タロットにおける「占い」は「現実」的である。
私の場合、どちらかといえば、タロットカードは占いで使うというより、自分自身や物事を知覚して整理し、自らをさらに向上していくために使えることを伝えています。
けれども、タロットはあらゆることに応用が可能なツールですので、当然、一般的に日本で使われている「占い」としての道具としても非常に有効です。
それで、この占いに使うタロットの解釈と、先述した自分自身や物事を把握するために使うのとでは、実際には異なることも生じます。
いえ、タロットをどんなことに使うとしても、大きな総合的な意味では同じことを示すともいえるのですが、具体的・現実的になってきますと、多少の差異が出てくるのです。
たとえていえば、「人間」を「人」としてのくくりでみると、男性も女性も、年老いた人も若い人も皆一緒ですが、細かく見ていけば、国籍・地域・仕事・性格と様々な「人」に分かれていくようなものです。
ですから、あるフィールド(階層)で横に見た時は共通であっても、縦にレベルや次元を変えた時は同じものでも違うように見えることもあるというわけです。
それで、タロットを「占い」というフィールドに置いた場合、やはりそこには吉凶という判断が出てきます。
経験的にやっていくとわかりますが、ある特定のカードには正立であってもやはりあまりよくないことを示す、あるいは時には凶的な傾向を持つカードが存在します。(反対に、「吉」的傾向のものもあります)
しかしながら、たとえば凶的なものとして、それはよくいわれるような「死神」とか「塔」というカードには限りません。
そのタロット占い師、そしてその人の使うスプレッド(展開法)によって特定の意味を持つと考えられるものです。
これは現代的な理屈では説明しづらいものですが、私の感覚では、あるカードがある種のエネルギーと反応するような癖をもっているのではないかというものです。
それは自分の中にあるネガティブ(ポジティブ)なものと結びつく場合もありますし、タロットを習った時に「そのカードのこの状態は凶事(吉事)を示す」と教えられて、実際に何度か占ってその通りに出たことで、エネルギー的に反応がセッティングされたとも考えられるかもしれません。
あるいは、やはり長年多くの人に同じ種類のカードが占いで使われることにより、目に見えないデータレコードのように蓄積されて、そこに共鳴しやすくなっているとも想像できます。
「占い」という実際の場面では、このように吉凶判断的な意味を持つカードは確かに存在するといえますが、しかしながら、それもフィールドを抽象的に上げていく(象徴的に大きな視点に上げていく)と、結局は凶的なことも、吉的なことも、一緒に一枚のカードには含まれていることがわかってきます。
またなぜ、そのカードに吉を感じ、別のカードに凶を見るのかも根源的に理解できるようにもなるのです。
従って、実は占いというのは、タロットにおける現実(具体)なのです。
言い換えれば、高いものの象徴(イデア・精神の世界)を、下のわれわれの実際の世界(現実世界)に置き換えて見ていることになります。
最初にも言いましたように、タロットの世界は広く、いろいろなものに活用していくことが可能なものです。
ですから、占いだけではない使い方も意識すると、横だけではなく、縦の移動(次元・階層の移動)もできることになり、カードの意味もその分深めていくことができます。
それは取りも直さず、自身や世界・宇宙の理解につながっていくことになるのです。
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