傷ついた時に人がいる。

人間は強くもありますが、弱いものでもあります。


健康であったり、仕事やプライベートが順調であったりする時はいいのですが、病や自分が不振になった時は弱気になるのが普通です。


また自分が誰かに責められた、強く言われたなどのことがあっても心には傷がつくものです。


そんな時、やはり一人でもあなたの味方になってくれる人、あるいは話を聴いてくれる人がいることは、とても大きな支えになります。


「愚痴をこぼしてはいけない」「弱気になってはいけない」「マイナス思考からポジティブに変えなくてはいけない」「相手ではなく、自分に原因があると思って対処しないといけない」・・・世の中にはこういうメッセージがあふれかえっています。


それはもっともなことではあるのですが、ややもするとやり過ぎたり、誤った解釈をしてしまったりして、必要以上に自分を責めてしまうことがあります。


自分を責めずとも、とにかく「悪いことは言ってはいけない」「愚痴ってはならない」と、ほとんどを自分の胸にしまい込む場合もあります。


けれども、ちょっと待ってください。


聖人君子や、よほど訓練のできた人以外は、一般的にすべて前向きに、明るいことしか言わないなんてできはしません。


嫌なことがあったり、ショックなことがあったりすれば、愚痴ってしまう、弱気になってしまうのもむしろ当然です。


何か自分にトラブル、特に人との問題があった場合、おそらく自分にもまずいところはあるでしょう。

しかし何かの出来事で自分にダメージを受けたことと、自分が正しいか正しくないか、あるいは悪いことを言ってはいけないかどうかなどのこととはだということを考えてほしいのです。


内容はともかくとして、自分がショックを受けダメージを食らったことは事実なのです。


極端なことを言えば、人に危害を与えようとした者が、相手の抵抗にあい逆に負傷したとなれば、非はもちろん危害を加えようとした者にありますが、その者が怪我をしたことも確かだということです。


ですから、まずは事の正否、善悪、価値判断はひとまず置いておいて、自分の受けたショック自体のケアーが必要とされるのです。


その意味において、愚痴ってしまう、ネガティブなことを話してしまうのも悪いことではありません。


そしてこんな時には、自分の話をとにかく聴いてくれる人がいれば、もやもやした気持ちを離すことができます。


まさに「話す」は「離す」につながり、先述したダメージのケアの最初の部分が自動的に施されていきます。


そうすると、落ち着きを取り戻し、あるいは癒され、「よく考えみれば、自分にも悪いことがあった」と気がつくことができるのです。これは自己正当化するのとは別種のものです。


燃え上がった火を消す時間、処理があってこそ、冷静に自分を事態を振り返ってみたり、自分を取り戻したりすることができると言えましょう。


それに必要なのは、やはり「」なのです。


逆にいえば、友人や家族が困った時には、そこでいきなり話をしている人物(の内容)が正しいかどうかを判断したり、自分の意見を述べたりするのではなく、まずはその人の話を受け容れるということを心がけてみてください。


これはパートナーシップを築いていく時にもとても役に立つことです。


私も妻の話を聞くことが、ある意味、とても訓練になっています。(苦笑) 


男性(女性でも男性的、リーダー的な人、正しいことにこだわる人)は特に相手の話を聴く前に意見を差し挟んだりしがちですから、注意しましょう。 


また受け容れること自体にとても抵抗のある場合は、パートナーやその人の話に自分でも気がつかないまさに「抵抗」が隠されていることもあります。これはちょっと別の話になりますので、機会を改めます。


今、話を聴いてくれる人がいないあなたも、タロットを習って仲間を見つけることも可能です。


またあなた自身が「味方になって話を聴く」態度をしていくことで、あなたにもそのような相手が得られるでしょう。


自分がしてほしいことは、先に自分からしたり、与えたりすればよいのです。


人間完成の道を示すと言われるカモワンタロットの「タロットマンダラ」においても、「斎王」として人の話を聴くことが先で重要であることは、「言うこと、伝えること」を意味する「法皇」が後に来ていることから見てもわかることなのです。


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