常識を疑う

私は小学生の頃、地域のサッカークラブに入っていました。


当時は真夏の昼間でも練習や試合がありました。


サッカーは運動量の多いスポーツです。ましてや昔の小学生ともなると、ただポールが転がるほうに向かって集団で走っていくということもよくあり、試合のハーフタイム時ではすでにバテバテでした。


となると、水分が不足して喉も異常に乾くため、皆は猛然と水道の蛇口に走って行きました。


けれども蛇口を上向きにして、ゴクゴクと水を飲んでいますと、コーチや監督の大人たちから「水を飲むな」と叱られることもしばしばでした。


これに限らず、総体的に何十年も前は、運動の途中では水を飲むと体が重くなるので、できるだけ飲まないようにするほうがよいというのが、半ば常識となっていたように思います。


こんなことは今では考えられません。


もちろん、水ばかり飲んでいては体内の塩分が薄まって、かえってまずいこともありますので、そのことから経験則的に水を飲むなといわれていたのかもしれません。


しかし少なくとも、今とはかなり考えが違っていたのは確かです。肌にしても、真っ黒に日焼けすることが奨励されていた時代でしたからね。


このように、時代とともに新しい発見や発明もあって、常識は変化していきます。


だから「常識を疑え!」というのは、誰も、あるいはどこでも言われているところですね。


しかしながら、常識を疑えるのは、よほど自分の中に他人とは違う確固としたものがあるか、あるいは常識を越える何か強烈な体験や環境に遭遇したかの人であり、、普通はなかなか難しいものです。


ですから、まずは単純に、自分を想像上のタイムマシンにかけてみることをお勧めします。


その考え(常識)で未来に進んだ場合どうなのか。

あるいは過去に戻って、その常識や価値観を見るとどうなるのか。


この場合、後者の「過去に戻って想像してみる」ことは、あまり普通の人はしませんので、意外な気づきが待っていることがあります。


いかに自分の思っていることがすごいことなのか、あるいは現代の価値観で縛られてしまっているかを見るよい機会になるのですね。


特に今便利だと思って使っているものは、過去に無かった(無くても生活はできていた)わけですから、今の常識によって、無理からに消費をさせられていると気付かされることもあります。


あと、タロットを使う方法があります。大アルカナ22枚によって、常識と思われる事柄を比較検討してみるのです。


つまり「ある常識や考え」を、一枚一枚のカードの象徴によって分析するということになります。別に22枚全部検証する必要はありません。


結局これは、ひとつの事柄に対して複数の視点を持つということ、別の物の見方を持つことを意味します。


常識は、「常に皆が当たり前に持つ見識・価値観」ともいえますので、もちろん疑ってばかりではなく、それを自分に適用することで自分の足りない部分や、悪い意味での常識はずれになっている部分をチェックして補うことにも使えるのです。


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