サッカーの想い出
Jリーグも開幕して、今年はW杯もありますし、またサッカーに注目しております。私は昔、小学校の時代、学校の部活動ではなく、当時では珍しい地域サッカークラブに所属しておりました。
まあ、私の貧弱な体を心配した父親が、厳しい野球チームでは無理なので、代わりにサッカーチームに入れさせたというのが実状です。サッカーだってもちろん貧弱では無理なのですが、地域にあった野球チームは、めちゃくちゃ厳しいと有名で、バットでお尻をたたかれるという噂もあって、私自身も敬遠したのです。もし入部していたら、一日も持たなかったでしょう。(笑) ということで、小学校2年生からサッカークラブに入団しました。でも、実際は日曜日の午前中だけという練習時間で、団地のお父様方のボランティアみたいな形で運営されていたものでしたから、半ば自分としては遊び感覚でもありました。
そんなこんなで、数年経ち、いつしか上級生になっていましたが、私は一向に上達せず、5年生になっても実質サブであり、6年生でレギュラーとサブの間みたいな微妙なとこまで行ってはいましたが、テクニックはへたくそでした。私たちが上級生になって教えてくれたのは、これまでのコーチとは雰囲気の違う、実業団のチームに入られていた(と記憶しています)小柄な若いコーチ(私たちは“コンマイ(小さいという方言)コーチ”と名付けていました)で、この方の指導は私たちにとっては衝撃的なものでした。
それまでは、どちらかといえばボールの蹴り方や扱い方が中心の練習がメインでしたが、このコンマイコーチは、フォーメーションの練習といって、今で言う「システム」の考え方を元にした実際の布陣を組んでのシミュレーションをよく行いました。それも繰り返ししつこいくらいにです。私たちにとっては、いきなりの高度な戦術練習みたいなものですから、驚いたと同時に、最初は「なんでこんなシミュレーションばかり何度も何度もやらされるのだろう」と疑問でもありました。しかし、この徹底したフォーメーション練習によって、日曜日の午前だけという圧倒的に少ない練習時間の中でも、われわれのチームはなんと、そこそこ地域で勝利することも可能になったのです。これには幼いながらも、「全体を見て戦う」ことの大切さを学んだ気がしたものです。
今ならわかるのですが、私たちは練習時間があまりに短いため、基礎的な個人技術の欠如と、身体的にも団地っ子が多く、ひ弱な部分がありました。そうした状況で、いかにほかの毎日放課後に練習しているようなゴツイ学校チームに対抗するのかを考えた場合、組織で戦っていくしかなかったのです。大げさな例えになりますが、98’仏W杯で初めて日本が出場した時、この技術、フィジカルで劣る日本が世界との強豪と戦っていくためには、組織で対抗するしかないだろうというのに似ていたとも言えます。実業団でサッカーを現役にされていて、実戦に即することのできたコンマイコーチの考え方も、まさにそこにあったのでしょう。実を言うと、たぶんここで練習させられたことによって生じた「俯瞰した物の見方」というものが、今のタロットの展開にも役立っているように感じることはあるのです。のちにサッカーに再び興味を抱くようになった際に、サッカーを単なるスポーツ見物のレベル以上に考えていくようになったのも、小学生時代のこの体験があるからなのかもしれません。コンマイコーチだけではなく、ここのクラブの団長さんも、「サッカーは紳士のスポーツであり、考え方に幅ができる」とよく主張されていました。小学生当時では意味はほとんどわからなかったのですが、大人になった今では、とてもよくおっしゃっていたことが理解できます。(もっとも、サッカー発祥の地イギリスでは、サッカーは労働者階級のスポーツとされていますが・・・実際は単純なスポーツであるのも確かですけども)
その後のコンマイコーチなのですが・・・悲しいお話なのですが、私が中学生の時、交通事故に遭遇され、命を落とされてしまいました。。。。突然の訃報で非常に衝撃を受けたことを覚えております。コンマイコーチは、とてもサッカーに情熱を燃やして、私たちを指導されていました。コンマイコーチの練習方法もそうですが、この方のサッカーへの人一倍の情熱と思いが、こうしていまだに、当時へたくそで戦力にもならなかったいち生徒のサッカー好きを支えているのも確かなことなのです。