あれかこれかで悩むこと

タロットでの相談や悩みを聞いていますと、たいてい、こういうケースに当たります。

それは、あれかこれかの選択で悩んでいること、です。

意外にも人は、たくさんの選択肢で悩むことは少ないものです。むしろ、選択肢が多いというのはうれしい悲鳴というか、贅沢な悩みなのかもしれません。(その場合は、価値観に従い、優先順位をつけるとよいです)

たったひとつのもの(人)を失うようなこと、あるいは、それを得られないこと、そして、今述べたように、ふたつの選択肢の間で悩んでしまうこと、これが、分析すると、当てはまるパターンとして多いのです。

そうしますと、悩みの解決法は、実はシンプルになってきます。

構造的なアプローチと言いますか、そういう視点で見た場合、ひとつのことにこだわるか、ふたつのものの間で選択に悩むかというケースが浮かび上がります。

前者は、自分と対象(得たいと思うもの)の関係で、結局、得られるか得られないかのことになり、後者はそのまま、ふたつのうち、どちらを選ぶか(選べばいいか)のことで、それはどちらも、二者葛藤の構造にあると考えられます。

単純な白黒の図で書きますと

〇得られる ●得られない

〇を選ぶか  ●を選ぶか

というものです。

 

そして、ここが大事なところですが、〇と●は並列の横並びの位置にあります。

もし、ここで、違う位置、つまり縦位置に「ある図」描くとしましょう。

    ※

 〇 ●

※印の位置です。

 

※印の位置は、〇と●とは異なり、別の空間と言いますか、縦位置にあります。

ここにも実は隠れた選択肢があるということです。しかしながら、ふたつの構造の悩みに陥っている人には、それが見えません。

→ 〇 ● ←

ここでの矢印は、たとえ、別の方向であったとしても、〇と●と同じ並列の位置から見ているので、この人には、〇か●(逆方向だと●か〇、どちらにしても同じこと)しか選択肢が見えないのです。

けれども、※印の視点になれば、〇か●は、質として、同じ選択に見えてきます。言ってみれば、どちらも同じ、あるいは、どちらでもないみたいな感覚です。

右の人(道)がよいのか左の人(道)がよいのかとずっと悩んできて、ある日、ふと、どちらの人でもないんだとか、自分一人でもできる(一人でもいい)んじゃないかと気づくようなことです。

道の例えをしましたので、それをさらに使わせてもらうと、ある人が、道を進んで行くと、やがて左と右に分かれている分岐点に来たとします。

そして、自分の道は左に行けばよいのか? 右に行けばよいのか? と悩んでしまいます。目的地に行くためには、どちらかの道しかこの人には見えないので、悩むわけです。

ここに立体次元を導入します。そうですね、ヘリコプターでも登場させましょうか。(笑)

ヘリコプターがやってきて、びっくりしている間に乗れと言われて乗り込むと、ヘリは空に舞い上がりました。その人が上空から下を見ますと、右の道も左の道も、最終的には同じ場所につながっているのが見えました。

あるいは、右と左の道が、それぞれ別々の方向に進むのが見えても、広大な範囲で言えば、遠回りになっても、ほかの道にも続いていて、やがて目的地には必ず着くというのがわかります。(巨大な地図で見るようなもの)

もちろん、有限な時間(と場所)の中では、効率よく選択しなければならないという制約はあります。すると、右(あるいは左)でなければならなかったという理由も出ます。

しかしそれとても、そもそも論までになりますと、あなたがなぜその目的地に行かねばならないと思っているのか?ということに行き着き、ここにも二者構造の問題が出てきて、違う視点(可能性)に導かれるきっかけが出ます。

さて、ヘリコプターも、ある意味ではです。上空の道とでも言いましょうか。

これは、先ほど述べた「同じ並列の間(世界)」では、絶対出て来ない(見えてこない)道です。

つまり、次元やレベルが同じ位置にあると、悩みからはなかなか出られないということです。出られるにしても、結局、同じ次元の選択肢を無理矢理選ぶか、限定された時空間での効率選択になる場合がほとんどです。(そしてそれは錯覚の出口でもあります)

限定された時空間の効率選択とは、言い換えれば、お金とかモノのあるなし、三次元的(物質)損得、あるいは感情・欲求(低次人間性)をただ満たすような選択基準になるということてす。

現実・三次元感覚で多くの人が生きている限り、実際に仕事などの納期、効率性などにおいて、同じレベルの間で、限定された時空間の効率選択をしなければならないシーンは確かにあります。それはそれでいいと思います。

しかし、すごく悩んでしまうものについては、その効率性や損得的な見方をしていると、同じレベルでの選択肢しか見えて来ないので、次元やレベルを超えた選択肢・方法の視点を獲得することができにくくなります。

新しい視点を獲得するということは、つまりは次元の上昇を意味しますから、あなた自身が新たにシフトを起こし、まったく問題や解決の意味合い・視点も変わり、今まで気づけなかった資源、選択肢が多数出現し、生き方は今までより、とても楽になるはずなのです。

こうした縦の新たな次元・視点をもたらす構造は、マルセイユタロットで頻繁に描かれていることであり、特に、「恋人」や「運命の輪」には顕著です。

このような視点の必要性は、個人だけではなく、今、世界で起きている問題についても言えます。

今までの経験や知識に頼れば頼るほど、同じレベルの間での選択肢しか見えません。脱出や解決法が皆目わからないみたいなものです。

本当に買い物に今走らねばならないのか?、買うにしても、思っているもの以外で、代用したり、生きる糧にしたりできるものはないだろうか?

これまでと同じ生活、生き方をトレース・イメージすればするほど、不足におびえ、恐怖と不安は増します。

生き方をシフトしていく勇気と気概、そして月並みに聞こえかもしれませんが、本当に「」(他人愛だけではなく、まずは、エゴではない本当の意味の自己への愛)が試されてくるでしょう。

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