壁にぶち当たること。

人間、誰でも壁にぶち当たるというシーンがあると思います。

中には一度もそういった経験がなく、順調に人生を過ごして来られた方もいらっしゃるかもしれませんし、そもそもポジティブな人は、壁を壁と感じることはないのかもしれません。

日本人は不安因子が高い民族と聞いたことがあり、壁のようなものがあっても、障害物競走やゲームではありませんが、それを陽気な他の国の人のように楽しむというのではなく、真剣に壁について考え込んでしまう、まさにぶち当たってしまう・・・という人が少なくないような気がします。

またよく言えば、なんでも「なになに道(どう)」にしてしまうように、困難こそ自分を鍛えるとして、歯を食いしばって乗り越えようとする人もたくさんいるでしょう。そういう哲学・美徳のようなものが、日本人は刷り込まれている民族と言っていいのかもしれません。

しかなしがら、現代社会は、あることに対して単純な壁一枚というような状況は少なく、複雑化された社会において、やはり壁も複雑・複層・多重化しているように思え、ひとつ乗り越えたと思ったら、また別のものがすぐ現れたり、一見、優しい通り道のように見えながら、実は見えない壁があった・・・というようなこともあるのが今ではないでしょうか。

言ってみれば、私たち全体を覆う壁があるような閉塞感もあります。そんな状況で希望を抱くのは、昔よりも難しいのかもしれません。

話の内容とレベルが違うので、まったく参考にならないかもしれませんが、タロットリーディングをしている中でも、壁にぶち当たることがあります。

その一番大きいものは、タロットが読めなくなってしまうという事態です。

まだ講師まではしていませんでしたが、当時、私はタロットリーダーを主体としてやっていこうと決意し、実践を繰り返していました。

まだ学習中ではありましたが(そもそも技術の向上に終わりはありませんが)、そこそこリーディングに自信もつきかけていた頃です。

そして、機会が巡り、その時学んでいた学校の上級コースに行くことになりました。これは私の経歴にもあるように、当時のタロット大学から、フィリップ・カモワン氏の講義するフランスでのコースへの参加でした。

先述したように、私自身は、通称カモワン・タロットのリーディングにおいて、それなりに読める、リーディングできる段階に来ていたと自負もありました。

しかしながら、実際にグランドマスターであるカモワン氏のリーディングを目の当たりにした時、自分の実力のなさを思い知りました。

いや、グランドマスター・師匠なのですから、自分のものより、レベルや次元が違うことは当然承知しておりました。私もそんな傲慢な人間ではありません。(笑)

何がショックだったのかと言えば、それまで自分がやっていたリーディングのシステムが、まったくカモワン氏の方法とは(本質的に)異なるものであったことだったのです。形だけ真似していたと言いますか。

つまり、自分がそれまで築き上げてきたものが、間違いや無駄であったかのように思えたのです。

そして、同時に、これはまた、一からやり直さねばならないという、その遠大な道を思うと、目の前に巨大で長い壁がそびえ立っているかのように感じたのです。

それから、私はどうタロットを読めばいいのかわからなくなり、混乱の極みに至りました、

タロットリーダーとして独立しようと思って、勢い込んで高いレベルの技術を学ぼうとフランスまで来たのに、これではタロットリーダーになれないことを宣言されて帰国するようなものです。(苦笑)

事実、日本に帰ってから、しばらくタロットを読むことができなくなり、時差ボケもあったのか、またほかの何かの原因があったのか(これは実はあったのですが・・・)、本当に呆けたような感じに私はなっていました。

まあ、それでも、やはり私はマルセイユタロットが好きなのか、少しずつ、わからないなりにもタロットリーディングを、やってみることにしました。

すると、混乱はしていたのですが、今までとは違う、不思議な感覚でタロットが見えてくるようになりました。

ここで、分析好きの傾向のある私は、自分に起こったことを、一度振り返って、整理してみました。この時も、実はマルセイユタロット自体が(物事を整理するための象徴道具として)役立ったのです。

自分に起こったことは、端的にカードで言えば、「神の家」のようなことと言えました。

それまでの積み上げて来た技術が、強い衝撃的な出来事によって、いったん崩壊したかのように見えて、それは新しいレベルへの引き上げを意味する事件であったわけです。

幸い、「神の家」にある土台のように、それは私の中に残っていたので、再度、「神の家」を組み上げていくことができ、これまで目指していた「神の家」は、むしろ「悪魔」の幻想でもあったわけで、これにより、真の「神の家」が見えて来たということでもありました。

そして、自分が新たに作り上げていく「神の家」は、自分自身の「神の家」であり(正しい言い方をすれは、自分「が」神の家)、私の例で言えば、それはカモワン氏のリーディングでもなく、これまで私が培い、目指してきたリーディングとも違う、新しい自らの「家」なのです。

半年後から約一年かけ、私はこれまでとは違う感覚と論理で、リーディングができるようになりました。

ちなみに、ここでできた「神の家」は、また新たな刺激によって壊されることになりますが、再生して、また次の「神の家」ができるようになります。つまり、言い方を変えれば、「神の家」は「悪魔」の家(笑)にもなり、そうなると、もう壊されなくてはならない運命になるのです。

ただし、「13」の象徴もそうですが、この積み上げ、再生には時間を要することもあれば、試練のように厳しい時代を象徴することもあります。

さて、壁の話に戻りますが、「神の家」は、そのまま出会うと、まさに高くそびえたつ塔であり、です。自分が小さいほど、塔は巨大な壁のように見えることでしょう。

しかし、塔(神の家)には、まさに神の光が降りてきているのです。

私たちは、壁は高く、強固で、大変な障害だと認識してしまいます。ですが、その上には、神の光が注ぎ、塔を通して私たちにその光のエネルギーを授けてくれるかもしれませんし、塔があなたの幻想である時は、破壊を促してくれます。

壁はいわば、恩恵でもあり、あなたに次のレベル、見るべき真の姿を教えてくれる象徴と言えましょう。

ですが、何も、壁に真っ向から立ち向かわなくてもいい場合もあるでしょう。壁は文字通り、壁という障害の場合もあるのです。

障害ならば、取り除く必要があります。そして、こういう見方もできます。

壁と思うものは、確かに障害かもしれませんが、それは壁と見せかけているだけで、本当の取り除く壁は、自分自身の中にあるという考えです。

この時、「13」というカードの象徴性が思い浮かびます。

あなたには何か捨てるべきもの、変えるべきものがあると、壁の形で示してくれているわけです。

壁にそのまま立ち向かい、登ったり、壊そうとしたりして、「戦車」のように戦いを挑む必要はないのです。(マルセイユタロットの「戦車」も、本来は戦うものではありませんが)

それをすればするほど、抵抗となって、かえってつらく、苦しくなるかもしれません。

それよりも、あなたの生き方、考え方、身の振り方、人との付き合い方、生活サイクルなどにおいて、象徴的に言えば、捨てるもの、変えるものがあるということ気づくとよいでしょう。壁を見せ、壁だと感じさせるものは、環境や外側の問題ではなく、あなた自身の中の問題だという話ですね。

「13」も「神の家」も、その次のカードは、「節制」や「星」という癒しのようなカードたちであり、それぞれ、壺をふたつ持っています。

このことから、壁を乗り越えるためには、独力だけではなく、他者の力や、時には人間を超えたもののサポートがあることも示唆されているように思います。

タロットカードの流れには絶望や停止で終わることがありません。そう思うと、壁に当たっても、必ず救いの光、希望の道は残されていると感じます。

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