二匹の犬のお話。
私の家の近所には犬を飼っている家庭が多いです。
ですから犬を散歩させている方もよく見受けられます。
ところで、私はもともと犬が苦手でした。(^_^;) 昔、小学生の頃、何度か犬に追いかけられたり、噛まれたりしたトラウマがあったからなんですね。
どれくらい苦手だったのかといえば、それこそ漫画「めぞん一刻」(古いネタで恐縮です)の三鷹さんみたいなもので、かわいい小型犬でも逃げていました。。。(笑)
ところがタロットをしているうちに、段々苦手意識がなくなってきました。(完全に払拭されたわけではないのですが、かなりましになりました)
その理由ははっきりとしませんが、タロットの絵柄の何枚かには犬が描かれており、その影響があったのかもしれません。
特にマルセイユタロットの大アルカナの中でも特殊な位置にある「愚者」のカードには、犬の存在が顕著で重要であり、必然的に「愚者」を見ることが多かったこともあります。
パスワーキング(タロットカードの瞑想)で、その「愚者」などでは犬も当然登場してくるので、そうしたことによる効果があった可能性もあります。
さて、別に私の犬トラウマ克服話(苦笑)をするために書いているのではありません。
実は近所のあるお宅には二匹の犬が飼われていて、その犬に関するお話なのです。
この二匹の犬、一方は比較的大型で、もう一方は小さな小型犬です。
そして大型のほうはあまり動きは少なく、どちらかというと無愛想な感じです。大きいこともあって、少し恐い印象さえ受けます。一方の小型のほうはとてもよく動き、よくほえて愛嬌がある感じがします。
ですからぱっと見には、おそらくほとんどの人は小型犬のほうに好印象を抱くと思います。
しかしなにせ近所のものですから、ほぼ毎日のように私はこの犬たちに出会うことになりますので、その場だけの印象には収まらないことが出てきます。
すると観察していてわかったのですが、大型犬は意外と愛想がいいのです。愛想というより、人間的な表情やしぐさを時にするのです。
人間的というのは、「ぷい」と知らんぷりしつつ、ちょっと気になる人間を目で追っていたり、疲れているのか、ぐたーと四肢を投げ出してだらしない格好をしていたかと思うと、飼い主や特定の人間ま前ではかしこまっていたりと・・・なにかと面白いのです。
それで小型犬はというと、これが画一的でいつもキャンキャンとほえて、やたらとうるさく、落ち着きがありません。誰彼なく自分の存在を知らしめようとするのか、近寄ってきてほえます。(威嚇のほえ方ではありませんが)
見ていると小型犬は、態度だけではなく、その表情までがあせっているように思えてくるので不思議です。
これらのことを私たち人間に当てはめてみますと面白いことがわかります。
それは関わってもらいたいからと言ってストレートに自己主張することが、人の本当の関心を呼ぶのではないということです。
騒ぎ立てますと誰でも最初には注目はされますが、いつも騒いでいますと、それこそオオカミ少年の話のようになって、「またあいつ、大げさに騒いでいるよ」となって、誰にも関心を寄せてもらえなくなります。
また毎回同じパターンだと人は飽きてしまいます。面白味のないヤツと思われます。
ところがこの大型犬のように、一見普通で近寄りがたい存在であっても、メリハリをつけたり、変化に富んだ態度や表情でいたりすると、人はその対象に向けての興味や興味が増していくものです。
まさに波や変化があったほうが魅力的に映り、長期に人の関心が続くのです。
波や変化のことだけではなく、「味」「味わい」と表現できる奥深さや特質があっても同じように人は惹きつけられます。
反対に単調であったり、底が浅かったり、押しつけがましいだけの状態であると、この小型犬のように味気なく疎ましい存在となってしまうのです。
小型犬は飽きられるていることがわかっているのか、ますますほえたり慌てた態度をして関心を引こうとしますが、逆に余計避けられてしまうという悪循環に陥っています。
これを見ていますと、本当に人間もそうだなあと思わされます。
皆までは言いませんが、この二匹の犬のエピソードのを通して何か感じていただければよいかと思います。
宮岡先生、今日もとても納得いく内容でした。私は幼い頃から犬を飼っていて犬が大好きで、しかも大型犬が好きです。理由は今日先生がお書きになった事と同じです。あまり好きでないのにそこまで観察されるとはさすがですね。
>NiNaさん
犬がお好きなんですね。(^^) 犬もよく見ますと、同種の犬でも一匹一匹性格が違っていて面白いですね、本当に人間のようです。犬は神話的にも霊的にも古来から特別視されているところが多く、人にとってはまた身近な存在なので、現実にも飼っているといろいろな気づきがあるのかもしれませんね。