削りつくすと見えてくるもの。
さらっと書きますが、5月連休前にご紹介した高野山の結縁潅頂という儀式、10月1日~3日にもありますので、興味のある方は行かれてみてください。タロットでいえば「隠者」や「13」のイニシエーションが味わえるかもしれません。
さて、その「13」なのですが、ほかのカードでは死神などいう恐ろしい名前をつけられて、結構嫌われているカードではありますが、このブログでは何度もお伝えしてまいすように、決して一般的なイメージでの死神という存在ではありません。
「13」はマルセイユタロットにおいては名前がなく、数の13しか上の欄には書かれていません。(下のカードの名前が入る部分がそもそもないのです)
マルセイユタロットのひとつのとらえ方・考え方としては、大アルカナに描かれてるものはすべて自分自身の象徴だというものがあります。
それを適用すれば「13」もまた自分なのです。
もちろんいつもいつもというわけではなく、時と場合によって「13」が現れるということです。
「13」はいったい何をしているのでしょうか?
大きな鎌を持ち、自らは骨と皮だけのような姿になっています。言ってみればそぎ落としです。
そぎ落とすとどうなるのでしょうか? 何でもそうですが、削っていくイメージを抱いてみてください。
体積はどんどん少なく小さくなっていきますよね。果物だったら最後は種だけ残るような印象です。
種とは何でしょう? とても小さく、見てくれさえも悪いかもしれませんが、そこにはすべての可能性が詰まっています。
大地にまけば再び芽を出し、花を咲かせ、果実を実らせるかもしれないのです。
つまりは凝縮されたエッセンスであり、見方を変えれば本質だとも言えます。
自分自身を削りに削り、行き着く先は本当の自分の核であり、心というより魂に近いものかもしれません。
これだけは譲れない、あるいはどんなことがあってもこれが自分だと言えるもの、それを見つけるための作業が「13」だとも言えます。(もちろんほかの意味も「13」には数々込められています)
けれども意外に通常時には自分の核・コアのようなものは見つけにくいものです。
やはり厳しい環境に置かれたり、ギリギリの状況に追いつめられたりした時、真の自分の姿、隠された能力も出てくると言えます。
「13」の作業を行う限りにおいて、何もない(何も出てこない)ということはありません。必ずあなたに確かなものが出てきますし、形として見えにくくても大きな収穫があります。
これに気がついた時(真の自分、コア・核の発見)、実は「審判」のカードと関連するようなことが起きます。
またその前提として「恋人」カードに象徴されることが「13」の前に生じることもあります。
それは言葉では表現しにくいのですが、自分の生きる意味とか天命・使命、生き甲斐のようなものが見えてくる感覚と言っていいかもしれません。
人生で起こるつらいこと、苦しいこと、大変なことというのは、いわば「13」の鎌の作業をしている(させられている)と想像できます。
それは自分を磨き(単に削っているのではなく、研磨しているのです)、自分本来の輝きや本質を見い出そうとする過程です。
「13」の絵柄が示すように、それは遠くや別のところにあるのではなく、今の自分や場所にあるのです。しかし鎌をもって作業にとりかからねば発見できないものでもあります。
あなたの本質を「13」とともに見つけていきましょう。
今日もとっても深い内容で、自分に必要な内容でした。ありがとうございます。
>ロック大好き☆名前のことだまセラピスト みなこ@愛知一宮さん
コメントありがとうございます。
ご参考になられたのなら幸いです。