恋人カードに見る「恋」と「愛」
タロットには「恋人」というカードがあります。(カモワン版マルセイユタロット)
このカードは実に見事に「恋愛」というものを表していると思います。
そのため、私が時々開催する「恋愛セミナー」においても、このカード一枚をもって「恋愛」を長く語り、説明していくほどです。
もちろん恋愛だけではなく、このカードはほかのことも数多く象徴させます。特に世の悩み事、迷う状態すべてを示していると言ってもいいくらいです。
さて、今日はやはりその「恋人」カードの本分ともいえる、恋愛(恋と愛)についてカードとともに話してみたいと思います。
ところで恋愛、いわゆる恋というものはどんなものでしょうか?
それはあなたの意志で行いましたか? つまりは「この人を好きになろう」と思って恋したかどうかです。
場合によってはそういう態度で人を好きになることはあるかもしれませんが、いわゆる恋をする、恋に落ちた状態というのは、自らの意志ではなかなかできないものですよね。
そう、そのことが恋人カードの上空に現れている天使(キューピッド)で表現されています。(本来はある「神」でもあります)
キューピッドは「恋のキューピッド」と言われるように、人を結びつけたり、恋に陥らせたりします。
これは予想外、いきなりであり、ふいに訪れるものなのです。
ここに恋は、人の意志のようなものはほとんど入らないことが、カードの下の人物たちを見ているとわかります。
そして恋をすると、まるで相手が天使であるかのような、また自分が天上世界にいるかのような錯覚を起こさせます。
つまりは相手に完全性(神のようなもの)を見て、すべてを許してしまうほどになるわけです。
しかしながらそれも長くは続きません。相手に完全性を見ていたのは一時的なもので、次第にそこから二元に分離したものを見ることに移行していきます。
このことが、下の真ん中の男性が二人の女性にはさまれている様子で表されています。
ここからほとんどの場合、一方だけを見るようになっていきます。相手の中にネガティブと自分で思うこと「自分で」見るようになるのです。
実は最初に見ていた相手への完全性とは、強烈な恋の光の中で影を見えなくしていた錯覚だったのです。本当の意味で一元(完全・統合)を見ていたわけではなかったのです。
やがて恋の火花が落ち着くことにより、次第に光が二元であることに気がついて、そこから黒の部分が余計目に付くようになります。
その状態が平静でもあり、恋の魔法が解けた現実でもあります。
この時、相手が変わった、あるいは自分が変わったと誤解して別れたり、恋がうまく行かなくなる場合がほとんどです。
しかしながら「愛」は、ここからが出発とも言えます。
今度は「選択」が始まるのです。あなたは相手に白も黒も両方あることを認め、そのような人物と一緒に生活したり、過ごしていくことを選択する必要があるのです。当然ながら、自分にもその両方があります。
それは言い方を換えれば「愛の創造」(をする選択)です。
恋は自分で選択できませんが、愛は自分で選択することができるということです。
多くの場合、結婚生活がその愛への移行と言えるかもしれません。結婚は恋のゴールかもしれませんが、愛の出発点でもあるのです。
「恋人」カードでも、一人の人物がどちらかを選ぶような「選択」の状況で描かれています。
これは人物を選ばなければならないということではなく、自分が愛(相手との愛を創造すること)を選択していくことを意味していると考えられます。
ここからはタロットマンダラでいえば、縦への上昇に入り、最終的には「審判」へと変容を遂げていくことが描かれています。
「恋愛」と一口で言っても、「恋人」カードで見れば実に奥深いことに気がつかされるのです。
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