絵と音楽の記憶
絵(絵画・写真)と音(音楽)は実に不思議なものと言えます。
ともに心に大きな影響を与えることができます。
それも、どこか忘れていたような、あるいは自分でも気がつかなかった感情、気持ちを思い起こさせる効果があるように思います。
まるで深層心理の記憶、あるいは潜在意識へのスイッチに関与しているかのようです。
たとえば、昔自分が聴いていた音楽を何かのことで久しぶりに聴いた時、その当時の記憶や光景、匂いまでもが再現されてきますよね。
言ってみれば時間を超えた再現性があるのです。
しかもそれだけではありません。
実際には時間が経過していますから、やはり今の自分の気持ちというものがあります。その今の気持ちとかつての自分の思いが交錯して、実に複雑な何とも言えない気分を醸し出すのです。
センチメンタルといえばそうかもしれませんが、単に郷愁というもので片付けられない何かがあります。
音楽ほどでないにしても、絵(写真)にも同じようような効果があります。
少し話はずれますが、人はセンチメンタルにひたる時、実は結構重要なことが起こっています。
音楽や写真、絵などで昔の記憶が呼び起こされた時、最初は印象的なシーンが浮かんでくるでしょう。
それで、さらにそのシーンを追い続けていると、ある時、ふと何でもないような光景・場面を意外にも自分が覚えていることに気がつくはずです。
たとえば友人と行った先で見た建物の影、窓、車の座席、家族と一緒に過ごした時の太陽が斜めに差し込む光線、学校の教室の廊下の輝き、水飲み場の蛇口、夏の逃げ水、林間学校でのキャンプファイヤーの炎の横のゆらめき・・・などなど。
それは記憶されているのですから、何気なくはあってもやはりインパクトを残しているものであり、何か意味があって残されているのではないかと考えられます。
私はこれは、天使(天上的な存在、通常を超えたもの)のいた瞬間の表現ではないかと思っています。
シンプルにいえば、大いなるもの・宇宙に私たちが生きている証であり、何でもないシーンと思える時にも、人智を超えたすばらしいもの、完全なるものがいつも私たちとともに存在しているのだという証拠だと感じます。
印象的なシーンは誰でも覚えています。
しかしそれと同時に、客観的に言えば「取るに足らないもの」と思えることが、それでも同時に記憶されているというのは、実は皆同じ価値があり、輝きはどんなものにも存在しているという現れだと考えられます。
逆にいえば、何かに価値をおけば、その周囲のものさえ輝くことになるのです。(マルセイユタロットの「世界」はこのことを、ひとつには表現しているとも言えます)
よって、過去だけではなく、これからもあなた自身が活き活きとすれば、あなたのその生きている時間と時代も輝くことになるのです。
話を戻しますが、音楽と同様に、絵にも記憶を再生させ、今の感情と合一させていく作用があると想像できます。
そのため、絵であるタロットに取り組むことは、かつての純粋な気持ち、封じ込めてしまった心を取り戻し、現在のあなたと融合させていくことができるということでもあります。
タロットは自己再発見と再統合としてのツールとしては非常に効果的なものなのです。
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