自分の世界と他者
またまた、久しぶりの更新になってしまいました。。。えーと、私も人間なので、落ち込んだり、調子がいまいちの時もあったりします。
しばらく、ちょっとそういうタイミングに陥っていました。タロットをするようになって、ずいぶんと自分自身への尊重や自信も出るようになりましたが、以前の私はうつ病にもなったこともあるくらい、非常に落ち込みやすく、ナーバスであり、すぐに自己嫌悪に陥ったり、逆に自信とは異なる妙なプライドや対抗心というものも出ておりました。
まあ、そんな名残がまだありまして、時々周期的に何かのことで、とても疲れてしまう状態が出現いたします。こういう世界に足をつっこんでいますと、よくいわれることに、「今の(自分を取り巻く)世界は自分が創り出している」というのがあります。つまり、「すべての原因・要因は自分にある」という考え方です。この要素の中には、「同じものは引き合う」という考え方も含まれます。例えば、自分が良い状態ならば、周囲の環境もよくなってくるというもので、反対に自分の想念がネガティブになっていると、回りもおかしくなってしまうということになります。皆さんもそういうことは思い当たりませんか? 絶好調な時は何をやってもうまくいく感じがして、信号さえも引っかからずに青信号ばかり、逆に、何か仕事などで失敗したと思ったら、車にひかれそうになったり、くじを引いたらスカはがり。。。というような運の悪さが重なってしまうような体験...これらがそうなのですね。
「じゃ、自分の思いを無理からいつもバラ色にすればいいの?」 ってことになるのでしょうけど、人間、これが至難の業です。タロットカードには“おろかもの”と書く「愚者」というカードがありますが、この「愚者」のように、ある意味、おろかもの・バカになってしまえば、こだわりも何もなくなって気持ちはいつも明るいまま、まさにバラ色状態かもしれませんが(ゆえに「愚者」は非常に前向きで、気楽かつ強大なカードです)、日々生活を送っているわれわれには、なかなかそうなれないところに問題がありますよね。
そう、頭でわかっていても、感情や気持ちが納得しない、そんなに自分の思いや状態をコントロールできたら苦労はねぇよ。。。というところに、いくら「現実は自分が創っているんだ」と納得しようとしても、難しさがあるわけです。私自身も初めに述べましたように波がありますので、その気持ちはよくわかります。
そんな時、役立つのが自分ではなく、他者なのです。えっ、「結局自分の世界は自分が原因」と言っておきながら、他人を使うの? というおかしなことになってきましたが、ここが人間、一人では生きていないことの証しにもなります。「現実は自分が生み出している」としても、自分だけでこの世界が成り立っているわけではありません。だから、逆にいえば、他人や自分以外の働きかけを、自分の世界を変えるような方向にもっていけば、自分が変わり、結果的に「世界」も変わるという仕組みです。
誰にでもある簡単な例を示しましょう。落ち込んだ時、人はどうしますか? 悶々と一人で悩んで過ごす・・・という人もいるかもしれませんが、気分転換に好きな音楽を聴いたり、旅に出かけたり、一番よくあるのは、友達や親しい人になぐさめてもらう。。。というようなことではないでしょうか。これは、そうすることで、自分の内面を無意識的に変えようとしているともいえます。外部からの刺激(癒し的なものでも外部からの働きかけであると「刺激」ととらえます)により、内面がいい方向に変化し、それが「自分の世界」に波及して、同じものを引き寄せ、結果的に「現実」も変わるというメカニズムですね。この場合、とても効果的なのは、モノより感情に訴えるもの、つまり雰囲気とか、あえていえば「人間の心」が一番能力が高いといえるかもしれません。だからこそ、友人やパートナーに困った時、相談したり話をしたりするわけです。最近の私の例でいいますと、落ち込んでしまった時、妻からの励ましがすごく効きました。いつもはあまり意識することのない妻への感謝の気持ち^^;も、あとでとても出たことも述べておきます(苦笑)。
このように、だからこそ人間関係は普段から大切になってくるのです。自分が困ったとき、本当に心配してくれる友人やパートナーを持つことは、自分でコントロールできない自分の意識を、外部から影響を及ぼすことで逆に変えていくという意味でも、重要な人たちとなってきます。人は「マクロの中のミクロの自分を認識せよ」といわれますが、そのためにはマクロ的な、最小単位の人間関係やつながり、支え合いを認識することも大事なのかもしれません。
とはいえ、自分は気分がいいのに、反対に妻からのひと言でたちまち地獄行き・・・という気分になることもあります^^;。外部からの働きかけによる内部の変換は、ケースバイケースで考えましょう(笑)。最後はやっぱり、自分のコントロール次第なのかもしれませんが...
この、普段は難しい「内部の変換」のことについては、別の観点からの考察と方法もありますので、それはまたの機会にでもご紹介いたします。