昨日のサッカー代表戦を観て

昨日、サッカー日本代表の試合がありました。アジアカップ予選サウジアラビア戦でしたが、実に何年ぶりかの代表戦における爽快感を味わいました。


私はサッカーがとても好きですが、今年W杯もあったのに、このブログで長い間サッカーの話題にふれてこなかったのは、代表戦がつまらなくなったからです。トルシエ監督の時代、若いメンバーの抜擢と日本代表の世界への挑戦という道筋が見事に符合し、ダイナミックな躍動感にあふれ、2002年の自国開催W杯に向けて、まさに成長曲線を描くその軌跡にワクワクしたものでした。
ですが、ジーコ監督になって以来、メンバーの超固定、戦術と組織の見えない行き当たりばったりのようなサッカーに次第に代表戦における情熱を失い、むしろ見るのが苦痛になってきました。当初から、「このままでは、2006年W杯はとんでもないことになる・・・」と感じており、真剣に日本代表を応援できないつらい心境になっていましたが、実際、本当に本番で惨敗という結果に日本は終わってしまって、わびしさばかりがあとに残りました。メンバー的には黄金世代と呼ばれる技術的にも日本では高い選手たちがそろっていただけに、このメンバーでもっときちんと準備して大会を迎えることができたなら、どれだけ結果は違っていただろうかと思うと、悔しさもひとしおでした。いろいろな意見はあると思いますが、私個人としては、この4年間は監督を筆頭に指導者・管理者に恵まれなかった、日本代表にとっては悪夢のような失われた時代とも呼べるものだったと感じています。
そして、今年ドイツW杯後日本代表監督に就任したのは、当時ジェフを指揮していたオシム氏。就任の経過には多大の問題があったのですが、ともかくオシム氏は実績もある非常に知的な監督であり、期待感は高まりました。しかしながら、ドイツで惨敗し世代交代のまったく進んでいなかった日本をまた一から立て直して新生させていくのは、並大抵のことではないと推測され、やはりその通り、しばらくは“オシムジャパン”も形の見えない苦しいゲームが続いたように見えました。
しかし、昨日の試合です。特に選手にスタミナのあった前半は、なかなかすばらしく、4年間忘れていたかのようなチームとしての連動性ある動きと、流れの中から見事なゴールも生まれました。ボールを持った選手以外も次々と意図をもって走り出し、前の選手を追い越していき、パスがダイレクトにつながりながら、ゴール前に何人もの味方選手が飛び込んでいく・・・というような光景は、本当にかつての日本代表を見るかのように懐かしく、またとても爽快な気分になりました。まさに「そうだよ、これを待っていだんだ!」というような感覚です。チームとして戦うというのはこういうことなんだよなぁ・・・と実感しました。でもまあ、連動性を持つということは、実は基本のことではあると思うのですが、それが新鮮に感じてしまうところに、これまでの4年間の恐ろしさがあったわけです。
しかし、私は今までの4年間が決して全く無意味であったとは思っていません。確かに個人としての成長はあっても、チームとしての成長は感じられない期間だったとは感じますが、それでもそういうジグザグ、時にはマイナス方向とも思える曲線を描きながら、サッカーは成長していっているのだと信じます。思えば、アメリカW杯アジア最終予選で「ドーハの悲劇」と称されるロスタイムでの悪夢の失点がありました。その時点ではもう絶望的な気分になったものでしたが、それからその経験が生きて、いわゆる「ジョホールバルの奇跡」、フランスW杯出場決定につながったわけです。途中で様々に監督の就任・解任劇もありました。チーム状態も振り子のように揺れてきていたことでしょう。
そう、おそらくサッカーだけに限らず、人の人生も同様、その時は「なんてことしているんだろう」と思えるような時期があっても、それはそれで完璧な成長を描いているのかもしれません。運命論ではありませんが、たどるべき道や経験すべき事柄が予定調和的に人生の道筋として入っているのかもしれないのです。少なくとも人の歩みは他人がとやかく非難したり、批評したりできるものではなく、どんなに悪い状況に映ったとしても、やはりそれはそれでその人にとっては成長の道を完璧に進んでいるのであり、その本当の意図などは「神のみぞ知る」と申しますか、われわれ一介の人間にはわからないことだと私は思うのです。

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