心の安定の技術 タロットの両面性

人間、いい時もあれば、悪い時もあります。

心理的・霊的(スピリチュアル的)観点になってきますと、人生にいいも悪いもないという、高次での客観的な見方(いわば神や宇宙目線)が出てきて、結局、その波(人生の上げ下げ)をサーファー(波乗り)のように楽しむような感覚になってくると言います。(これが、いわば、マルセイユタロットの「運命の輪」の心境と言いますか、カードの象徴している極意のひとつだと考えられます)

しかし、なかなかそうした境地にたどり着くのも、訓練したり、何か強烈な試練を乗り越えてきたりしないと届かないこともあり、簡単なものではないのかもしれません。

もう少し、レベルを下げた、バランスの取り方というか、中立に戻すと言いますか、日々起こる現象に囚われ過ぎないで、平静を保つような方法があればよいですよね。

ところで、私は自慢ではないですが(苦笑)、とてもナーバスなところを持っています。人一倍、ストレスや変化の耐性に弱い気質をもともと持っていて、ちょっとしたことでも動揺したり、体の不調があれば、それを気にし過ぎて、余計に気持ちのほうから体を悪くしてしまうという悪循環に陥ることもあります。

ですから、公務員時代は、うつ病や不安神経症を併発してしまい、休職せざるを得ない時が続きました。

公務員になる前とあとでも、ほかの仕事(正社員)やアルバイトをしたこともありますが、やはり、どこで何をやっても、体と心が必要以上に痛み、楽な状態で働けることがほとんどありませんでした。(よく言われるようなコミュニケーションの問題とは違い、これには、ナーバス以外のスピリチュアリティ観点による、別の理由もあるのですが、それはまたほかの時にお話しします)

そんな中で、マルセイユタロットに出会い、だいぶん、自分を落ち着かせる技術や考え方を学んで、今では、前よりかは、かなりましになり、人様の前で講義ができるようにもなっています。(ただ人前で話しをするのは、緊張型でナーバスなところがあるのに、それ自体はあまり嫌ではなかったという、変わった利点があったことも功を奏しています)

それでも体力を使いすぎたり、反対に精神的に疲労し過ぎたりした時は、油断すると、心身のバランスを崩そうという状態がやってきて、大変なことはあります。

こういう極めて弱い私の気質の中で、タロットと出会ってよかったことのひとつは、自分がタロット(マルセイユタロット)がとても好きであることに気づいたという点です。

逆から言えば、自分の好きなものとしてマルセイユタロットが見つかったことになります。

それまで、タロットのタの字の関心もなかった私が、自分が心身の弱さや生きにくさを感じていたおかげで、マルセイユタロットという(打ち込める)ものに出会えたというのも、皮肉なような、ある意味、バランスの取れた話だと思います。

人は、自分が興味が持てるもの、好きなものに出会うこと(好きなものはモノや知識だけではなく、人なども入ります)ができれば、そうですね、タロット的に言うならば、四大元素の、すなわち、情熱やモチベーション、高次の意味では、心や魂に着火するかのようなエネルギーの炉が稼働します。

この炉心から生まれるエネルギーが、人の気力を高め、行動に移せますし、ビジョンとしてイメージを作る力ともなります。ありていに言えば、夢と希望が出てくるわけです。時には、熱中し、打ち込んでいる自分と周囲への尊重(その時間の充実が、自分と人生の賛歌になること)にもつながります。

タロットと出会えてよかったことのもうひとつは、やはり物事の見方が多様て多層になったことタロットを通して、一面からではなく、必ず両面から見るようになったことです。

これは、書いてしまえば、簡単なことのように思いますが、実はなかなか普通は行わないことなのです。

冒頭のところで、高い境地から物事を常に見るようになるのには、簡単なことではなく、もっとレベルの低い(簡単な)やり方があれば・・・と書きました。

タロットを使う目的も、高い境地が常に自分がいられるにするという目的がひとつにはあるのですが、それに至る前段階の方法として、先述したような、タロットを通して両面を見る(考える)というやり方があります。

特に、普通にネガティブだと思われるていること、そう自分が感じてしまうことに対してが有効です。

例えば、「悪魔」というカードは、名前だけや絵の印象では、文字通り、悪魔的な悪いことを意味するのでは?と思いがちですが、それが、いわゆる一面的で普通の(常識的な)見方です。

しかし、「悪魔」にもポジティブなことはないだろうか?と、あえて考えてみるのです。

「悪魔」のカードが表す「良いこと」とは?みたいなことです。

さすがに一人で考えていてはわからないこともあるので、本を読むなり、講義を受けたりして、「悪魔」のカードの象徴性を、知識として得て、そこから、自分なりにまた考察していくのです。

なぜなら、カードの象徴性の、ネガティブな面は、一般的に皆が思う普遍的なネガティブさを象徴しているのと同時に、個人・個別においてのネガティブさも表しているからです。

「悪魔」のカードで言えば、あなた自身が個人的に持っている「悪魔」に対する悪いイメージや意味と、あなたの思いとは別に、人々が一般的に思う「悪魔」からイメージする悪いことという両方があるのです。

そしてここが重要なところですが、あなたの抱く「悪魔」のイメージと、一般のそれとでは、形や意味は違っていても、奥底ではつながっているということです。

あなたにとっての「悪魔」は、意外にも父親や母親、職場の上司なことあるわけで、しかしそれはあくまで個人的なことで、ほかの人の両親が全員悪魔なんてことはないわけです。一般的には、「悪魔」とは、騙したり誘惑したりする存在とか、支配する人、あるいは悪徳そのものみたいなイメージです

しかし、個人的な「悪魔」が、普遍的な「悪魔」とはまったく実際は別物であるのに、本当は象徴の次元ではつながっているのです。

ならば、「悪魔」の象徴そのものをもっと理解し、ネガとポジ、両方を中立的に見ることができれば、あなたが抱いていた特定の人や物事に対する「悪魔」の印象は、浄化されていくことになります。

こうなってくると、少なくとも心理面を通して見方は変わり、現実的にも効果が及ぶのがわかるでしょう。

こうしたことのためにも、まずは、カードの常識的な一面を見るだけではなく、裏の面や意味をとらえ、そらのどちらも受け入れるという見方をしていくと、次第に、高い境地から物事を見る視点が養われてきます。

究極的なことを言えば、一面だけの認識が、あなたを苦しめている原因のひとつでもあるので、見えていない、認識していないもうひとつの側をタロットから呼び起こすことが求められるのです。

これ(両面性での認識)が安定してくると、現実の現象そのものに飲まれ(囚われ)過ぎることが少なくなり、たとえナーバスで影響を受けやすいという人でも、前よりかは、意識を別の次元に飛ばすようなことができて、苦しさや大変さの質が変わってきます。

ただそれは現実として悩みとか苦しいことがまったくなくなるというのではなく、それを感じる、感覚と意識が別になってくるということで、これまでの世界観の選択から逃れていく方向になるのだと言っておきましょう。

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