あるテレビドラマで

俳優の田村正和氏が永眠されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

田村氏と言えば、私の中では、意外にコメディタッチのドラマのほうが印象深く、言わずと知れた「古畑任三郎」は有名ですが、他局系列のテレビドラマでは、「パパはニュースキャスター」など、そういうちょっとコメディ系の役を演じられていたのを覚えています。

同系列のその他では、「うちの子にかぎって…」というドラマで先生役もされていました。

そのことで思い出したことがあります。

そのドラマの第二期だったと思いますが、ある一話がとてもすばらしく、見たあと、当時大学生であった私は、高校時代の友人(よくドラマとか映画の話をしていました)に、ちょっと興奮気味に(笑)、それを語っていました。

とは言え、今となっては、内容をほとんど忘れていまして、タイトルにインパクトがあったので、うっすらとした記憶を頼りに、ネットで検索して調べてみました。今は便利な時代で、ネットのおかげで、その内容を改めて思い出すことができました。

やはり第二期だったようで、その話は、第9話「転校少女にナニが起こったか?」でした。

タイトル自体は、確か、同じTBS系のドラマのふたつを掛け合わせたような、遊びタイトルだったと思いますが、ともかく、題名の通り、女の子が転校してくる話でした。

今思うと、アニメとか映画でよくあるような、パターン・お約束とも言える話なのですが、舞台である東京の小学校のクラス(小学校)に、ある日、北海道から女の子が転校してきます。

その子と北海道にいた頃知り合いだったクラスの男の子(その時は忘れていて、あとで思い出す)がいて、その女の子と不思議ともいえる体験をします。女の子は、わずかの期間でまた転校してしまい、男の子はショックを受けるのですが、実は、その男の子以外、誰も転校してきた女の子のことは記憶にないという、現実なのか夢なのか、わからないような結末の話になっています。

まるで大林宣彦監督の「時をかける少女」の逆バージョンみたいでもあり(学校の理科の実験室など登場しますし、おそらくかなり意識されていたと想像、そういえばこのドラマと同じ年には、大林監督の「さびしんぼう」も公開されていました)、全体的には、往年のNHK少年ドラマシリーズ(私はこのシリーズがとても好きでした)の雰囲気もありました。

田村正和氏は、そのクラスの担任の先生を演じていて、男の子から不思議な体験をしたことを話されますが、きちんと話を聞いたうえで、「先生もそういうことはある、一瞬だけど長い時間を経験したかのような夢を見ることがあるらしい」というようなことを話されていたように思います。まあ、生徒の話を否定もせず、かといって完全に信じるわけでもなくという、よい教科書的な対応といえば対応ですよね。

ドラマでは少年の夢だったのではないかという感じの演出があり、例えば、現実には夏の話なのに、女の子と会っている時は、冬の雪が降っているシーン(東京なのに北海道的になっている)になるなど、明らかに演出意図として、現実の世界と想像の世界との区別をしていたように見えます。

しかし少年と少女は、同じ傷をつけ合うというシーンがあり、女の子がいなくなったあとに男の子は、自分の指に血が流れているのに気づくことで、「やっぱりあれは本当のことだったんだ」とつぶやく場面がありました。

この同じ傷という、一種の合言葉や鍵のようなものが演出されていたのが心にくいです。(現実と夢の世界を行き来するための鍵と考えられます。それが「傷」であることに、とても深いものを感じます)

私たちは、誰でもというわけではないですが、ファンタジー好きな人や夢見がちな人、あるいは普通の人でも、何かとても苦しい状況に置かれていたり、自分が消えてしまいたいような目に遭っていたりすると、別の世界に逃避しようとします。

よい言い方をすれば避難でもあり、ある種の別次元の創造、あるいは転送・シフトと言ってもよいです。

スピリチュアル系でも、この世界は幾つもの次元、平行世界、多世界が重なって存在し、自分の波動や周波数、選択意図によって、そういった別次元・ほかの宇宙を旅する(移動する)と考える人もいます。

その場合、現状とはまるで違う異次元のようなところにジャンプしてしまうのではなく、たいていは、ほとんど今いる世界と似たような感じの世界で、少しだけ違う世界に、まずは移ると言われます。

それはあまりに違う宇宙・次元だと、その差が大きく、さすがに無理があるということだからでしょう。大きな川や海を渡るには、小刻みに島を通って行ったほうが行きやすく、安全でもあるからとも言えます。

ちなみにUFOは、この次元転移を可能している乗り物という説があります。

それはともかく、田村氏演じた先生の言葉ではないですが、長時間と思えた間が一瞬だっというような時間感覚の狂いとか、実際とは似てはいても、ちょっと違う幻のような世界に、意識が飛んでしまうようなこともあるのだと思え、それは現実的に考えますと、先述したように心理的な逃避、あるいは自分を守りたい強い気持ちが働いていたからではないかと推察されます。

このドラマの男の子は、おそらくクラスの中では平凡な存在で、毎日が特別に沸き立つ時間ではなかったのでしょう。

そういう退屈な日常的なところに、非日常的な特別体験を欲する気持ちが生じ、それは裏を返すと、自分を認めてほしい、自分の生活が単調で、面白くない(自分が生きていない、もっと言うと死んでいる)ものだと(自覚はなくても)思っていたのかもしれません。

その気持ちが、ついに、かつて幼馴染で仲良かった女の子が転校してくるという白昼夢のような体験を創造(想像)させ、自分が特別であること、この世界(しかし現実というより男の子の創った世界のほうですが)に自分は必要で、求められている、つまりは生きていてよいということを確認したい気持ちにつながっていたのだと推測します。

つまり、転校してきた女の子は、男の子にとっての女神であり、自分を生み出し、無条件的に愛を注ぐ母的な役割(自分の存在と価値を認めてくれる女性)で、もっと言うと、彼自身でもあるのです。

すると、私には「世界」のカードと「吊るし」のカードとの関係が浮かびます

このドラマの男の子ではありませんが、もしかすると、私たちは、いつもある世界(自分の見ている世界、体験している世界)を創り上げているのかもしれません。今あなたが現実だと思う世界さえも、創造され、破壊され、変化され、また作り直されている可能性もあります。

また多くの人は、実際に、睡眠中に夢を見ることで、このような異世界体験、別次元創造と転移を経験していると言えます。

私自身、実は小学生の時に好きだった女の子が、成長してきて、その子と少し会話することで、気づきを得るというような夢を見たことがあります。

この夢は、皮肉にも、癒しを与えてくれるというより、学びになると言ったほうがよく、まさにほろ苦い感じで、その夢のあと起きてしまいましたが(笑)。これなど、初恋の相手を材料にして、内的に自分との語らいをしているとも言えます。

ということで、現実逃避も悪いことではないですし、しかし、自分の都合のよい異世界ばかりを創り上げて、そこに居座ってしまうと、それはそれで問題となることもあるでしょう。タロットで言えば、ひとつところに固執しない、旅する「愚者」意識がいいのではないかと思います。

現実の世界は本当に現実なのか?、そして現実を創り上げている重要素は時間と空間と言われるように、そのふたつにあると考えられ、その中で「時間」に着目すると、空想のような世界に行っている時間というのは、現実の(流れる)時間とは違っており、私たちの固定観念としての時間(現実と思っている時間、現実での時間)に揺らぎや破壊(変容)を生じさせるのではないかという気がします。

ドラマで男の子の経験したことは、ファンタジーで、ただ夢を見ていたとか、妄想していたとか、心理的な防衛の世界に耽溺(埋没)していたと考えるのは普通ですが、一方で、私たちに、現実を超えた世界、霊的な次元というテーマを想起させ、もしも現実が牢獄(私たち自身が作っているもの)であるならば、そこからの脱出を示唆するものとして見ることもできるのではないかと思います。

それはこれからの時代にこそ、実は重要になってくるのだと感じさせます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top