あなたは神である。
いきなりの質問ですが、あなたは完全ですか?
こう問われると、ほとんどの人は「自分が完全なわけはない」「欠点だらけだ」と答えるでしょう。
私も表面的な意味ではそう答えざるを得ない、未熟な人間です。
このように、ほとんどの人は自分は何か劣っている、欠点がある、足りない「人」だと思っています。
それは謙虚さもあるので、いいことでもありますが、本質的にはやはり問題なのです。
ところでカモワン版マルセイユタロットの教えの中には、グノーシスというものが根底にあります。
これは「知る」「認識する」という意味であり、何を知るのかと言えば、ズバリ「自分が神であることを認識する」ということなのです。
人が神であるはずがない、何という奢り、グノーシスって悪魔の教えじゃないの?と疑うのももっともです。
実際に、カトリック・キリスト教では弾圧の対象の教義でした。
しかし、奢りとは違います。
簡単にいえば自分の中には「神」がいると考えるのです。ですから、逆に考えれば仮面としての悪魔も別の人格も存在することになります。それはいわばエゴと言ってもいいものかもしれません。
それとは別に、人には純粋で崇高な神の性質・神性があるのだという考えであり、それを自覚することで神に至ることができるというのがグノーシスなのです。(グノーシスには様々な考え・流派があり、一概には言えませんが本質的には同じと考えられます)
「認識する」と書いたように、単に頭で知るだけでは神性にたどりつけません。識別したり、認めたり、腑に落ちたりする体験など様々な深い落とし込み・味わい・気づきが必要なものです。
しかしながら、もともと「自分は神のように完全である」ととらえていたのなら、「人は問題を起こすやっかいな動物だ」とか、「悪いことをしても当然だ」とか、「しょせんはこんなもの」とか、自分を限定したり卑下したりすることから救われる可能性も出てきます。
では神のように完全な存在なのに、なにゆえこのように悩み苦しみ、間違いを犯し、欠点の多い人間なのかと思われるでしょう。
それは神であることを忘れているからです。というより、忘れさせられていると言ってもいいかもしれません。
スピリチュアルな考えになりますが、おそらく死後であったり、肉体を離れたりした時にはそのこと(自分が神であること)を自然に思い出せるのでしょう。
それなのにわざわざ現実世界に肉体を伴って生きているのは、思い出すということを賭けていると言ってもいいかもしれません。
思い出す方法や過程を、魂としては楽しんでいるという考えです。
同じルートや方法ばかりでは成長や発展、創造性が限定されてしまうので、宇宙の法則(創造・維持・破壊のサイクルを通して結局創造していくこと)に適わないのかもしれず、そのためわざわざ現実での思い出しのプロセスを開発しているとも言えます。
かなり思い出す人生もあれば、ほとんど思い出せない人生もあるでしょう。
それでも必ず何らかの気づきはどの人生でもあったはずです。それこそが宇宙の創造のひとつであり、大きな存在からすればやはり新しい何かであり、喜びだと考えられます。
そのためには、大前提を思い出しておくことです。それが「グノーシス」であり、自分が神であり、神性が内にあるという理解なのです。
また自分が神であるということをたとえ深く理解できていなくても、そう思うだけであなたはすでに神である自分からのエネルギーを時空を超えて受けていることにもなります。
ちょうどタロットマンダラでいえば、「世界」から「愚者」に向けてエネルギーが送られているかのようなものです。それは逆説的になりますが、「愚者」が「世界」を目指すことを志したからそうなるのです。
あなたがカモワン版マルセイユタロットの秘儀にふれた時、すでにそれは起こっているのです。
時々忘れて自分を卑下してしまいますが
神というのを思い出すだけでとても生きるのが楽に感じますね(^_^)
>ありのままさん
そうですね、思うだけで変わってくるのが自分に「神」を思う不思議です。またそれは傲慢になるのではなく、謙虚になることでもあるのですね。