修行系、清貧系の人に。
何かいいことが起こってもすぐに邪魔が入ったり、自分の学びを深めようとするとそれができなくなったり、お金を稼ぐことはいけないと思っていたり、ノホホンと過ごしているように見える人や、棚ぼた的な成功を収めた人に無性に腹が立って仕方がないと思ったり・・・
そういうあなたは、もしかすると、修行系・清貧系というタイプかもしれません。
修行系・清貧系って何?
簡単にいえば清く、正しく、「苦しく」生きようとしてしまう人種(苦笑)です。
これがひどくなると、幸せであってはいけない、楽しくなってはいけない、苦しいことがなければいいことは絶対起こらないと考えてしまうようなります。
いえ、自分では幸せになろう、楽しく生きたいと頭では思っているのですよ。
ところが、心の中、潜在的にはそうした自分になることが許されないのです。
なぜ許されないのでしょうか?
これもいろいろな原因があるのですが、一言でいえば自分の存在理由やアイデンティティがなくなるのが恐いからです。
えっ、幸せや楽しくなっては自分がなくなってしまうのですか? と疑問に思われるでしょう。
修行系・清貧系の人は概して努力家なのです。何事も一生懸命やろうという人が多い。
それは自分が修行しているから、あるいはつらいことをやっているから報われる、糧が得られるのだという思いこみで出来上がった世界に住んでいるためです。(逆にいえば「報われるためには、つらいことをしなければならない」となります)
もしここで、「修行しなくもいいんだよ」「そういう方法でなくても楽になることはできるんだよ」と言ってみたところで、「じゃ、今までの自分は何だったのだ、骨折り損のくたびれもうけかい!」となってしまい、容易にほかの方法を認めることができないのです。
認めると、これまでの自分の努力が無駄となり、それは生き方の否定につながり、つまりは自己の否定と喪失感に行き着くのです。
ということは裏を返せば「プライドが高い」ということです。そのプライドが努力や苦労そのものなのです。
努力によってある程度望んだ結果や報酬を得ていれば、極端に修行系や清貧系にはなりません。
その努力の分、報われない時に余計にそれにこだわり、成果(結果)が出ないことの不満を、今度は過程(やってきた時間・量そのものの評価)で補おうとします。
それ(過程)さえ否定(別に否定するわけではないのですが)されてしまうと、もう自分を評価するものがなくなって、逆に自己否定に向かう人もいます。
通常は自分を否定するより自分を守りたいと思うものなので、相変わらず別の形や事柄で苦労を続け、成果が出るのを期待しつつ、努力する自分に酔いしれます。
もちろんプロセス・過程、努力と労苦も大切で人を成長させるものですが、結果や成果が出ないのならそれはおかしいことにも気がつかないといけません。
もしかして、あなたのしている努力とは努力そののもをマゾ的に楽しんでいるおそれもあります。それは努力というより我慢や逆説的な自己への過大評価でしょう。
そこで修行系・清貧系の人は、ひとまずプロセス重視型から発想の転換を図り、結果や収穫に重点を移すことがよいでしょう。
それに何よりも、自分が幸せ、豊かにになってもよいのだという許可を自分にすることです。
許可ができないのは、おそらく誰かへの過度な(バランスの崩れた)愛情があります。また誰かからの幻想による縛り、制約もあるでしょう。
マルセイユタロットでいえば「悪魔」と「13」、「星」や「節制」にも関連してきます。
これは自分では気がついていないこともありますので、カウンセラーやセラピストなどの手助けを借りたり、自分を客観視できるツールなどを持ったりするとよいでしょう。
結局は人には自分が決めている暗黙のストーリーが潜在しており、それによって無意識のうちに動かされ、自分の現実を作っているのです。
そういう意味では、人は誰でも自分の信じた思想・理由の世界に生き、それをきちんと実現させているとも言えます。皮肉ながら(^_^;)、人間の創造力はまさに神と同等です。
修行系・清貧系の人は、まず「なぜ苦労しなければ得ることができないと思っているのか」「清いことは本当に=貧しいことであるのか」ということを検討してみるとよいでしょう。
何のためにこの世界がバラエティに富んでいるのか、そしてあなたが修行系でいることで恩恵を逆に受けている人や層がいないか、冷静に見ていってもよいでしょう。
同じ努力するのなら自分の解放に使うほうがよいでしょう。タロットでいえば「太陽」です。
余談ですが、過去生というものを信じるとするのならば、過去にも同じような修行系・清貧系であったことがあり、その時報われず、今度は修行の成果を得ようと転生し、現在また遮二無二苦行している状況を造ってしまっている人もいるように思います。ご注意ください。(^^;)
中々、難しい問題ですよね。
歪んだ宗教観や道徳観のようなものが
根底にあるかもしれませんし(;^_^A
自分が修行で楽しければ、自分がやりたいからやる。それだけで修行系としては十分かと思います。
そうして課題をこなすこと、それそのものが目的の場合もあります、ある種の資格マニアのようなものでしょう。
もちろん、悟りを目指すとか、そういう人のほうが多いかもしれませんが。。。。
それ以外の他人のことをゴチャゴチャ言う人はナンチャッテ修行系のような(笑)
>3と21のタロットリーダー☆しょういちさん
そうですね、確かに植え付けられた宗教観・道徳観というものもあるかもしれません。決して悪いと言っているのではなく、自分を縛りすぎる道具になっていることか問題だと思います。
>tealeafさん
そうですね、自分が楽しいと思ってやる、それならおっしゃるように十分で、とやかく言われる必要はないと思います。悟りを目指す・・・という場合でもやればやるほど結果的に自分を縛ることになっているのは問題かと思いますが、過程が長いだけに一時的には縛っているように見えることもあるんでしょうね。
お世話になっております、シンシアーです。
いつも先生の記事は、タイムリーで驚きますが、
昨日、仲間から、修業好きだよね、と言われたところです(;^_^A
自分では、怠け者と思っていますが、確かに努力しないと、成果は得られないと思っているので、こんな私はダメと思っているところがあります。
昨日引いたカードも星のリバースと節制だったので、先生のメッセージは私の今後の課題だと思いました。
>シンシアーさん
コメントありがとうございます。
シンシアさんならおわかりかと思いますが、実はこれは私自身のことでもあるのです。(^_^;)
決して修行系が悪いのではなく、気付かず自分で追い込み、そしてそれを悪魔の(つながれた人たち)ように修行と言いつつ、その実、幻想的に自分を逃避や別の意味での楽しませている自分という部分に気がつく目的のために、書いているところです。(苦笑) まあ、いい意味で悪魔と仲良くなるのもコツですね。
初コメントさせて頂きます^^
また訪問してもいいでしょうか?
良かったら僕のブログにも遊びに来て下さいね!
結構他の人が書いていない、アメブロで稼ぐ方法について書いたりしています!
mvoler-tarot
>アメブロで稼ぐ方法を無料配布していますさん
すみません、記事内容以外の宣伝に関するコメントは控えていただけるとありがたいです。
お返事ありがとうございます。
先生のコメントを読ませていただいて、カードの読み方が、的外れであった事に気付きました(><;)
(リーディングに正解、不正解はない事は承知しておりますが)
私の出たカードは、清貧の逆ですね。
とんちんかんなコメントをして恥ずかしいですが、お陰様で、思い込みリーディングから目が覚めました。
ありがとうございました!
>シンシアーさん
いえいえ、ご自分でも書かれているように、間違いではありませんよ。カードそのものというより、心が反応したリーディングたったのだと思います。それはそれでありです。
(タロットカードの原理的な意味からはずれたリーディングが示唆されることもあり、それは結構重要だったりします)
それでも原則的な読み方にもお気づきになられたのは、それもまた有意義なことでしたね。