1/17に思う。

兵庫県南西部に縁があり、実際今もこの地域に住んでいる私にとっては、1/17のこの日は、やはり特別な日となります。


あの日、阪神大震災は強烈な揺れとともに、いろいろなものを破壊していきました。


私自身の家も傾き、認定は「全壊」状態、何とか住むことはできたものの、大幅な改修が必要でした。


しかしながら当時の私自身は、うつ病と不安神経症からくる激越なイライラ感に苦しみ、本当に「いつ死のうか」と考えていた矢先のことでした。


そんな時に、あの地震が起こったのです。


結局、様々なものが混乱に陥ったことで、私は当時勤務していた役所に出勤せずともよいことになりました。心の病気の上にこんな状況ですから、仕事も無理だと判断されたのでした。


そのことで、結果的には自分が救われることになりました。何もかもが混沌とした中で、むしろ落ち着きが少しずつですが、その後自分の中に出てきたからです。


このあたりのことはまた日を改めて書かせていだきたいと思うのですが、死ぬことを真剣に考えてた私は、ともかくも震災によって助けられた形になったのです。


しかし多くの方にとってはまったく逆で、大切な方を亡くしたり、家や物、お金、人間関係、暮らし、生き甲斐・・・とそれまで築き上げていた、あるいはつながっていた大きな「何か」を失ったのです。


私も救われはしましたが、先述したように家は壊れ、怪我をし、お金も使い、知人で亡くなった方もいました。


そして16年


震災を受けた神戸、その他の地域も復興しました。

けれども震災の記憶も風化して行っています。それはある面、時代が経つにつれて仕方のないことでもあり、それでも忘れてはならないことと、反対に忘れてもいいこと、忘れたほうがよいこともあると思います。


今日、三ノ宮(神戸の中心地)の飲食店に入って食事をしていると、メモリアルウォーク(震災を忘れず、防災意識を高めるためウォーキングするイベント)に参加されたと思われる方々が楽しそうに、飲んで食べて語らいをしているのを見かけました。


皆さん、きっとそれぞれの胸には悲しい記憶、つらい記憶があるとは思います。それでも明るく、前向きに生きている姿に、神戸の活力、いや、災害や苦しみにあってもたくましく生きていく人間の力というものを感じました。


ところでタロットカードには「13」という苦難や破壊を象徴するカードがありますが、その次(数の順、タロットマンダラ)では「節制」が待っており、「節制」は「救済」を意味します。


自分が「13」という時代・時・状況を経験しているがゆえに、14の「節制」は人の苦しみ、痛みがわかります。そして「13」の時に手を差し伸べられたことも知っています。

ですから今度は自分が人を救う立場となっていくのです。


「節制」の二つの壺の水のやりとりは、人のお互いの交流・助け合いも象徴し、それがすなわち自他の救済につながっていくことが表されているのです。


またタロットマンダラでは、「13」の上は20の「審判」です。この位置の流れは、復活・再生を象徴しています。


その「審判」と、先に述べた「節制」との間に「L字状」に挟まれて存在するのが、完成を意味する「世界(という名前)」のカードであることも興味深いことです。

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