終わっていないものを終わらせる

先日、アニメ界最大のこじらせ案件(笑)とも考えられる「エヴァンゲリオン」(作品によって表記が微妙に異なるのですが)の映画、完結編を見てきました。

内容はネタバレになるので、ここではふれませんが、一般的には好評のようです。

まあ、この映画の個人的な評価はともかくとしまして、先述したように、多くのアニメファンを悩まし、四半世紀にもわたって大量の一般評論家、論客たちを誕生させ、同時こじらせてしまった作品が、とにもかくにも終わりを迎えたというその事実は大きいかと思います。

私自身はアニメ好きであっても、エヴァにはまったり、あまりこじらせたりすることはなかったのですが(あえて放置させていたところもありますが)、むしろ、タロットをやるようになってから、聖書をモチーフに、その散りばめられた秘教的な言葉と設定の暗号群が、非常に気になっていたこともありました。

この作品は、言わば、知識を得れば得るほど、自らで難解化してしまうという、面白い束縛構造を持っていたと言えます。まあそれだけ、この作品の生みの親である庵野氏の知識オタクぶりがすごいということでもありますが。

タロット(マルセイユタロット)的にも、とても面白い作品なのですが、その関連はまたの機会にするといたしましして、今日は、エヴァの終わりということで、完結をテーマとする内容です。

タロットリーディングを行っていると、終わっていないことが問題・テーマになっていることが読み取れることがあります。

それも、事象としての事実は終わっているのですが、心理的・内面的には終わっていないということが、特に問題性として出ます。

客観的には終わっているけれども、主観的には終わっていないものと言い換えてもよいでしょう。

ということは、タロットカードの展開における過去のパート(もしその展開法に「過去」という時系列を表すものがあるとすれば、ですが)が重要になってくるということです。

人には、自分自身も気づいていない、無意識や潜在意識的な情報・データがたくさんあると考えられます。

それらにはよいこともあれば、悪いこともあります(究極的にはいいも悪いもないのですが)。

もしそれらのデータのうちで、今の自分自身を苦しめたり、ブロックとして物事をスムースに行かなくさせるパターンのようなものがあるのなら、それは解除しておくとよいわけです。

解除しなくても、認識させること(そのことを知ること、意識化すること、納得できる理由付けをすること)でOKな場合もあります。

心理療法家の多くは、このことを行っているわけです。

このようなデータ・情報の中に、終わっていないことによる苦しみ・葛藤・不安・気持ち悪さ・違和感というものがあります。

その終わっていないことは、事件としては、いろいろ考えられます。多いのは恋愛、仕事でしょうか。また幼少期の様々な事柄ということも結構あります。

自分の恋が終わっていない、自分の仕事が終わっていない、家族のイベントが終わっていない・・・まあ、それ自体(事件)は人により、様々です。

大事なのは、事柄(起こった事件そのもの)ではなく、それに対する自分の感情、意味付け(認識)です。

それが何であれ、とにかく自分の内には、終わっていないという意識、気持ちが続いているのです。

終わっていないのですから、今もって継続中であり、ずっとそれが裏の意識、自分の内の意識していない別世界で動き続けていることになります。エネルギーもただ漏れです。(笑)

人間というのは自己再生力とか自己治癒力があり、そのため、このいわば未完了の状態・気持ちを何とかしようと、折に触れて、「完了してくださいよ」という警告、メッセージを出してきます。

もっと言えば、未完了なものを完結させるための環境・事件が用意されると言ってもいいです。ここでは「される」と言いましたが、無意識的には、自分がしている、「する」という言い方をしてもいいのです。

ということで、それは今の「問題」として発生したかのような形を取ります。

まあ、平たく言えば、避けていたことに向き合うタイミングが来た、処理し、終わらせる時が来たという知らせです。

それを放置したり、うまく処理できなかったりすると、また未完了事件として残り、次の機会を待つことになります。

だいたいは、ループ状態として経験されていくのですが、そのことに、多くの人は自覚できません。

本当はこのループ構造自体がとてつもない罠になっていて、霊的な意味合いがあるのですが、今は心理的なレベルにあえて落とし込んで説明しています。

ということで、マルセイユタロットにおいては、完了を示唆するカードとして、特に指摘するとすれば、名前のない「13」が代表的であり、ほかにはサイクルの完結と始まりを示す「運命の輪」、再生的新生とも言える「審判」、それらの前兆や低次選択事件として起こる「恋人」、高いレベルでの見地から、達成と始まり、あるいはそのプロセスを示す「神の家」、大アルカナナンバー最大でもっとも数の大きい、まさに大いなる完成を示す「世界」などが挙げられます。

その他、水に流す意味での「星」とか、移行エネルギーそのものを表す「愚者」、征服、克服を意味する「戦車」など、見方によっては大アルカナのほとんどが完結性の意味を取ることが可能です。

しかし、やはり、最初に挙げたカードたちが出るのが、その意味合いとして顕著と言えましょう。

終わらせるためには、今回のエヴァゲリオンの映画でもやっていたことですが、儀式と自らへの(これまでへの)祝福が必要となります。それには従来の見方の反転的観点もいります。(「吊るし」とも言えます)

カモワン・ホドロフスキー版マルセイユタロットの製作者の一人で、映画監督・セラピストてもあるアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、自らの映画作品においても、そして、セラピーとしてのサイコマジック技法においても、未完了のものを完了させていく儀式を行っています。

マルセイユタロットは、一種の儀式的ツールでもあるので、タロットリーディングという行為そのものが、一種の儀式となっているのです。

葬送儀礼をすることが葬式であり、それによって死者の魂は、自らが死んだこと、生が完結したことを知り、生きている側は、亡くなった人が、まさに故人となったことを認識します。

たとえ死者とか魂のことはわからなくても、少なくとも、生きている現実の人々にとっては、葬式によって、死・終わりを認識する区切りにはなります。

ただ単に亡くなったというのではなく、式典によって、死者を弔うわけで、言ってみれば、これまで生きた方への慰労と敬意、死の世界への旅立ちの祝福でもあります。

これと同様、葬式をされていない、自分の中にまだ死にきれない亡者として彷徨ってい感情があると見るのです。

きちんと弔い、葬ってあげないと、その感情はゾンビ化して(笑)、自分を苦しめます。

エヴァンゲリオンでも、こじらせてしまった人の精神の残骸が大量に彷徨っていたのでしょう。(苦笑)

それに終わりをもたらせたのが、2021年の今回の劇場版だったということです。比較的好意的に今回の作品が受け取られているのも、そういう人たちにとっては、本当の意味で、エワンゲリウム、福音となったということだからでしょう。

そこからしても、マルセイユタロットにおいては、「13」(完了・終わり)によって、「審判」に浮上するような(福音を受け取る、新たに再生する)構造を見ることができるのです。

日本語の言葉で単純化すれば、それは、「さようなら」そして「ありがとう」(「ありがとう」そして「さようなら」でもある)と言えるものでしょう。

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