一本の見えない道を見る。(後編)
前回は 、私が公務員に就職したものの、やがて心身の不調から辞めざるを得なくなったというところまでお話しましたね。
では続きです。
さて、私の最後の公務員の職場というのが、奇しくも最初に私が就職をして配属された信用金庫の支店の近く(同じ市内)だったのです。
公務員を退職する最後のその日、その所属長さんたちと挨拶を交わして、私は寂しくも、しかし何かさっぱりしたような気分で、職場を辞しました。しかしまだ反面、かなりの不安といいますか、世間では考えられない選択をしてしまった自分に、なにがしかの後ろめたい気持ちと、もっと踏みとどまるべきではなかったのか・・・という自責の念もあったのは事実です。
そんな心持ちのまま、バスに乗り込みました。駅までのわずか5分ほどの車中で、私はぼんやりと車窓から外ををながめていました。
その時です! 突然、私の目にある彫像が飛び込んできました。それはカドケウスという杖を持つ「ヘルメス神」の像でした。「ヘルメス」といえば、ギリシア神話では「伝令の神」であり、また別の意味では「錬金術」や「神秘思想」の祖といわれる特殊な人物を指すのですが、何よりもそれは私の学んだタロットと深く関連するものであり、タロットとヘルメス(思想)は、切っても切れない関係にあるといえるものでした。
そして何と、そのヘルメス像は、私がかつて在籍していた信用金庫の、あのまだ当時は未完成だった本店の前に立つ像だったのです。これまでいつもその前を通っていたというのに、なぜ気がつかなかったのでしょう?
さらに私は、なぜか驚いて瞬間的に時計を見てしまったのですが、時計の針はデジタルで「11:26」を示していました。11.26...実はこれは私の誕生日の日付なのです!! 単なる偶然?? そうかもしれません。しかし、その時の私は、確実に「この道でいいんだ」という実感を得た気がしました。
「秘教」の伝説的な人物であり、「伝令」の神であるヘルメス。それが、私の公務員として「最後」の所属地であり、また「最初」に就職した企業の本店にある像であったことが、すなわち「始まりであり、かつ終わりであり、そしてまた始まりである」という永遠の循環、無限大(∞)のレムニスケートを象徴していたように思えます。
何か大きな存在が、ヘルメスのカドケウス(ヘルメスの持つ二本の蛇がからみつく杖)をシンボルとして、私に信じた道を進む勇気を与えてくれたように感じました。と同時に、運命の不可思議さを知った瞬間でもあります。
皆さまも紆余曲折、人生の道にはいろいろとあるでしょう。でもそこに流れる一本の見えない本道のようなものが、誰でも確実に存在しているのだと考えられるのです。
それはこうした不思議なシンクロニシティ、偶然のような必然によって、私たちの目の前に垣間姿を見せるのかもしれません。
そう考えますと、今度新しい環境に入られる方も、またわけもなく人生を歩んでいるように思える人も、きっとその場所・その経験において自らの一本の道とつながっており、深い意味があるのだと信じられます。
今までのことは決して無駄ではありません。そして、これからもあなたの歩む人生には必ず意味があるのだということです。
こんなに凄い話聞いたことありません。
映画のようです。
読んでいて鳥肌が立ちました。
宮岡さんの今のお仕事は天命なのですね。
これからも勉強させていください!
>永澤恵一さん
コメントありがとうございます。誕生日が近いので、思い出して書いてみました。(笑)
あの像が信用金庫にいた時はまだ途中だったのが、公務員を辞めた時に完成していたことは、本当に意味深だと思っています。この体験はまさに「神」を感じた瞬間で、今のタロット業のする時の心の礎になっています。