タロットカードの、個人による特定の意味が生じるのは?
タロットを長らく使い、実際に人様にリーディングしていくようになりますと、「自分にとってこのカードが出れば、たいていこういう意味なのだ」という、ある種のパターンのようなものが生み出されてきます。
それは最初に習ったような、そのカードの普遍的な意味ではなく、結構特殊な読みになることが多いものです。
たとえば「神の家」が出るとうつ病が回復するとか、「月」のカードは臓器の不調に関係するというようなものです。(これはあくまで例であり、実際にはあてはめないでください)
時には特定の職業や仕事を、または人物を、決まったカードが表すようなこともあります。夫のことを尋ねるといつも「愚者」が出るというような感じですね。
それは間違いでもありませんし、現実のリーディングではピンポイントに問題の核を指摘できることもあって、非常に有効な場合もあります。
あるカードが特定の意味になっていく理由はいろいろと考えられます。
その一考察としては、リーディングにおいてあるカードが出て、そのカードが通常とは違う意味で読めた時に、意外にもそれが顕著に「当たっていた」「的を射ていた」というような経験があり、そのことがタロットリーダーを刺激して、リーダーの心の中にカードの絵柄とともに深くインプットされたからではないかと想像できます。
そのため、ひとつの自信のようなものにもなり、「このカードはこの意味で間違いないのだ」という確信的な気持ちを抱かせ、さらに無意識のうちに相手にも何かの回路でつながって、その特定のカードをクライアントにも引かせるのだとも考えられます。(リーダーが思うそのカードの意味が、クライアントの問題と通じていた場合)
結局、その積み重ねがどんどんと貯まっていきますので、カードと特定の意味が非常に強固に結びつき、もはや揺るぎないものとして、自分(リーダー)の中では確立されるのでしょう。いわば「当たり」が「当たり」を呼んで来るというような具合です。
こういうのも、タロットリーディング技術の一方法ではあります。ただこれを普遍的に、ほかの人(リーダー)がやるリーディングにも通じるのかというと、必ずしもそうとはいえないところがあります。
Aタロットリーダーが確信する「愚者」の特定の意味は、Bリーダーにとって同じ意味を決定づけるものではないということです。
しかしながら、AさんとBさんが多くの点で共通のフィールドに立っている場合は、個人によるカードの特定の意味も共有されることがあります。
たとえばAさんもBさんも、同じレイキの仕事をメインとしているというケースで、ともに同じタロットとスプレッドを使っている場合、Aさんの思う「力」のカードの意味が「レイキのアチューメント」ということであれば、Bさんにも「力」の意味がそれになることもありうるということです。
また、違ったフィールド同士であっても、なぜCさんにおけるあるカードがそのような特殊な読み方とつながっているのかということを、カードの根源的なもの、象徴から分析することで、ほかのDさんが納得できた時は、その瞬間からCさんの特定読みもDさんと共有されることになります。
ということは、新しいカードの読み方はやはり多くの人との交流と実績、カードの象徴理解から生まれるといってもよいでしょう。
ここにタロットリーディングのパターン化の有効性(部分的・一時的であることに注意は必要ですが)と、反対に多様な人とのリーディング交流が自分のリーディング技術の向上にも役立つ理由が示されるのです。
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