どんなカードでもタロットなのか。
タロットはそのカードの種類にかかわらず、私はすべて象徴体であると考えています。
本来タロットは78枚をひと組とし、22枚と56枚の大・小のアルカナと呼ばれるカードグループで構成されているものです。
しかし世に「絵の描かれているカードは」結構「タロット」だと、皆ひっくるめて呼称されているケースも見受けられます。
ここでどれが正しいとか間違いとか言い出すと余計ややこしくなります。
ただある条件や設定を入れることで、タロットとそうではないものを区別することはできるかもしれませんが、そうした条件がなければ、何でもタロットになってしまいます。
もう一度言いますが、今回はそれに対していい悪いの(どれが正しいタロットなのかそうでないのかという)評価はしません。
それで何が主題なのかといえば、カードによる「象徴」の働きと型というテーマについてです。
私はおそらく人類にはある共通の認識パターンのようなものがあると思っています。それはユングらのいう「元型」といううようなもので考えてもよいかもしれません。
とにかく、皆が同じように思ったりとらえたりする「型」があるのだとします。
その型は行き着くところ、根源的にはひとつかもしれませんが、「型」ですから様々なタイプに分かれていきます。
それが22であったり78であったりするのがいわゆる一般的なタロットと言えましょう。
でも先述したように「絵」のついたカードを一応タロット的なものとすれば、その数、つまりカードの枚数は40であったり54であったり、いろいろです。
要は根源から分かれた象徴の型が、ある「とらえ方」(「とらえ型」でもあります(笑))によって何枚かにパターン化したのがカードであるということです。
極端なことをいえば、コインの表裏さえもふたつのタイプ・型として象徴することもできるのです。
この観点からいえば、どんなカードであろうと象徴にはなりえます。
ただ、システムとしてうまく機能するかどうか、一枚一枚の意味はもとより、全体として統合された場合、根源に還ることができるかということが大切なポイントだと思います。
たとえば、同じような型なのにさらにわけてしまっているようなことはないか? ということも見ないといけません。
このあたりは少々難しいことになりますが、幾枚かに分かれて象徴として表現されているカードでも、それぞれが同じレベル(次元)で分けられているかということが重要なのです。
たとえばAからZというカードがあったとして、よく見るとCとHがAの意味をさらに細かくわけたに過ぎない象徴であるというような場合です。
AからZは同レベルにおいての象徴でなければなりませんし、または意図をもって、一例としてAからMは上の次元で、NからZはその下の次元になっているようなグルーピングが必要です。
伝統的なタロットの場合、このあたりはやはり結構正確に整理されているように感じます。
ですからどのカードでも象徴にはなりえますが、マルセイユタロットは象徴ツールとしては中でも非常によくできていると個人的には考えています。

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