スピ系の人とグルメの関係

仕事柄、いわゆる世間でいうスピリチュアルな傾向の人たちと会うこともあるわけですが、なぜかこういう人たちの中には食べ物にとてもこだわりを持つ方が多い気がします。


もちろんこうした人達は自分の心身の健康にも気遣う人も少なくないので、自然、自分が取り入れる食べ物についてはこだわりを持つことになるのでしょう。


ただそれとは別の意味もあると思います。


それは、よく考えてみますと、バランス論に行き着くものです。


ここでいうバランス論とは、宇宙・森羅万象・世の中は陰陽、プラス・マイナスのような相反するエネルギー、要素・状態で成り立ち、バランスが必然的にとられているという考え方のことを言います。


ここで間違わないでほしいのは、陰と陽、男女のような個々に別々で存在しているわけではなく、ふたつがひとつであるのが当たり前というか、ふたつでないと存在できない、ふたつ合わさる状態がノーマルなのだという見方です。


言ってみれば、単にひとつの状態をふたつの局面(とらえ方)で見たに過ぎないのが実状です。


でも実際にみんなが夫婦やパートナーでいるわけではないですよね。それでも人として存在していられるのは、どこか別の人や形・状態・レベルでもうひとつを得ているか、自分が知らない形でもう一方のエネルギーが存在しているのだと見るわけです。


あなたは今は独身でパートナーもいないかもしれませんが、大きな世界観として想定すればどこかにあなたの伴侶は生きているとも言えますし、別の片方のエネルギーとして(一つではなく複数もあり得ます)動物、植物、もしくは何かの状態などで存在しているとも言えます。


いずれにしても肝心なのは、片方だけで存在できない状態がノーマルな宇宙観と言いますか、摂理であり仕組みだとするのですね。


そうした立場でモノを考えますと、いろいろと面白いことが見えてきます。「なるほど、そうなのか」と、結構目に見えない操作に気がついてくることもあります。


先述した「スピリチュアルな人たちには食べ物にこだわりを持ち、案外とグルメな方が多い」というのも、すなわちそうした人々は精神世界傾向が普段の状態なのですから、反対の物質(食べ物)に強く関心が行くのもバランス的に当然なことだと考えられるわけです。


精神のエネルギーを消費すると、やはり肉体を持つ人間であれば、食べ物を消費してのエネルギーへの変換が図られるでしょう。


だからその意味でも食べたくなりますし、仕事としてもボランティアとしても何か相談をしているような人は、いわば相手やクライアントに喜びのエネルギーを与える役をしているのですから、今度は自分にも喜びを与える必要が出てきます。


それをある人にとっては精神とは逆の、物質つまり食べ物からとなり、それも自分が喜ぶおいしいものを、ということになってくるのだと想像できます。


純粋に身体的な健康ということで考えると、必ずしもおいしいもの・グルメは体にいいものではなく、むしろ摂取が過剰になれば悪いものだと言えますが、それを精神や心のことと結びつけると、そうとは言い切れないところもあるのだと思います。


そして、やはりここにもバランス論が働くのですが、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で、やり過ぎ・食べ過ぎ・取りすぎには注意が必要ですね。


そのバランスを取るために、何かの代償は払わねばならないことになります。


また食べ物とは別に、スピリチュアルな人がお金に苦しんだり、お金に執着したり、ドロドロとした人間関係にとらわれてしまったりするのも、バランス論的に見ると、これも当然に思えてきますし、その解消方法への気づきも得ることができるでしょう。


このことはまた別項か、メルマガなどで書かせてもらいたいと思います。

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