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タロットの非合理性

女性の方は気軽にタロットに接してもらえることが多いのですが、男性の方は占いというイメージで毛嫌いされていらっしゃるのか、なかなか入り口から困難です。


そんな中でも数少ない?貴重な男性諸氏がタロットを習いにやってきます。


教室ではもちろん少数派です。めちゃくちゃ少数派です。いじられキャラの人は間違いなく、お姉様方から愛あるツッコミを受けるでしょう。関西ですから、それも半端なものではありません。(笑) まあ、それがうれしい人もいらっしゃるかもしれませんが。(^_^;)


冗談はさておき、



男性でタロットリーディングを行う時に多いのは「硬直」です。


展開されたタロットを前にして、まさに固まってしまうのです。それまでほかのお話を気軽にされていたのに、タロットが展開されたとたん、突然冷凍室に放り込まれたマグロ状態に変化します。


「もしもし、どうされましたか?」


「いえ、読み方はさきぼとの講義で頭ではわかっているんですが・・・いざ展開を目の前にしてみると全然わからなくて・・・」


これをほうっておくとですね、たいていテキストとか、キーワードを書いたプリントなどカンニング(笑)されるわけです。(練習前に見ないように言っておいても)


何もこれは男性に限ったことではないのですよ。女性でもあります。


なぜこのようなことが起きるのでしょうか。


それは普段から論理思考が強い男性(あるいはそういった傾向の女性)は、左脳的にタロットをとらえようとして脳内回路がショートするんですね。


つまり理屈でタロットをリーディングしようとしているのです。


ここが肝心なところなのですが、タロットはもともと私たちの暮らしている世界や社会の常識からは、非合理、非論理的なものなのです。


「ナルト」ではありませんが、タロットは「右を向きつつ、左を見ろ」と言われるようなものです。(すみません、漫画ネタで) 


まあ、ナルト君は影分身という術で、自分の分身の三人目を出すことでこの問題を解決したわけですが、要はタロットはこの影分身三人目という発想を促すものだということです。


しかし、いつも現実社会で合理的思考で生きている人には、そこに常識としての理屈が通らないとわけがわからなくなるのです。


例えば「13」「手品師」というカードが並んだとします。それぞれ意味的に「変化」や「仕事」と単純にキーワード的に覚えてしまっていると、仕事を変えたほうがよいのだなと頭(理屈)で理解しようとします。


けれども問いを発した当人は、「仕事は順調で変えたいとも思っていない」と答えたとします。(自分リーディングの場合は、自分がそう思っていたとします)

もうそうなると、そこで普段の自分の理屈を超えてしまう(「変えたくないのに、変えろ」と出ているタロットとの矛盾で合理性や整合性がわからなくなってしまう)ので、硬直するしかないのです。


このような人は、とにかく力を抜いて、タロットの絵柄に意識を集中してみるとよいでしょう。タロットの声に耳を傾ける無心な状態になってみます。


タロットがどんな風な動きや感じとして伝わってくるか。


そうすると、もしかすると、上記の例(「13」と「手品師」)でいえば、「13」は困っている人のように見えてきて、何か訴えている気がしてきたとします。隣の「手品師」も誰か人物に見えてくるかもしれません。

(タロット画像を見たい人はカモワン氏のサイト でご覧ください。「手品師」は一番下の段左から二番目、「13」は中段右から二番目のカードです)


ここから「自分はいいかもしれないが、誰か職場で困っている人、やり方を変えたいとか思っている人がいるのかも」という発想が浮かびます。最初の言葉だけに頼ったものとはまったく違う内容になってきています。


そのことを、問いをした人に確認して、思い当たることがあれば、タロットはそれを示唆しているととれます。思い当たらなくても、表面的に気付いていないだけで、そのようなことが隠れている可能性もあります。


つまり、タロットは「象徴」なのでそれ自体に何重もの意味があり、それが重なってとらえられることにより、時には矛盾として感じられることもあるということです。非合理性なのはいわば錯覚に近いものです。


重なりをほどけないのは、普段の凝り固まった日常意識があるからともいえます。


そういう意味で、タロットは頭を柔らかくするのには大変いい訓練になります。(何より、私自身がそうでした) 


なお、「硬直」するのには、まだほかの理由があります。それについてはまた別の機会で語らせてもらいたいと思います。


うつや神経症と感情の起伏

うつや神経的に参ってきますと、やはり精神状態が普通と異なってきます。


私はうつと不安神経症を併発していましたので、特に不安や依存心が通常の何倍増しかのような状態になりました。


よく、うつの人は感情があまり働かないとか、考えるのもおっくうになると言いますが、それは完全にうつに移行した時のことで、まだ自分でも半信半疑の初期の頃は、逆に感情の起伏が激しくなることがあるようです。 


やたらと涙が出てくる、ちょっとしたことで感動しすぎる、わけもなく悲しくなる、異常に怒りがこみ上げてくる、人を好きになりたくて仕方がない、友達といつまでも一緒にいたい気持ちになる、人と別れる時に非常に寂しさが増す・・・


このような症状が現れてきた時は、少し気をつけたほうがよいでしょう。


もちろん、ただの感傷ということも大いにありますが、上記のことに加えて、眠りにくい、早朝に目が覚める、起きあがるのも面倒なほど出勤がかなりつらい、などのことがありますと、やはり心の健康状態を疑ったほうがよいように思います。


うつになりますと、自分の弱いところを拡大されているような気持ちとなります。


人は誰しも「自分はちょっとこういう点でダメなところがある」と思っていても、すぐ別のことを考えたり、あまりずっと気にしたりすることはありません。


ところがうつや神経症になってきますと、そのことが妙に肥大化し、自分のよいところや楽観的に見ようとする気持ちが削られ、「私はこれこれがあるからダメだ」となり、さらには「これこれでダメな私は生きる価値もない」とすら思ってしまうことにもなるのです。


また様々な場面で極端さが増し、決定や選択を急ごうとあせります。恋愛は結婚を望んだり、相手に依存します。仕事は退職や転職などかなり極端なことを思います。


これらはすべて、心の均衡を失って自分の弱さやマイナス面ばかり強調させられているからです。


自分一人ではもちろん大変ですし、正常な判断ができにくくなります。


初期症状の時は友人や家族などに相談しがちですが、彼らも一般人ですから、話を聞いたり対応しているだけでかなり疲労します。自分がバランスを欠いていますので、相手にその分、どうしても負担がかかってしまうからです。


ですから先述したような症状が出ていたり、どうもおかしいなと感じたら、早めに専門医やカウンセラーに相談すべきです。


早期の分だけ、きちんと対処すれば治るのもそれだけ早いと思います。


仕事などで休みにくいところもあるでしょう。でも仕事での代わりはいても、あなた自身の代わりはいません。あなたの人生は、あなたという主人公がちゃんといないと成り立たないのです。自分を大切にしましょう。


※ここで述べていることは、経験に基づくものではありますが、医学的なこととは無関係に書いています。一個人の体験談としてお読みください。


考えすぎる人のために

私もそうなのですが、何かを考えすぎる傾向の人がいます。


考えること自体は悪くはないですよ。そうやって思考を繰り返し、人類はまさに試行錯誤(笑)の結果、進歩して来たのだと思えますから。


思考しないと、簡単にマインドコントロールされてしまう危険性もあります。


ただ、何事もやり過ぎはまずいです。


そういう人には、本当に、ツベコベいわず体験してみることがいいんですね。


たとえば趣味に山登りを検討している人がいたとします。


考えすぎる傾向の人は、いちいち形や調べ物から入ります。


「装備はどんなものをそろえなければいけないのだろう?」「この年で大丈夫かな?」「近くに登れる山があるのだろうか?」など、いろいろと気になって、結局チャレンジする機会を失っていくことになるのです。


だから「何も考えずに、即実行に移せばいいんだよ」ということは、今までも皆さん、アドバイスとしては聞いたことがあるでしょう。


そしてこういったことで機会を失うのは、心の奥に不安や、かつての失敗のトラウマがあるからで、それを浄化・解消しないといけないということも耳にしたことがあるかもしれません。


確かに深く考察していけばそのようなことが要因としてあげられるでしょうが、ここでは言及しません。


山登りの話に戻ります。


もし、くよくよと、山登りするかどうかで悩んでいるのなら、いっそのこと違うアプローチで実際に山に登ってしまうのです。


この人の場合(あくまで仮の例ですが)、「山登りとはこういうものだ」「山登り=健康づくり」みたいな固定したイメージがおそらくあり、どうも「山登り」を「苦行」や「修行」としてとらえているのでしょうね。


ですから、足でコツコツと山に登るのではなく、いきなりヘリコプターやケーブルカー、ロープウェイなどで頂上に登ってしまうのです。


そこから見る景色のすばらしさを味わいながら、「もし、ここまで自分の足で登ってこれたらすごいだろうな」というように、達成感をイメージします。


つまり、成功や天国気分を先に便宜的に経験するようなものです。


自分の足で登るのが大変だと思うのならば、そうやって観光登山?みたいなことを繰り返してもよいわけです。


いつしか、別の意味で登山が趣味になるかもしれませんし、頂上へ行った気分をほかの形でもっと大きく味わいたいために、自らで登る本当の登山を始めることになるかもしれません。


登山を例に出しましたが、ほかのケースでも当てはめることはできます。


目標までの過程をすっとばして、目標状態を先に体験してしまうということですね。(物理的にできないものもありますが、心理的には似たようなことは可能でしょう)


なんだかちょっと麻薬ぽいやり方ですが。もちろん合法です(笑)。


一方、いつも何も考えずにつっこんで行く人も注意です。先の例えでいいますと、ヘリコプターばかり使って楽しんでいたら、ヘリコプター代がかさんで、お金がなくなった・・・みたいなものです。(笑)


これらをタロットでいえば「愚者」「隠者」で説明することができます。


何も考えない人は「愚者」、考えすぎる人は「隠者」といえます。(ともに問題の時はカードは逆向きです)

だからこのカード同士はペアで向き合うことが可能であり、それぞれがお互いをカバーしあえるのです。


とはいえ、だいたい相談に来られる人は「隠者」に偏る傾向が強く、人生は基本、「愚者」の姿勢でいたほうがラッキーでスムースに行くケースが多いと感じます。


ホント、皆さん、もっと気楽に行ってもいいんじゃないでしょうか。


タロットカードの「悪魔」は個性を培う。

タロットの講座をしていますと、最初に多くの受講生の方に嫌われがちのカードがあります。


その代表的なものが「13」であり、「悪魔」です。


このふたつのカードにあるテーマを理解し、昇華していくことで、絶大な力を得ることができるのですが、私もまだまだです。(苦笑)


それでも嫌いなことはありません。このブログで何度も言っていますように、カモワン版マルセイユタロットにおいて、ノーマルな状態ではすべてカードはポジティブであり、もっといえばよいも悪いもなく、それぞれ単体でも統合されていますし、全体だとさらに大きな意味で完全を示すと私は考えています。



それはともかく、今日は「悪魔」について語ります。


「悪魔」にはいろいろな意味があるのですが、ここでは自分の得意なもの、良いところをのばしていく(つまりは「個性」)というような観点で話をします。


マルセイユタロットを見ますと、悪魔は二人の人物をひもで縛り、従えているように見えます。


一方、ひもでつながれた人物は、陶酔しているかのように悪魔を見上げています。


ここから、人気者とファン、カリスマと信奉者、影響を及ぼす者と及ぼされる者のような関係を示すとも考えられます。


そしてほとんどの人は、最初は後者の「つながれる者」なのです。


「自分に力がない」「自分のしたいことがわからない」「自分の特徴は何なのかはっきりとしない」・・・おそらく誰しもこのような気持ちを実感したことはあるでしょう。


「悪魔」のカードは、埋もれてしまっているあなたの才能や個性を実は開発してくれる(わからせてくれる)役割があるのです。


自分の方向性や良さがわからない、そういう時は、悪魔のような強烈な個性を放っているあこがれの人のマネをしたり、その人を研究してみることをカードは示唆しています。


はじめはファンからでもよく、あえてその人の影響を受け、つながれてみることでその人の雰囲気やオーラもわかりますし、個性の具体的な出し方など、技術的なことも「ひも」を通してあなたに入ってきます。


そうすると、あなたの中には「小さな悪魔」が生まれます。この小悪魔こそ、あなたの眠っている個性に火をつけるのです。


実は、個性といっても、その因子は全部の人に等しく存在していると考えられます。


その中で社会的な役割であったり、好みであったり、肉体的・環境的な要因からであったりして、刺激により「ある個性の因子」が特化・拡大します。それがまさにその人の「個性」として輝き出すのです。


悪魔はその個性因子を強化するものと想像できます。


いくつかのあなたのモデルとなる悪魔を見つけ、意識的につながることで複数の個性因子があなたの中で育ちはじめます。


いつしか、大悪魔に匹敵する個性として成長するかもしれませんし、それらが複合してあなたの新たな個性として誕生するかもしれません。


いずれにしても、その時あなたは、悪魔につながっている「ひも」を自らはずすことになります。それが悪魔からの卒業です。「悪魔」のカードにおける「ひも」が緩いのはそのためです。


よい悪魔は、ひもがはずされたことを喜びます。逆に悪い悪魔は、あなたにつけられているひもをキツクキツク縛ってきます。そうなると、あなたは窒息死してしまうでしょう。ただ真綿のような、ある意味気持ちのいい締め方なので(笑)、最後まで気がつかないおそれもあります。


とにかく大切なのは、個性が育ってきたと思ったら早めにひもをはずしていく自覚をすることです。いつまでも悪魔に依存していると、悪魔なしでは生きられない人生となってしまいます。


これをまさに意図をもって悪魔側からすることを、「洗脳」と言います。この場合、タロットは「悪魔」を逆向きとして登場させます。


結局本来の悪魔は、人々の個性や自己を強調させる役割があると考えられるでしょう。


もちろん行きすぎればそれば尊大さや傲慢、支配を生むもとにはなりますが、自信を持てない人や人生を楽しく生きられない人には、悪魔は恩恵的な存在と言っていいでしょう。


悪魔は人の楽しみやあこがれの源泉であり、また超えていくべき存在でもあります。だから悪魔は、自分のひもをはずしてもらうことも願っています。


ひもをはずすことが、あなたの人間として成長した証でもあるからです。


人間関係を見るのに適したタロット

カモワン版マルセイユタロットは、人間関係を見るのに適したカードだす。

おっと、いきなり打ち間違い・・・、もとい、人間関係を見るのに適したカードです。



マルセイユタロット自体、カードに描かれているのがほとんどが「人物」であり、中世西洋風ではありますが、シンプルに、誰が見ても「ああ、この絵はこういう人だろうな」とわかる絵になっているからです。


あまりにリアルすぎたり(リアルな顔を持つタロットは怖いか、ギャグになるでしょう(^_^;))、反対に抽象的すぎたりして、わけがわからないということもないのです。


そのあたりが数世紀にもわたって生き残り、東洋の日本でも違和感なく使われている要因でもあるのでしょう。


さらにカモワン版の場合、カードの人物の視線が非常に鋭く強調されて描かれています。


視線を送る時といえば、皆さんはどんな状況をイメージしますか。


相手のことが気になる、景色に感動している、文字や顔をはっきり確認したい、話を聞いて驚いている、あこがれている・・・いろいろとあるとは思いますが、共通しているのは、対象に向けて何らかの関心があるということです。


この関心には、好意もあれば敵意もあります。時には関心があっても、見たくないものには目をそらしてしまいます。視線とはこのように人の気持ちを示しているのです。


ここまで書いてくると、人物と視線がはっきり描かれているタロットカードが、なぜ人間関係を見るのに適しているのか、おおよそのことがわかってきたかと思います。


つまりこういうことです。


カードに実際の人間関係における人物を当てはめ、その視線の向きを見ることで、自分に関心(さきほども言いましたように、必ずしも好意だけではないことが重要)があるかどうか、逆に自分が本当はどこを見ているのかなどが明確に理解できるということなのです。


ただし、少し注意点があります。視線には強弱や度合いがあり、そこから関心の濃度、問題の大小なども考慮していく必要もあるのです。それを読み取らないと単純に「あの人は私を嫌っている」などと判断してしまいます。


また、「二人は両思いなのに、カードでは視線が合わない」ということも起きてきます。このようなケースでは、潜在的に二人の別離や行き違いが生じるのをおそれていることが多く、そのような心理がカードに反映されて登場することもあるのです。


本当にじっくり見たい場合は、カモワン式のスプレッドで複数のカードで観察しながら、問題があれば解決方法もカードで判断してくことが求められます。


それでも、数枚のシンプルな方法でカードの人物の視線を見ながら、人間関係を見ていくことはできます。その時は、あまり出た結果を重く受け止めるのでなく(特にネガティブ思考になりがちの人は)、客観的にあなたと相手の関係を見つめ直して見ましょうという、やや軽目の雰囲気で眺めてみることです。


お互いの視線が合っていないからと言って落胆したり、「やっぱり性が合わないのだわ」と思ったりするのではなく、出たカード同士のような関心の向き合い方のスタンスも面白いよ、という形で受け止めるのです。


さてさて、私がなぜ、この記事の最初の一文でしょーもないギャグから始めたのかといいますと、、実は今言ったことを述べるために、あえてやったのでした。(偶然もありましたが)。。。(笑)


ちょっと笑えるくらいの気持ちで、まずは人間関係を見てみましょうということです。


この方法は講座では最初の頃すぐに教えていますので、実際に活用するのにも早くできてお勧めです。



※もちろん本当に人間関係に悩んでいる人は苦しいですし、それはそれできちんとタロットで見て、解決に向けて行く方法もあります。


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