「勇気」のカード

タロットカードの勉強において、意味を覚える作業は、どうしても出てきます。

ただ、一枚のカードがひとつの意味(言葉)を成すのではなく、言葉・単語としては、多くのものを思い浮かべることができます。

それは、タロットの図像が象徴でできている(象徴という機能がある)ためです。

カードの意味を覚えるとしても、それはあくまで、そのカードの象徴(本当の意味)を理解するための導入に過ぎす、象徴を言語化するためのきっかけなのです。

それがわかっていないと、カード→意味の方向が逆になって、意味→カードとなり、その意味はそのカードでしか表せないという誤解・妄信に陥ります。

さて、今日は「勇気」という言葉と、タロットカードとの関係について考えたいと思います。

最初になぜ、カードの意味を覚える際の注意点について書いたのかと言えば、この「勇気」という言葉・意味においても、あるカード一枚がそれを表すだけではなく、ほかのカードにおいても「勇気」の意味を見出すことができるからなのです。

マルセイユタロット的に考えた場合、「勇気」の意味があるものとして想像できる代表のカードと言えば「」かもしれません。

「力」は、その絵柄の通り、女性がライオン(子ライオンではなく、ちゃんとたてがみのある雄の大人ライオンです)を抑えているように見え、それはかなり勇気のいることだと想像できます。

本当のところは、この「力」の女性は、別に必死の決意で勇気をもってライオンに対しているのではなく、ライオンを御せるほどの「フォース」を扱うことができるからなのですが、タロットは見た目からの意味合いもあるので、「勇気」を「力」から読み取ってもよいでしょう。(実は、深くには、別の意味で勇気だと考えられることもあるのですが、それは秘伝的なことに関係しますので、ここでは言いません)

しかし、何も「力」だけが「勇気」意味するとは限りません。

例えば、「戦車」や「13」、「神の家」とか、その他のカードでも、考えようによっては勇気の意味合いを取ることも可能です。「悪魔」でさえ、神に逆らうサタン的なことでは、勇気あるとも言えなくはないです。

究極的には、どのカードでもそれ「勇気」を見つけ出すことはできます。

とは言え、やはり、前進性、特にマルセイユタロットの場合は、カード人物の向いている方向性にも意味を持ちますので、どちらかと言えば、右向きのカードにそれを思うことができるでしょう。

となりますと、具体的には、「愚者」「女帝」「法皇」「力」「13」ということになるでしょうか。

ただ、さきほど述べたように、前進性を示すもので言えば、「戦車」も左向きとはいえ、馬車に乗って戦いに勝利している人物がいるので、例外的にあげられるかもしれません。

右向きのカード、上記5枚のうち、「女帝」と「法皇」は、ちょっと勇気をイメージしにくい対象かもしれません。

それでも、あえて、それぞれから勇気を取るとなりますと、「女帝」は創造性に関係することで、やはりクリエイトすることには、それまでの既成概念を打ち破り、斬新なアイデアを生み出し、提供するということでは、勇気が求められることがあると考えられます。

アイデアや発想を思いついても、それをすぐ引っ込めてしまうのではなく、新しいことを創造していくには、勇気をもって、それを提示していくことが必要だと言えそうです。

また「法皇」は、教育者も表しますが、教育していく人、何かを伝えていく人にとっては、これも時には権力とか体制、支配者に対して、一言持っておかないとならず、勇気をもって諫めたり、悪い方向性や後退的に向かう状況の場合、勇気をふるって、それを打破する教え、伝達をしていくことが重要となるでしょう。

「力」はすでに述べた通り、一番「勇気」を象徴しそうなカードですし、「愚者」と「13」も、その姿勢を見れば、次に移行し、従来の世界から新規な世界へと新たに歩みを進めている状態が見て取れ、そこには勇気というものが後押ししている、あるいは、勇気ある態度でないと次へ行けないと思うこともできます。

改革など、古いものや固定してしまったものを破壊して、新しくするための勇気もありますが、一方では、大事な人やものを守ったり、正しいと思うことを主張したりするような保守的な勇気もあります。

その場合、女性的なカードや、動きの少ないカード、右向きのカードたちが現れ、先述した改革的な前進性のあるカードたちと一緒に出ることで、保守的な勇気というものを意味させることもあるでしょう。

それから、「愚者」のカードと関係しますが、無謀さと勇気はまた別だということです。

「愚者」は、ある意味、勇気があるから「愚者」でいられるとも考えられますが、本来的には名前のように、愚か者に見えるような、意外性と言いますか、普通の常識人からすれば異質性がある人物です。

もし「愚者」が問題性として現れれば、それは勇気ではなく、無謀ということが示唆されてくるでしょう。

「愚者」本人は、実は勇気とか無謀とかなど意識せず、ただしたいことをするみたいな、何ものにも束縛や規定のされない人、あるいはそういうエネルギーを示すのですが、「愚者」を見る人物、「愚者」と関係する側の者たちからすれば、「愚者」が無謀に見えたり、勇気ある人物とみなされることになるのです。

つまりは、意味付けているのは、見ているこちら側、(この見ている側とは、一般的客観的視点という意味と、カードを実際に見ているタロットリーダーとかクライアントという意味のいくつかの層があります)ということもあるのです。

このように、カードには、それ(カード)そのものの意味と、カードで表されるような人物や事柄と対する側の反応の意味みたいなものも含まれます。

こうした双方向の意味合いを意識することは、普通のタロット学習では少ないですが、高度になれば、そうしたことも考慮しておくと深い洞察がカードからできるようになります。

あと、ちょっと話は変わりますが、自分にとって勇気を出さねばならい時が、意外にわかりづらいことがありますよね。

または、勇気を出さねばならないと時とわかってはいても、なかなか踏み出せない場合もあります。

こういう時は、自分だけで考えていると、なかなか結論が出しにくく、勇気を出すタイミングが遅れたり、勇気を出さなくても本当はいいところで、出してしまったりということもあります。

要は、勇気への判断がつかみづらいわけです。

ですから、タロットの出番なのです。

タロットカードを引くことで、勇気を出す時なのかどうか、そして出しにくい時は、その要因は何か?(この分析には、小アルカナが特に役立ちます)ということがわかりやすくなります。

カードというツールがあるために、自だけではわかりつらいこと、目に見えない内的なことなど、カードによって外側に表現することができ、自己のことでも客観的に見たり、絵であることで具体的・視覚的にとらえたりすることが可能です。

「勇気」と一口に言っても、今見て来たように、カードで象徴化すれば、たくさんの種類があることがわかります。

同時に、勇気の度合いも、人によって異なります。

ある人にとっては、簡単で勇気がいらないことでも、別の人にとっては、大変勇気のいることもあるわけです。

こういう個別性に対しても、マルセイユタロットは応えて(答えて)くれ、あなたにとって、今勇気が必要なのか、そうではないのか、どんな種類の勇気がいるのかなど、示してくれるのです。

混沌としている今の時代、全体的にも、一人一人においても、勇気がより必要になってきたのではないかと思います。

あなた自身の勇気を、タロットカードとともに見つめ、発揮していくことで、あなたの自身の新しい世界を創造していくことができるのです。

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