鈍感は注意信号
体の疲れがピークに達していた私ですが、少し休養を取り、体のメンテを行ったのでだいぶん楽になってきました。
そうすると、ずいぶんいろいろなことに鈍感になっている自分に気がつきました。
まず水や食べ物の味がはっきりとして、これまでと違うのですね。逆にいえばそれだけ、疲れによってコーティング状態(笑)にされていたというわけですが。。。
よくたばこを吸われていた方で、禁煙すると食べ物がおいしく感じられると語られますが、それも今までたばこによって味覚その他もろもろの感覚を鈍感にさせられていたわけです。
皆さんも疲れのことだけではなく、感覚が鈍くなっていることには注意したほうがよいです。
それは「いつもはこう感じていたのに、今日はあまり感じない」とかいう感覚の場合です。
そのような時は何か自分のバランスが崩れている証拠です。(自分が成長して、以前より気にならなくなったというよいケースもありますが)
そして一番怖いのは、鈍くなっていること自体に気がついていない状態です。
タロットカードでいえば「月」の問題とも言えます。
たとえば肩こりでもひどい時は凝っていることにすら気がつかず、肩がバリバリに固まってしまっている場合があります。
そして時にはそれが快感になっていることもあるのです。
肉体的なことだけではありません。精神的・心の状態も同様のことがあるのです。
いつも感じないようにしてきた、または感じないようにさせられてきた人はずっと心を抑圧してきていることになります。
それはあまりにつらかったり、苦しいかったりすることを感じ続けると自分が壊れてしまうので、それを防ぐ意味もあります。
いわば自分の身を守るためではあるのですが、これが習慣化していくともう感覚が麻痺し、感じることそのものの機能がおかしくなります。
それが無関心・無感動を呼び、何が起こっても動揺しない心のようになり、あたかも強い人のように周囲から目されることがあります。
そして唯一、その覆われた鎧の重みを感じることだけがまさに「感じ」であるので、それが自分の快感に変わっていくのです。
なぜならば、それしか「感じ」ていないからであり、人はどうしても感じることを本能的に求めるからでもあります。
タロットの「月」のカードのザリガニは、実はその鎧と関係していることがあります。(これは特殊な読み方なので、オーソドックスなザリガニの意味としては理解しないでください)
一般的にも自分のこの部分は強いと思っていても、実は鈍感であると言うこともあり得ます。
「風邪ひとつひかない健康な体」というのも、実際に壮健であることもありますが、悪いものに反応して対外へ排出させる機能が弱っている、つまり鈍感になっているということもあるのです。
本当の心身の健康とは、やはり何事にもそのまま新鮮に味わえる、オープンで敏感な感覚を持ち、それが楽しめる状態ということではないかと思います。
ですからいつも笑っているということではなく、喜怒哀楽どの感情にも正しく向き合え、表現できることではないかとも感じます。
何も感じない、考えられない、面白くない・・・このような人は注意信号が出ているのだと思ってみたほうがよいでしょう。
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