られるようになるほうが、より多くの人の目にふれる機会もあるわけです。

そういうことで、私は数年前より、マルセイユタロットを教えられる人の育成も考えるようになりました。

教える人を教えられるほど、自分が優秀だとは全然思いませんが、それでも、現状、少ないマルセイユタロットの教え手を、もっと拡大させる一助にはなれるのではないかと思っているところがあります。一応、私も曲がりなりにも、それなりの年数で、それなりの人を教えてきた自負と経緯がありますし、マルセイユタロットへの思いと情熱には熱いものがあるからです。

教えるということは、実は、意外に難しいものです。スポーツなどでも同様だと思いますが、実践の経験が豊富であったり、優れた結果を残している人であったりしても、教える技術はまた別ものになります。

名選手、必ずしも名コーチ・監督にはならないように、あまりに実践で優秀すぎると、普通の人の気持ちや学びの感性が、本人(名選手)にはわからないことがあります。特にいわゆる天才型の人は、自分が簡単にできてしまうので、なぜ、それができてしまうのかを説明しにくくなるわけです。

タロットはまた、感性や感覚が重視されがちですが、人は思考と感情がセットで納得できた時、本当に腑に落ちたような理解が可能になりますので、感性・感情面だけでは、わかりづらいところもあるのです。

反対に、知識・頭の思考ばかりでは退屈で、うんざりしてきます。いわゆる“お勉強”は誰でも嫌なものですよね。(苦笑) 従って、その両面をバランスよく見て、教える必要があります。

つまり感覚だけ、知識だけ、経験だけで教えても、伝わりにくいところがあるということです。

タロットの中でも、マルセイユタロットは独特の知識と経験を有し(必要とし)ます。それは、先述したように、知識を得ようにも、それが書かれたものが少ないうえに、使い手そのものが少ないので、使い方や教える手法も、あまり世に出ていないことがあるからです。

幸い、私はマルセイユタロットの使い方は当然として、教え方、効果的な学習法なども、基本はもとより、独自なものまで追及してきたところがあります。まだ習っている比較的早い段階から、すでに教えることを意識した学び方をしていたこともあります。

ということで、マルセイユタロットを使い、そしてそれを教えたいという目的や希望のある方は、ぜひ、こちらの門戸を叩いてほしいと思います。

ただ、私がマルセイユタロットを使い、マルセイユタロットを教えてるのも、ここで何度も書いているように、占いがメインではありません。ですから、あくまで占い師になりたい、タロット占い師の師範になりたいという方を指導するものではないのです。

マルセイユタロットに描かれている、内在する神性を開花し、それぞれ自らを高めていくため(究極的には人類の調和的発展)の目的でやっています。もちろん、その目的をもって、「占い」という方法を選択されるのも、人の自由ですが、趣旨(目的)が異なれば、占いの選択はない場合もあります。

私のところでは、教え手の方は、基本、独立を目指すことを想定しています。独立とは、簡単にいえば、自分ひとりでマルセイユタロットを教えていくこと(プロデュース・マネージメント)ができるということで、それはビジネスの形もあれば、ボランティアの形もあり、それはその人の選択によります。

しかし、そのためには、いきなり一人で、すべて一からやるというのは、大変なことです。

前に述べたように、教えること自体の技術・知識もいるからです。最初からそれらの自信があって、ひとりで全部できるという人は、別に入門したり、指導を受けたりする必要はないと思います。

どなたかに学んだり、本を読んだりして、基本を身につけ、リーディングなどで実践し、教える自信と方法があれば、自由に(教えることは)やればいいと私は思います。

ですが、知識と実践の経験はあっても、それを教えていく、伝えていくというのには、モデルや型、指導が必要という人もいらっしゃるわけです。むしろそのほうが普通かと思います。

そういう人のために、私は力になれればと思っているのです。教えることがある程度できるようになるまで(独立の自信がつくまで)、指導していき、あとは個性を活かして、自分なりの方法でマルセイユタロットを伝えていってくれればと思っています。

すでに語ったように、教えることにも個性がありますので、基本は同じでも、自分がマルセイユタロットを通して伝えたい本質と、それを表現する講義の方法に、自分なりの工夫とアレンジ、オリジナリティを出していただければよいかと思います。

実践をバリバリやるより、教えることのほうが向いている人というのがありますし、それ(向き不向き)自体が自分ではわからないところもあります。

最初は教えることなんて全く考えていなかった人でも、やっているうちに、これを人に伝えたい、教えたいという気持ちが出てくる場合があります。

またリーディングを多くしていると、「あなたにこのタロットを教えてもらたい」と、クライアントから言われることもあります。

それは、あなたのリーディングによって、クライアントが感動し、自分もこのタロットを学びたい、使いたいと思ったからであり、それならば、目の前の感動を与えてくれた人に教えてもらいたいと思うのも、人の気持ちの自然の発露だと思います。

そう言われて、クライアントの方に対して、教えるからには、いい加減な教え方はできないと思うこともあるでしょう。

そして、意外にも、簡単なものならば教えられると思っていても、いざ、やろうとすると、自分では無意識にやっていたようなことが、教えるとなると、その意味が理解できてない、説明できないことが頻出してくるようになります。

その時はじめて、教えることの難しさを知るのです。誤解されがちですが、何事も、内容が簡単・平易でも、教えることはそれに準じる(簡単な)わけではないのです。それに、浅い段階で教えると、当然背景も浅いものになるので、せっかくのツールも、その浅いままの状態で終わるのです。

伝える人の奥底に深いもの、広大なものがあれば、たとえ、内容的に浅いものを教えていても、人はその背後の深淵さを感じるものです。「これ(タロット)はただものではない」という雰囲気とでもいいましょうか。

もし完璧なテキストを作成したとしても(それはそれですばらしいですが)、内容もあまり知らない人が、それを借りて棒読みで話す人と、テキストを作った者が、感覚的にも思考的にも深いものを感じさせて話す人のものとでは、伝わる効果もまったく違うものになるのはわかると思います。教えるとはそういうことです。

最後に、マルセイユタロットの「法皇」と「恋人」の並び(数の順になります)で配置してみます。

「法皇」は、見ての通り、教え伝える人です。それが、複数の人と天使(キューピッド)のいる「恋人」のカードに向いているように見えます。

ここに、教え・教えられる状況(設定)の象徴性の深さが示唆されていると考察できます。

簡単に言えば、教え・教えられるのも、人(人間)と神、天使との融合によって行われるのです。そう、天と地の邂逅なのです。

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