災害や事件の意味を考える

日本には元号があり、今年は新しい「令和」になったばかりです。

このブログの読者層は、書いている私自身が昭和生まれなところもあり、昭和生まれの人が多いと予想しますが(苦笑)、平成の方もいらっしゃるかと思います。

いずれにしても、令和とは違う時代に今まで生きてきたわけで、その時代の流れや空気というものは感じて来たことでしょう。

そして、タロットなどに関係する人は、ただ普通に思う(見えるものの)時代の雰囲気だけではなく、背景に、霊的ともいえる、見えない領域における時代の空気、変化があることを実感したり、想像したりする人も少なくありません。

このブログでも、令和になってから何度かふれているように、日本の元号の分け方で見れば、やはりその元号の時代独特の意味合いが、物・心(霊)両面とともにあり、昭和・平成、そして令和へと変化してきているのを感じます。

ところで、先日、台風19号を東日本を中心に大きな被害を出して駆け抜けて行きました。発生当初からその巨大さゆえに不安視され、非常な危機感をもって伝えられていたところですが、東京あたりは想定されているほどでもなかったかもしれませんが、やはり、各地で堤防決壊による洪水など、多大な被害をもたらしました。

昨年は、中国地方を中心に降り続いた西日本豪雨、関西で立て続けに襲来した台風など、西日本でもかなり被害が出ましたし、毎年のように、九州地方の災害も起こっており、今年も佐賀などで大きな被害があり、関東でも、先の台風15号によって、特に千葉には甚大な被害が出ました。

思えば、平成から巨大な地震が各地を襲い、天変地異、災害が頻繁かつ、強力になってきたと言えます。

そして、こうした自然災害だけではなく、凶悪な殺人事件や、常識で考えられない事件なども起き、国民の生活として、精神的にも経済的にも余裕がなくなってきている気がします。

テクノロジーと情報通信機能は進化したものの、皆、将来が安心できるような暮らしができなくなってきて、不安に思う人が潜在的にも増大しているように思います。

スピリチュアルな世界では、現実に起こることは、人々の深層的な意識、心の様相、霊的なレベルと結びついていると言われ、この考えから行くと、環境・状況が悪いから私たちが不安になるのではなく、私たちの心が逆に環境に投影されている(引き起こす)と言うことになります。

それは、今の私たち(の意識)だけではなく、過去からずっと積もり積もった歪みのようなものが、ついには臨界点を迎えて、爆発するようなことになっているのかもしれません。

地震発生のメカニズムは、一応、プレートテクトニクス説で、プレートの沈み込みによって起こると言われ、これも言ってみれば、プレートの歪みによるものです。つまりは、やはり歪みとか衝突が物理的にもあるわけです。

これを象徴的に、心の状態だとすると、鬱積したネガティブな何かとか、葛藤したり、対立したりする心と言えなくもありません。

地球がガイア生命体のようなものだと仮定すれば、地球の生命体としての自浄作用、修正運動のようなものが、特に今になって大きく働く時代になった可能性があります。

これは蓄積による歪みを治そうというもので、治療と言えば治療のような意味になるのでしょうが、もうひとつ、別の考えもできます。

それは、新しい生命体に変化するために、体(精神)を作り変えているということです。地球と人は、実は霊的には一心同体のものと見ますと、私たち自体も、何か新しい人間に変容するために、地球とともに生まれ変わろうとしているのかもしれません。

大きな変容と言えば、マルセイユタロットでは「13」または、「神の家」のカードが思い浮かびます。

大きく変わると書いて「大変」という文字になります。そう、変化・変容には、それが大きなものであるほど大変であり、変わる当事者からすれば、破壊(が来ている、壊されている)と感じるようなことも起きるわけです。

一方、変わるべき存在が、あまりにも頑固で強固、古いものにとらわれ過ぎている時は、その分、変化する力も激しいものになると想像されます。

イソップ物語の「北風と太陽」の話ではありませんが、意固地になればなるほど、余計な力を入れなくてはならなくなります。それがまた自分を苦しめることになります。

私たちが古いものを手放し、新しい価値観へと変貌を遂げる時代(そのプロセスの初めの時代)として、令和になっているのだと思います。

それから、これだけ、巨大な災害が起きるというのも、人々の意識と考えが、個人単位では太刀打ちできないということを思い知らせされている気がします。言ってみれば身勝手な、自我欲求としてのエゴの世界からの脱却の要請です。

今の災害レベルは、個人はもちろん、地方自体単位のレベルでさえも、その被害の対応、処理になすすべがないほどです。かといって、国に全部お任せ、国が何とかしろ、と言っていても始まらないのです。

阪神大震災から東北大震災を経験して、私たち日本人は、ボランティア精神や助け合いの行動、義援金などで、相互に思いやる気持ちと、民間レベルでも行動していく機運が高まりました。

災害は受けた者には悲惨で、時には絶望にもかられる苦しいものですが、一方で、私たち全体としての意識に変化を生み出します。

もはや、個人がどうのとか言っている場合ではなく、明日は我が身と思い、全体で支え合う仕組みを考え、国や政府を動かしていく必要があると思います。まずは私たちの意識を、見えるものだけではなく、精神の面で変えていくことも求められます。

さきほど、タロットで「13」と「神の家」を出しましが、「13」の次は、14の「節制」に続き、16「神の家」は、17「星」へと進みます。

「節制」はまさに、助け合い、相互扶助的な象徴カードであり、救済を意味する天使が描かれています。

そして「星」には女神がおり、穏やかに、すべてのものに惜しみなく愛やエネルギーを捧げています。ここには調和が描かれています。「節制」も「星」も、ふたつの壺と水があるのが象徴的です。

個人主義に走り、一部の勝者と大量の敗者のようなピラミッド社会を、特に経済的な構造として続けていく限り、人々の精神・心も同じ構造を取り、自分さえよければいい、自分が勝者や生き残りになればいいという思考になりがちです。

自己責任という言葉がよく言われます。確かに、幼い精神で、うかつな行動を起こすものは自業自得で「自己責任」であると言えますが、最近の風潮は、自己責任によって、まさに自分の責任(全体としての責任)逃れをし、あらゆるものから関わり合いたくないという心を助長しているようにも思います。

それはでも、人々の心が病んでしまっている(それもありますが)というより、そのようにさせている(させてきた)社会の問題・構造も大きいと思います。(他人のことなど考えられない、余裕のない世界にされてきたと言いますか)

人の価値を、ただ能力のあるなし、経済の多寡、情報通かどうかなど、特に量(計る幅ともいえます)的に見ていては、この傾向にますます拍車がかかると思います。

確かに、今の実状は、自分の生活だけで精一杯の人が多く、他人に構っていられないと思います。

ですが、ふと立ち止まり、なぜ、そうした気持ちにさせられているのかという「構造」に少し思いを馳せ、小さなことからでも、他者、国、地球など「全体」というものの視点で見る心を思い出すことが重要かと感じます。

人々の小さな行動と気づきも、それが多くの人で集合して行けば、巨大なものとなって、変革の力に変わります。

仕方ないとか、今までの常識とか、一人ではどうにもならないとか、それこそがある意味、洗脳でもあるのです。

現実を変えるには、自己の中で創造することが大事です。アイデアを、今の状態ではない新しいものとして考え、イメージを創り出すのです。妄想に逃げるのではなく、地上に生きながら、地上ではないところからのアイデアを持ってくるわけです。

これは、マルセイユタロットでいうところの、「女帝」と「皇帝」の関係にもなるのです。

大きな災害は、逆に見ると、それだけの規模や危機感を持たないと、人々の意識が全体性・集合性の方向に向かない状態であるからだと言えます。これ以上、犠牲者(明日は自分になるおそれもあります)を増やさないようにするためには、私たち自身にかかっているわけです。

また、デマに流されたり、誰か救世主を待つ、先の時代を待つなどという姿勢になったりせず、自らが成長し、自己を確立していくことも重要です。

愛や平和を叫ぶだけでは(そう思う気持ちは非常に大切ですが)、あまり変化はないと言えます。

個としての確立を目指し、そのうえで全体レベルに統合していくことで、自他ともに救済できる力が発揮されると考えます。(単純に言えば、自分を救うには、他人も救う協力体制があれば、どちらも救われるということ、それは実は自己や他人が、ともに同じレベルに成熟しないと持ちにくく、少なくとも、自分が未熟でエゴ的な状態、依存的な状態であると出にくい発想なのです、もう「成功」という概念自体を変える時代に来ていると言えます)

地球や世界は、すでに変わろうとしてはいますが、そのスイッチを本当に押し、稼働させるには、あなた自身の思いが必要なのです。

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