FM出演と団地
先日の6/12(火)に、お世話になっている占い館主宰の方のお取り計らいで、FM千里という大阪の地域FM局に出演させてもらいました。
FM千里は、今年の4月に開局したばかりのコミュニティ放送局で、放送範囲は豊中市と吹田市がメインで、いわゆる「千里ニュータウン」と呼ばれる地域を主要な対象区域としているようです。
ここで毎朝流されている「今日の占い」というコーナーに、私がたまに出させてもらっている占い館のメンバーによる占いが提供されている関係で、出演が舞い込んできたものです。ちなみに私もこの占いコーナーの一部を担当しております。
私が出演させてもらったのは、「千里の目安箱」(こう聞くと、何か、注意や弾劾されるような印象を受けますが^^;・・・普通に人を紹介するコーナーのようです。。。)というお昼前の番組の一コーナーでしたが、20分という時間で、パーソナリティの方からのご質問にお答えしながら、占い師という紹介でしたので、その場でパーソナリティの方を占うなどさせてもらいました。人は緊張すれば、ふたつの反応になりがちです。ひとつは、上がってしまい、ガチガチとなってしゃべられなくなってしまう反応、もうひとつは興奮して、舞い上がり、やたらテンションが上がってしまう反応です。私の場合、あとで記念にと録音されたディスクを家に帰って聞いてみましたが、完全に後者でした。まー、アホほどしゃべっておりましたね。パーソナリティの方の進行も無視状態という感じでしょうか。汗、出まくりデス。。。。
パーソナリティの方の音声はとてもクリアーで歯切れが良く、何を語っているのか明瞭に聞き取れますが、私の言葉はくぐもっていて、時々マイクから離れるかのように、聞こえなくなっていました。ひと言で言えば、何言っているのかわからんぞ! という感じです。私はタロットの講義をすることも多いので、人前で話す機会はよくあるほうといえますが、こんなしゃべりでは、聞いている人はたまらんだろうなぁ・・・とかなり落ち込みました。冷静に自分のしゃへりや声を聞いてみるというのも、よい勉強になります。今度はもっとましに話ができるようになろうと・・・誓ったのでした。
ところで、千里ニュータウンといえば、ずいぶん昔に開発されて、いわゆる「団地」というものの先駆けとなったところですよね。実は私も、とある「団地」で育った口です。団地というと、「画一化された味気ない建物が並ぶ人工的な町」というイメージが浮かびますが、私のように団地で育った人間には、それなりに団地というものに郷愁があるんですね。外から見るとまったく同じように見える風景も、その団地のひとつひとつの建物の違い、団地のあいだ間にある公園のわずかな草や遊具の雰囲気による差違、団地の間の道の表情、マーケット・スーパーのにおい・・・やはりそれぞれに色があり、微妙な“場所の性格”といったものが感じられるのです。それは、普通の住宅地で育った方と同一のものといえるでしょう。のっぺらぼうのような「団地」でも、住んでいれば、やはりそこの「空気」によって育て上げられるものなのです。
ただ、私の育った環境では、時代もありますが、まだ開発されていない地域に田んぼや自然が残されていました。その人口的な町と昔からの風景・自然とのギャップがあったからこそ、まだ情緒の形成にはよい影響が与えられる環境にあったと思えますが、もうまったく見渡す限りの人口街では、やはり単一的な感情や余裕のなさ、あるいは逆に刺激が少ないといった感覚にならざるを得ない部分もあるかもしれません。
千里ニュータウンのような「団地」も、建物の老朽化と住民の高齢化が進んでいると聞きます。私のかつて住んだ「団地」も、今は千里と同じような状況で、実際に行ってみますと、かなりの寂しさを感じました。しかし、人がそこに住む限り、かつて私が感じたように、土地土地への思い出や感性は生じます。再び、こういった街が再生し、その生まれ育った街に愛着を感じながらも、大人として自分と地域に新たな可能性を感じて戻ってくるような、そんなよい循環性が出てくればと、かつての団地っ子の一人としては願わずにはいられませんでした。