シンクロニシティをどう扱うか。
シンクロニシティ。
これは「共時性」とか「意味ある偶然の一致」と訳されたり、「いろいろなことが重なって起こり、意味あるように思えてくる」と感じたりすることを言います。
タロットもこのシンクロニシテイを前提としているので、カードの展開も意味あるものに見えてくるわけです。
ところで、シンクロニシテイ(以下シンクロと略)を信じるようになると、次第にシンクロ現象が自分の周囲に起こってくるようになります。
ただ注意したいのが、 「シンクロが正解を示している」と決めつけないことです。
よくスピリチュアル系の人であるのですが、あることを考えていた時にシンクロが起こり、「やっぱりこの道に進むことは自分にとって正しいという宇宙からのメッセージなんだ」と信じてしまうことがあります。
心理的に言えば、自分が意識を向けていることに対してその情報が目に入りやすくなったり、自分の関心事に関係するように意味付けしたりすることはむしろ当たり前のことです。
たとえば「アメリカに行きたい」といつもそのことを考えていれば、旅行社のパンフレットでアメリカ旅行のものが目に付きますし、何気に入ったハンバーガーショップに対して、アメリカと関係づけてしまうようなことはあり得ます。
それは自分の今のテーマや関心事が、まさにそれ(思っていること・考えていること)に支配されているから起こることです。
クラスメイトの誰かに恋していれば、ほかの生徒もいるのにその人ばかりクローズアップされて映し出されるようなものです。人間の脳にはそういう仕組みがもともとあるものと推定されます。
つまりは逆にいえば、私たちはすべての情報に関心を公平に寄せられるわけではなく、自分の意識・注目度合いによって情報の取捨選択が行われ、その選ばれたもので自分の世界観を構成して生きているのだとも言えます。
ですから、シンクロが「高次や宇宙からのメッセージである」とは短絡的には取らないことです。
そこで私が提案したいのは、シンクロメッセージが「正しいか正しくないか」という見方をするのではなく、シンクロを様々なつながり(連繋)を見るために利用するという方法です。
どういうことかと言いますと、何かに注目すれば自然とそれが自分に集まるようになることは先述した通りなのですが、シンクロは目に見えることや常識的なつながりだけではなく、今まで思いもしなかった事柄同士の関連性がシンクロを意識すると出てくるようになりますので、その仕組みに注視せよということなのです。
換言すれば、物事のつながりを常識的な見方だけではなく、非常識・象徴的な見方でもつけられるように訓練する手段として、シンクロを利用しましょうということです。
実は私たちはこの非常識(現代的な常識に対する非常識の意味です)や象徴的なモノの見方には慣れておらず、このことで自然や宇宙、そして私たちの人間の間(心や魂を含む)でさえも本当の理解や「つながり」を失っています。
そのことがいわば「統合失調症」のような状態に私たちをさせているのです。
とりあえずの処方箋として、無理からに現代の価値観での成功概念や功利的幸せ感の世界に自分を当てはめ(当てはめさせられ)、納得させています。その世界の中では統合(この意味では普通言われる「論理」となります)を取るようにしないと自分がおかしくなるからです。
しかしながら、一見その世界で統合(この場合は論理性があるということ)が取れて自分も納得しているかのように見えるのですが、いたることろにその世界観ではほころびがあることに、自分の奥深くの存在は気付いています。
言い方は悪いですが、自分が麻薬や幻想によってとらわれているということを感じているのです。
それを打ち破るためには、実は物事の、普通の考えではありえないようなつながり方に気付く必要があります。
その方法のひとつがシンクロを知る、シンクロに気付くということなのです。
先述したようにシンクロは自分の方向性を示していると取るのではなく(そういう場合もありますが、それも訓練によらないとわかりづらいです)、あくまで新たな情報提示とその受け取り方のひとつだと思い、「こういうことで物事や世界はつながっていくのか」という感じ方、とらえ方を身につける手段として見るのです。
この作業が真の意味での統合(論理を超えた統合)にあなたを向かわせ、奥底で抱いていた不快感や疑念を解消していく道のりにもなります。
シンクロ(に気付くこと)を加速させる装置・ツールとしては、マルセイユタロットは非常に有効なのです。
タロットを始めますと、シンクロは今まで以上にあなたに起こってきます。それはシンクロというつながりを見るチカラが増すことにもなるからで、タロット自体の効力もあるからです。
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